2:出勤

文字数 4,572文字

「集中して、その人の顔を思い浮かべるんすよ! 大丈夫! 大根田さんならできる! さあ、愛しい人の顔を鮮明に! 舐めるように! じっくりと頭に――」
「ちょ、佐希子ちゃん、ちょっと黙ってて! あー……おう、ザキ! 元気か!? これ? これは――いや、お前はおかしくなってない。なってないから。それでだな……」
 大根田はこめかみに指を当て、携帯電話で話すように腰をかがめ、佐希子から離れてぼそぼそと喋っている。
「大根田さ~ん、喋らないで頭の中で思うだけでいいんですってば。まあ、みんなもそうなんだけどさ……」
 大根田は額を掌で打つと、難しいなと頭を掻いた。
「そうだよなあ、テレパシーみたいなものだもんなあ。どうしても口が動いちゃう……ああ、ザキ、こっちの話だ――」

 ネギハマー砦の中心、大根田家の前では、日傘を差した光江が薄い座布団に座って浮遊していた。オクサマーズは佐希子が起きると既に出発した後だった。
 大根田はマナ電話を終えると、額をごつごつと打った。
 頭の中心がぐったりした感じがする。眼精疲労よりも軽めなそれは、すぐに消えていく。

「どうも、お待たせしました。会社の社長と連絡を取ることに成功しました。彼はもう出勤していて、大忙しだそうですから、私もこれから出勤します」
 光江が。好都合だと頷いた。大根田が、ほうと口をすぼめる。
「と、言いますと?」
「実は早急に会ってほしい奴がいてな、中央病院院長の斑木(まだらぎ)というやつなんだが、今、お前さんの会社の方に向かっているらしい」
 佐希子が腕を組んで、苦い顔をする。
「斑木さんは陥没前に忠告を聞いてくれた数少ない人なんですよ。だから非常用発電機の燃料を結構ため込んでくれてたんですけど、それでももって数日だそうで……」

 大根田の顔が引き締まる。
 すっかり忘れていた――いや、意識的に忘れていたのか。長期間の停電時に特に危険なのは妊婦に、老人、そして重病人だ。

「それは、どうすればいいんだい? 発電機を作るのかな?」
 佐希子が頷いた。
「実はマナ灯の技術を応用した、大型のマナ発電機の部品をばらして置いてあるんです。場所は――大根田さんの会社の前です」
「……まさか、アルコの中かい!?
 大根田の会社の前にある、巨大な廃デパート『アルコ』。そう言えば、風の噂で敷地ごと誰かが買い取ったので近々何か動きがあると聞いたことはあったが――
 佐希子はドヤ顔で胸を張った。
「あたしこそが廃アルコオーナー、八木佐希子であーる!」
「朝っぱらからうるせーな……」
 五十嵐が腕まくりをして大きなリヤカーを引っ張ってやってきた。
「頭が高いぞ、ヤーさん! 吾輩はビルオーナーであるぞ!」
 さらに胸を張る佐希子を無視して、五十嵐は首にかけた手拭いで汗ばんだ顔を拭いた。
「いや、あっついな。まだ、九時だってのに蒸し風呂じゃねえか」
 光江が、おおそうだと懐からじゃらりと鎖のついた時計を取り出し大根田に渡した。
「お前さんが持っていろ。ゼンマイ式じゃから、一日一回巻くことを忘れるなよ。時間合わせは佐希子のPCを使え」
「スマホの充電はできないのか?」
 五十嵐の質問に、佐希子は手を振った。
「いや、できるできる。コンバーターもあるからいくらでもできる。でもねぇ……通話できないスマホって、形状的に結構邪魔なんだよね」
 ああ、と大根田は自分のスマホをちらりと見た。
 電池は全然減っていないが、確かに使い道がない。

 五十嵐がまた汗をぬぐい、リヤカーを指さした。
「しかし、これ何も積んでねえけど、何に使う――」
 ずずん、と大きな音がすると。廃車の巨人が浜本家の向こうから立ち上がった。日光の下で見ると、やはりその質量に圧倒される。
『ああ、大根田さん! これから会社ですか!』
 巨人の胸の位置から手を振る宝木からマナ電話が来た。
『ええ、そうです。宝木さんは会社の方は?』
『いや、さっきうちに使いっ走りの新入社員がきましてね。連絡あるまで休み、とかなんとか……』
『あらら……』
『だから浜本さんと飲もうと思ったら、彼、なんでも奥さん達と農家との会議の方に行っちゃったらしくて……で、まあ一人でゴロゴロしてるのもアレなんで、バリケードと肥溜づくり手伝おうかな、と。
 じゃ!』
 宝木は軽自動車の手で敬礼をすると、ずしんずしんとアスファルトに穴を開けながら歩いていった。
「いやあ、カッコいいっすよねえ、巨大ロボ!」
 佐希子の言葉に、大根田は頷いて笑った。
「いいよなあ。こんな年でも、やっぱり僕は男の子なんだなって思うよ。できれば肩に乗せて欲しいな」
「いやいや! ここは各パーツの運転席にヤーさんとかも乗せて、『合体ロボ』やりましょう!」
「んなことして、何の意味があんだよ……」
 五十嵐がげっそりした声を出した。
「意味なんてなーい! ロマンだよロマン! 『ヤクザ二号! 合体!』ってヤーさんもやりたいっしょ!?
「うるせーよ。まあ、ロボは好きだけどよ、あんな足とかに乗ったら酔って吐くぞ。あと尻が痛いのも勘弁だ」
 いや、それは確かに勘弁願いたいですね、と苦笑する大根田。佐希子は、よーしそろそろ行きますか、と手を打った。
「まずはそれらを乗せちゃいましょうか」
 見れば大根田家の軒下に水がたっぷりと入ったペットボトルが並べてある。五十嵐が首を捻った。
「これを運ぶのに、こんなでかいリヤカーを使うのか? 大袈裟じゃねえか? 裏にスーパーのカートがあるだろ。それでいいんじゃないのか?」
 肩をすくめる佐希子の代わりに、光江がいいんじゃよ、と答える。
「なにしろこの暑さじゃからな……」

 もし五十嵐がいなかったら、と大根田は考えてぞっとしていた。
 道路は昨日と同じくでこぼこのままであり、今後も長い事このままだろう。リヤカーは運が悪ければ一メートルごとに段差にはまり込むのだ。
 その度に五十嵐は能力でリヤカーを持ち上げてくれる。

 しかも、この暑さである。

 道端にはぐったりとした人々が大勢いるのだ。
「あの! ぐ、具合が悪い人がいたら、誰でもいいんで教えてください! これから三荒山神社まで行くんで、ついでに運んでいきます! お水が欲しい人はここにあるから!」
 佐希子の言葉に、おお、と歓声が上がり水が配られる。
 汗だくのワイシャツの男が手を挙げる。
「そこの婆さんがやばそう……あと、この水、あんたら買い置きしてたの? それともどっかで配ってるの?」
「いや、これは井戸水! ちゃんとろ過してあるんで、の、飲めるんで!
 あと、私達は市内に井戸を何ヶ所か確保してて、そこをこれから一般開放しますです! もちろん無料で、も、もちろん飲めます! だから井戸の場所を知りたい人はついてきて! で、それをどんどん広めてください!」
 佐希子はまだ、知らない人と話すと緊張するようだった。

 引切橋を渡り、白うねりと戦った付近までくると、リヤカーの荷台は熱中症の患者でいっぱいになってしまった。五十嵐が引き、大根田と佐希子、ワイシャツの男や歩ける人間が総出で後ろから押す。
 それでも動けない人間はぞくぞくと現れる。無理やりリヤカーに詰め込み、汗を流しながら押した入り引いたりするうちに、やがて水も無くなってしまった。
 会社までは大体三百メートルくらいだろうか。
 だが、その三百メートルがとてつもなく遠いと、大根田は感じた。
 五十嵐が声を張り上げる。
「おう! なんか役立ちそうな能力持ちはどんどん言ってくれ! 早くしねえと、全員干乾しになっちまうぞ!」
 ワイシャツの男がリヤカーを押しながらハンカチで汗をぬぐう。
「なるほど、あんたの馬鹿力はそういうことか。すまんが俺は役に立ちそうにないわ。俺はほら――」
 男は目をぐりぐりと左右別々に回す。
「か、カメレオンみたいですなあ!」
 ふうふうと息を吐きながら大根田が驚きの声をあげた。佐希子が汗でべちゃべちゃの顔で唸る。
「ぐ、ぐたいてきには、はぁはぁ、なにが、ひぃひぃ、できるの、ふぅふぅ、ですかよ……」
 ワイシャツの男は、よく判らないんだよなあと首を捻った。
「視界が左右別々にちょっとずつ広がってる気がするけど、まあ、だからどうしたって感じで」
 リヤカーを押す禿頭の男が手拭いで顔を拭いながら、にやりと笑う。
「俺は――夜目が利くようになった」
「い、今! 明るい、じゃん!」
 佐希子の絞り出すようなツッコミに脱力したような笑いが広がる。

 大根田は辺りを見回した。
 昨日、水が結局買えなかったコンビニ、シングルマートが瓦礫の向こうに見える。
「五十嵐さん! シングルマート! コンビニに水か何かがあるかもしれませんよ!」
 ワイシャツの男が目をぐるぐると回した。
「いや、何もないよ。コンビニ自体がなくなった。壁しかないんだよ」
 成程、歩を進めると角度が変わり、後ろの壁以外何もないのが見えてくる。
「ええ!? 昨日は、ちゃんとしてましたよね? ヨモツ――化け物が暴れたんですか?」
 禿頭の男が、頭を振った。
「あ、あのでっかい奴の事か? あれは、駅の方にいたけど、ここらにはいなかった、ぞ。すげぇでかいゴキブリとかミミズなら見たけど」
 ミミズぅ!? と佐希子が声を裏返させる。
「そ、それを、詳しくぅ」
 禿頭の男は目に入りそうな汗を拭う。
「昨日の夜、さっきの橋の上から川の底を見たら、大量にうねうねしてたよ――ああ、もう汗が目に入って痛い!」
 ワイシャツの男が空を見上げる。
「まあ、ともかく、そこのコンビニは無いんだよ。昨日の夜はどっからか仕入れた水とかを売ってたんだが――」
 佐希子が顔を拭った。
「……ぼったくってた?」
 ワイシャツ男が笑う。
「ああ、ペットボトル一本三千円だとさ」
 五十嵐が、すひーっとかすかすの口笛を吹く。
「そいつぁ豪気だ。で、誰かが暴れて火でもつけて、なくなったわけか」
 ワイシャツ男が、よく判らんと暗い声を出した。
「馬鹿々々しくてすぐに離れたからな。その後、しばらくしたら怒鳴り声とか、ガラスが割れる音とかが聞こえてきて、それから――」
「それから、どうなり、ました?」
 大根田は踏ん張り段差を何とか越える。
 重いのは疲労の所為か、それとも五十嵐も疲れてきたのか、はたまたリヤカーが重すぎるのか。
「爆発みたいなのが聞こえた。バーンって、やつ!」
 ぐっとリヤカーがまた段差を超える。 
 佐希子と大根田が顔を見合わせた。
「それは――その、爆弾とか――」
 ワイシャツの男は頭を振った。
「それは知らない。俺は遠くから聞いただけ。煙が上がっていたようだけども……」
 禿頭の男は、手拭いで頭を拭った。
「俺は夜目が利く。だから、近くまで行って、その――連中を見たよ」
 大根田はぎくりと体を強張らせた。
「連中……人、ですか? あの黒い化け物じゃなくて?」
「人だ。化け物じゃない。連中は十人か、そのくらいで――その――笑ってたよ」
 五十嵐が汗を拭った。
「……そうか」
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