第18話:満州事変と515事件

文字数 1,518文字

昭和恐慌で、非常に大きな打撃を受けたのは、農村であった。生糸の対米輸出が、激減した。さらに加えて、デフレ政策と1930年「昭和5年」の豊作による米価下落、朝鮮、台湾からの米の流入によって米過剰が増大し、農村は壊滅的な打撃を受けた。

 一方、満洲では中国国民党の妨害とソ連の暗躍で権益が脅かされ「昭和6年」1931年、状況打開のために関東軍が満洲事変を起こした。我慢を続けてきた日本国民は、これに、喝采を贈った。さらに国内では飢えに苦しむ貧しい農村で娘たちの身売りが日常化していた。そうした背景の中で国家社会主義ともいうべき思想が蔓延。

「貧困にあえぐ国民がいる一方で大資本家が経済搾取を行なっている」
「それを助長する政党政治を倒さなくてはならないというものだった」。
 そして年が明けた「昭和7年」1932年5月15日、五・一五事件が起こりました。海軍の青年将校たちが、犬養毅首相を暗殺した。その日は日曜日。

 76歳の犬養首相は首相官邸におり高齢ながら医師の診断を受けても健康だったようです。17時半頃、首相官邸に乱入した将校らは警備の警官を銃撃し食堂にいた犬養のもとに殺到。そして一人が引き金を引きますが弾が装填されておらず不発。犬養は慌てずに一同を応接室に案内した。自分の考えを今日本が置かれている状況を踏まえて説き聞かせる気だった。

 ところが将校らは「問答無用」とばかりに犬養の腹部と頭部を撃ち立ち去った。女中たちが駆けつけると犬養は「撃った男を連れてこい。よく話して聞かすから」と、最後まで言論で説得しようとする姿勢を見せます。しかし傷は重く日付が変わる前に絶命。丸腰の老首相を武装した軍人が射殺する紛れもないテロリズム。

 この放送を聞いていた体調の良くなかった萩原兵衛は泣きながら何て事をしやがる。丸腰の76歳の爺を複数の若者それも将校が腹部と頭部に2発の銃弾を撃ち込むなんて、何て情けない奴等だと言い大声で怒鳴った。この国は、こんな能無しの荒くれ者が将校になるなんて、もうおしまいだと言った。頭になる奴は冷静さと聡明さが絶対に必要なのだと諭すように話し続けた。

 それを言い終えると、静かになって、俺も80歳を超えて、老い先短いが、みんなに話しておきたい事があると長男の萩原展一と次男の萩原展二を呼んでこいと、奥さんの申しつけると、しばらくして2人が父の枕元に来た。すると日本男子、卑怯なことはするな、熱き心は忘れるな、しかし常に冷静は頭を持ち続けろ。間違ってることは間違ってると、自分の信念は曲げるな。

 弱気者達を助け、悪を悪む人間でいろ、わかったなと言うと萩原展一と萩原展二わかりましたと述べた。これからの日本は悪くなる一方かも知れないが萩原の家族を決して見捨てないで援助していってやってくれ頼んだぞと述べると、大声で泣き声を上げた。それを聞いて長男の萩原展一が父さんの言いつけを守って生きて行きますと答えた。それで良しというと帰って行った。

 その後、1936年「昭和11年」2月26日・水曜日から2月29日・土曜日にかけて、226事件が、起こった。昭和初期、陸軍内の派閥の一つである皇道派の影響を受けた一部青年将校ら「20歳代の大尉、中尉、少尉達」は、「昭和維新、尊皇斬奸」をスローガンにした。

 彼らは、政治腐敗や農村困窮の要因と考えていたところの元老重臣さえ殺害すれば、天皇親政が実現し、諸々の政治問題が解決すると考えていた。当初は、陸軍首脳もその様な青年将校運動を、内閣などに対する脅しが効く存在として暗に利用していた。しかし、あくまで官僚的な手続きを経て、軍拡を目指す統制派が台頭し、陸軍と内閣の関係が良好になってきた。
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