第1話

文字数 5,867文字

あの船です

あの船です
確かに あの船です
私たちが乗った船は
民宿の屋根に打ち上げられた
大きな遊覧船です
確かにあの船です

あれは ある夏の平日
初めて家族全員揃って
私の生まれ故郷である
港町を訪れた日のことでした
妻と 中学生と小学生の娘をつれて
初めて父である私の生まれ故郷を
たった数時間でしたが
訪れた日のことです

彼らは途中から仕事を休んで
あの波止場に来てくれました
私の高校時代からの友人である
今は故郷にいる彼らでした
それから 故郷に住む叔母もやはり
一緒にあの船に乗ったのでした
なんという 楽しい
ひとときでだったでしょう
私たち三人はデッキの丸テーブルに
腰掛けてあの頃に戻ったように
いつものお決まりの思い出話に
花を咲かせて無邪気に笑い合いました
故郷の心地よい潮風に全身を撫でられながら
あの海鳥の繁殖地である
波に穿かれた無数の洞窟がある
憧れのような無人島をぐるりと
まわって湾内を一周する定期観光船でした
その日は海も凪いでおり 幸運にも
船はその無人島まで私たちを運んでくれました
今までは少し波が高いときは なかなか
あの島まで行ってはくれなかったので
故郷も私たち一家の訪問を 
歓迎してくれていると感じました
たわいのない思い出話を楽しみながら
旋回する船のデッキから島の様子を
間近に眺め 妻やこどもたちや友人たちと
こんなひとときを持てたことを
本当にうれしく感じました 
湾内に戻るときは 三十年かけて
最近完成しつつあるという
海底からの高さが六十メートルもある
世界一の湾港防波堤の間を通って行きました

波止場に戻ると別れが待っていました
改めて 照れながら私の家族を
友人たちに紹介すると 私たち家族は
花巻温泉から乗ってきた軽のレンタカーで
そそくさと故郷を後にしなければ
ならなかったのでした
車に乗り込んでエンジンをかけ
彼らに手を振ったのはいいのですが
ギアがニュートラルに入ったままで
いくら踏んでも車が発進しなかったのです
彼らが大喜びしたのは言うまでもありません
しかし これが彼との 今生の別れ
となるなどと このとき いったい
誰が想像できたことでしょうか
二人の友人のうちのひとり 私が
故郷にたったひとりぼっちで帰るたびに
この上ない温かいもてなしを いつも
いつもしてくれたあのやさしい友人
このときあの船で偶然撮った
彼の優しい笑顔は 今でも 
私の携帯の中で微笑んでいます
私の家族と会うことを ずっと
楽しみにしてくれていた彼に
ようやく果たした約束 それは ほんの
一時間ほどの至福のひとときでした
その約一年半後 彼はあの湾を襲った
濁った凶悪な化け物に呑み込まれ
ご両親とも自宅で命を落としたのでした
そして 私があの映像をテレビで
目にしたのはそれから間もなくでした
紛れもなくあの船でした
私たちが故郷のやさしい海を巡りながら
至福のひとときを過ごしたあの船でした
彼との大切な約束をようやく
果たすことがでできたあの船でした
彼とさいごのひとときをすごした
思いでの船でした

あの船です
確かに あの船です
私たちが乗った船は
民宿の屋根に打ち上げられた
大きな遊覧船です
確かにあの船です


 歩くというのは特別のことのように思える。
歩くというのは呼吸する速さでその土地を感じるということだ。
 その日、私は故郷釜石の街を歩いた。
昨年もちょうど夏のいまごろに訪れたのだが その時、釜石の街は私が歩くことを許してはくれなかった。津波の被害のため街は歩けるような状態ではなかったからだ。
 今年はどうしても確かめておきたい場所があった。そこは津波で亡くなった友人との最後の思い出となった場所だ。湾内をめぐる遊覧船があった場所で私はあの日、初めて家族全員を連れて帰郷し、そこで友人と落ち合い、遊覧船に乗って夢のような時間を過ごした。
そして、その時の別れが彼との今生の別れになってしまったのだ。どうしてもあの場所を確かめたかった。
 駅前はすでに忘れたふりを装っていたが、街は海へ向かえば向かうほど荒野のようになっていた。昨年に比べると遙かに壊れた建物が片づけられていたが、大きな建物が鉄骨の柱の間から空洞となった内部を覗かせていた。こんなところを一人歩いていていいのだろうか、なぜか、そんな罪悪感のようなものを感じる。
 街の風景は一変した。
建物があらかた崩れてしまったので街の位置関係がすっかり失われた。あの通りがどこに位置するのか、まったく見当がつかなくなったのだ。やはり、ここでも建物の土台だけが剥き出しになって晒されている。古いタイルなども覗いており、ここに間違いなく、ふだんの家族の生活があったことを微かに訴えているようだった。そしてそこには、どこも雑草だけが勢いよく伸びているのだった。小さなガードレールが、まだ、蛇の脱け殻のようにぐにゃりと曲がったまま道路の片隅に放置されていた。
 あの場所は防潮堤に閉ざされていた。
諦めて帰ろうとしたが、防潮堤に階段状の鉄骨があるのを見て、せめて、あの上から港を見ようと思って登ってみたら内部へ降りる階段も同じようについているのだった。
 あの場所はその時のままに放置されているように思えた。津波が引いたままの状態なのか波止場にはさまざまなゴミが散乱していた。誰からも忘れ去られたような場所、ひしゃげたペットボトルやカラカラになった海草のかけらが無表情にここを覆い尽くしていて私はおろおろと歩くだけだった。
 遊覧船の事務所があった場所は、ただ、床下のコンクリートの色が違っていることだけが痕跡を残していた。あの事務所の狭い待合室で、あいつともう一人の友人と私の家族と叔母は乗船までのひとときをを過ごしたのだ。あの声のいいガイドさん、人生を潮風に洗われたような年配の船員さん、あの人たちは今どうしているのだろう。
 事務所があった床下の変色したコンクリートを踏みしめてみた。
あの時、ここに俺たちは座っていたのだ。確かに、ここに俺たちは座っていたのだ。
 釜石の大通りにあった一軒の魚屋さんを忘れない。いつものように帰省してどういうワケか壊れた釣り竿を修理してもらおうと私はあの通りを歩いていた。あの店の前のアーケードに釣具屋の広告があったというだけで私はその魚屋さんに入り込んで釣具屋のことを尋ねたのだった。まだ若くて精悍な感じのご主人はその釣具屋のことは知らなかったようだが、突然の珍客のために客がいて何かと忙しそうな中をわざわざその広告に記されている釣具屋に電話してくれた。奥さんは何をやっているのという感じだったが、これが釜石の人なのだと思った。あの魚屋さんの無事を祈っている。
 釜石の街中を歩いているとどこからでも市役所の建物が見えるようになった。
今までは、いろいろな建物に隠されていて、もともとそう大きくもない古いこの建物はどこにあるのかさえよく分からなかった。少しだけ高台にこの建物を建てたことがこんなに幸いするとは当時誰が考えただろう。
 それから、もうひとつそれは山の斜面に作られた墓地である。平地の少ないこの街では多くの墓地が山の斜面に作られていたのだ。それが、津波で街が平坦になったことで隠されていた墓地が視界に現れてきたのだ。実際、国道沿いに歩いていると今までなかった筈の墓地の群があっちにもこっちにも聳えていた。こんな風景はこの街がアメリカの艦砲射撃で徹底的に破壊されたその時以来のことだろう。この街にとてつもない破壊と殺戮があったときだけ現れる墓地の群。今回も下界に住む生者は殺され、山に憩う死者は無事だったのだ。
 前日、盆近い週末の夜にもかかわらず荒涼と静まった釜石の街中をひとり歩いた。
新たに炉端焼きを看板に掲げた居酒屋が元気に店を開いていたが、酒よりもメシが食べたくてもう少し歩いてみた。すると、目星をつけていた昔からの中華料理店がやはり店を開けており看板メニューのチャーハンとスープを注文した。私が入った時は誰もいなかったが、しだいに客が増えて狭い店内は賑わってきた。どうも、ボランティアらしきグループとか医者らしき人たちが多いようで常連なのか、店のおばさんとも顔見知りのようだった。一人で食べに来ていた中年のおばさんはカウンター席に座って店のおばさんと何か話しながら、しきりに、おいしいおいしいと繰り返していた。正直言って、ここのチャーハンには落胆していたので、意外に思っていた。  
 多分、このおばさんは店の知り合いか何かでご馳走してもらっているために大袈裟においしいを繰り返しているのかと勘ぐっていたが、帰り際にはきちんと会計をすませて、ごちそうさま、と、また、大きな明るい声で心から感謝しているように店を後にしていたので、こうしてふつうに外食できることが、もしかしたら、この街の人たちにとっては本当に有りがたいものなのかもしれないと思った。
 その直後のことだったろうか。
地の底から突き上げるような轟音が響き、ものすごい揺れがこの店を襲った。瞬間、誰もがあの時の悪夢を思い出した。そこにいた誰もが心とからだの底から恐怖したに違いない。
たまたま帰省していて、大変なことになりそうだという予感が脳裏をよぎった。幸い揺れはほとんど一瞬でおさまり、店にはもとの和やかさが戻ったが、誰もが、あの時、凄まじい恐怖を感じ取ったに違いなかった。
 千葉であの大地震を体験した私にとっても、あの恐怖感は心身の奥深いところにまで打ち込まれていた。そして、その恐怖を改めて思い出してみるとそれは、いつなんどき、あれ以上の地震に自分たちが襲われるかも知れないという過去ではなく進行形の恐怖であることをいやというほど思い知らされるのだ。
 その店を出るとき、ふと玄関の脇を見ると、この店が津波に襲われた直後の写真がパネル大にされて掲示されていた。巨大な瓦礫がすぐ店の前まで押し寄せていた。実はこの店もかなり損傷したのだろう。さっきの客の感謝の声を思い出した。
 同じ日の朝だった
ホテルで目を覚ました私は不意に三陸鉄道に乗ろうと思い立ち、昔、鞄に押し込んであった三陸鉄道の時刻表を取り出してみるともう時刻は迫っていた。これを逃せば二時間も電車がないので、急いで身支度をして駅に向かった。まだ三陸鉄道には乗ったことがなかったのだった。
 しかし、駅に着いてみるとJRの隣にある小さな駅はドアが閉じられ、狭いロビーは何か倉庫のようになっていた。三陸鉄道には二つの路線があってどちらかはすでに再開していると聞いて、てっきり釜石の方の路線は再開しているものだと迂闊にも思っていた。
 夕刻、同じ場所の前を通りかかると駅のロビーは空いており、そこは、喫茶店のようになっていた。ただし、店の真ん中に大きな鉄道のジオラマが設置されていて、どうやらそれを眺めながらお茶を飲む趣向の店だった。おそらくはもともと駅員だった方が店を任せられており、いろいろとお話しをしてくれた。三陸鉄道は来年には再開できる予定で、今、それに向けていろいろと準備中だという。しかし、同じ海沿いを走るJR山田線はまだ、復旧のメドがたっていないという。店の中で例のジオラマに電車を走らせてくれながらそんなことを話された。お礼を言って店を出てきたが、肝心のお茶の注文はすっかり忘れていた。大きなジオラマを力強く走るあの模型の電車には三陸鉄道の願いが託されているのかも知れない。

 隧道の門をくぐるとその寺があった。
こんなに短い隧道なのに足音が大きく響いた。
一年半前、ここであいつの葬式が執り行われたのだ。このあたりでは大きな寺なのだが、自分は一度もこの境内に入ったことはなかった。
 盆が近いせいか寺は賑わっていた。
津波の時はこの境内まで水が押し寄せてきたという。あいつの葬式はこの寺のどこで、どのように行われたのだろう。俺が送った弔電がこの境内のどこかで読まれたのだ。奥さんがどうしても紹介してほしいと懇願したらしい。
 めまいがしそうな暑さの中、本堂の前で手を合わせてからこの寺の建物を見回した。 
一年半も遅れてようやくやってきたこの寺の境内で不意に今まで見たこともない視界が眼前に広がっていた。切り立った崖の斜面に無数の墓石が点在していてその間を無数の人間たちが重力を失ったものたちのようにさまよっている遠大な光景がパノラマのように迫っていたのだ。
 私は思った。これは、もう、あの世そのものではないか。いろとりどりの花が点描のようにこの風景を彩り、その、あいだあいだをいろとりどりの人間たちが望遠鏡から眺める遠い風景のようにゆっくりゆっくりと動いている。これは、中国あたりの生きた神仙画だ。それが、すべてこの境内から一望にして見上げられるのだった。
 帰りにジュースでもと思って自販機に近寄るとほんのわずかだけ木陰になったそのそばに腰掛けて、ひたすら、あの風景を眺めている老婆がいた。真っ正面を向いて微動だにしない。
私はなぜだか親しみを覚えて少し離れた横に座ってともにあの景色を眺めていた。ペットボトルを傾けながらためらいがちに老婆の方をみると少し眉間に皺を寄せるようにして、やはり、まっすぐに少しも動かない。声をかけてみようと思ったが、やめた。
そして、また、あの隧道に響く自分の足音の大きさを確かめるようにしてそこを立ち去った。
 
 あの老婆はまだあそこに腰掛けているだろうか。



ファンレターさまの紹介(本人さまの同意を得て掲載しております。)

 忘れてはならない3.11

TamTam2021さんの初投稿『あの船です』の再掲載とのことですが、久しぶりにじっくりと読ませて頂きました。何度読んでも、光景がはっきりと目に浮かぶようでした。13年前の3月11日、穏やかな、いつもの午後、それは小さな揺れから徐々に大きくなりました。やがて今まで体験したことのないような横揺れとなり物凄い恐怖を感じました。テレビの映像を通して見たものは、波が遥か彼方から押し寄せ、鉛色の渦が人や物、建物を飲み込み、押し流して行く様子でした。そして未曾有の原発事故。あの日のことは決して忘れることはないでしょう。今年の元旦には能登半島に大地震が起こり、何故めでたい筈の元日に…と胸が痛くなりました。そして今、房総沖では地震活動が活発化し、不安な日々を過ごしています。あの日のことは過去のことではなく、地震列島日本ではいつ何処であのような大地震が起こるのかわからない状況です。あの日のことを忘れることなく、今一度気を引き締め、地震に備えなくてはならないと感じました。










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