2日目

文字数 2,747文字

2日目

 結局、私はこうして日記を書いている。
 朝になってもこのふざけた状況は夢まぼろしと消えず、わけの分からない樹海の中だ。脳と身体に栄養を与えるために、とりあえず鮭おにぎりを一個食べた。戻るべき現実を感じさせる味に、行動力が戻っていく気がした。過度の空腹は理性を揺らがせる事を実感した。チョコとアメがまだ残っているので、定期的に糖分だけでも摂取した方が良い。
 腹が多少満たされ私は落ち着きを取り戻した。そして昨晩の幻想的な光景を思い出し、今更ながらに恐怖を感じていた。竜との遭遇が突然であり、さらにその美しさに呆気にとられていたけれど、すぐに火を消すべきだったのだ。もし彼らが暗い森に灯る一点の火を見つけたらどうなったことだろうか。神々しいからと言って、襲いかかって来ないという保証はどこにもない。いま未知の状況に叩き落とされているのだ。どれだけ慎重になっても度が過ぎるということはない。
 慎重さと同時に、私は自ら行動を起こさなければならない。どう考えても救助は絶望的だ。このまま森の中にいたら危険な生物のエサになるか、飢えと渇きで死んでしまう。全てを成り行きに任せて死に逝くほど、私は達観していない。足掻き生きていくことを選択した。

 目標はこの森を脱出することだ。森の外には人間がいるはずだ。竜がいるんだから、人間がいないなんて絶対におかしい! 甚だ理論的ではないけれど、そうとでも考えなければキツすぎた。

 私は焚火が完全に消えていることを確認し出発の準備を始めた。昨日は混乱していて忘れていたけれど、携帯電話のアプリにコンパスがあることを思い出した。
 アプリを起動してから携帯電話を様々な方向に向けたり、ひっくり返したり、軽く歩いてみたりした。画面内の方位磁針はほぼ同じ方向を指している。
 電子コンパスは周囲の磁性体に対して補正を行うので、磁石を使った方位磁針よりも高い確度が保証されている。とはいえ、それは地球の地磁気に対してなので、信用しすぎるのもよくないだろう。磁北と真北が違うことも一応は留意すべきだ。
 ただ、この場所(世界?)に地磁気のようなものがあると仮定すると、それだけでいくつか想定できる。例えば地磁気の発生をダイナモ理論で説明すれば、地面の下にマントル対流が存在していることになる。地殻が動いているのだから造山運動から大山脈の形成が考えられる。大山脈があれば極端な気候の差異があることになる。こういった外的要因は進化や文明発達の常だ。人間やそれに類する知的生命体が存在すると期待できる。
 というか、他の人間がどこかにいると期待していないとやってられない!

 私は昇り始めた太陽の位置を東と仮定し、昨日と同じ南の方角に向かって歩くことにした。コンパスは重要だけれど、昨日のように電波を常に気にしながら動くのは危険だし、なにより電池がもったいない。携帯電話は鞄の底に押し込んだ。
 開き直ったせいか周囲を観察する余裕が出てきた。例えばその辺りに生えている樹木。見る限りではコナラのような広葉樹ばかりだ。一般的に広葉樹は成育が早いので、条件が整えば針葉樹より多く繁茂する。だからこの場所の標高は低いと考えた。平野部か山裾の可能性が高い。また広葉樹は寒さに強くないことから温帯、冷帯だとしても緯度はそれほど高くないはずだ。
 竜の存在する世界だとしても、私が息をして普通に歩いている以上は物事の道理もそれほど変わらないだろう。とはいえ、色々と仮定した大雑把な情報がすぐに役に立つわけもなく。私には、あてどなく森をさまよい歩くことしか出来なかった。

 探したのは水場だった。人間が動けなくなる最初の理由は大抵が脱水症状だ。空腹でも歩けるけれど人体の構造上、水が少なくなると脳が引き起こす防衛反応に身体の支配権を握られてしまう。救助が期待できないのだから、もっとも避けなければならない状況だ。だからペットボトルに残っていたお茶を定期的に飲んだ。
 水場ならなんでも良いわけではない。地面に溜まった泥水では困る。衛生的な観点からも池や水溜りなどよりも、流れのある小川やできることなら湧き水が良い。低温の水はそれだけで雑菌の数が少ないことが期待できる。

 結局、今日は水場は発見できなかった。けれども収穫はあった。辺りに注意を払いながら歩いていると、頻繁に動物の気配を感じられたことだ。枝を伝わるリスのような生き物、木々の間を飛ぶムササビのような影、穴からひょっこりと顔出した生き物はウサギそっくりだった。それに頭上を飛んでいく小さな鳥から大型のミミズクらしき鳥もいる。私の技術や運動能力で彼らを捕らえるの難しい。しかし、小動物が多数暮らしているという事は、彼らがエサとする木の実や果物が存在するはずだ。全てが肉食ということはないだろう。実際、それらしい食べカスも見つけた。
 鳥だけではなく昆虫類も多く生息している。メスのカブトムシに似た虫や、列を成す黒い蟻、手のひらサイズのバッタなどが、樹の幹や草陰に生息していた。
 昆虫は良質なタンパク源として摂取できる。ビタミンやミネラル、必須アミノ酸も食肉とそれほど変わらない。イナゴの佃煮やハチノコ、アリ、虫キャンディーなど国内外を問わず例を上げたらキリがない。幼虫系は生でも食べられ、甘くて美味しいらしい。
 と、知識では知っているけれど、実際に食べる覚悟はまだできていない。ワキワキと動く節足を見て、私はまだ餓えを選んでしまった。
 残っていた最後のおにぎりを食べる。お米がパサパサになってしまっていて、せっかくのシーチキン味が台無しだ。最後のまともな食事になるかもしれないと悲しくなった。こんなことなら、まだ美味しい昨日のうちに食べておけば良かった。
 なにより困ったのはペットボトルのお茶がなくなったことだ。人間が1日に必要な水分は3リットル程度だ。口にしたのはおにぎり2個とお茶を300ミリリットル程度だ。とてもではないが足りていない。明日はなんとかしなければならない。それこそ昆虫やわけの分からない木の実を食べるぐらいの覚悟が必要だ。

 今日のキャンプは樹木の下だ。昨日と同じように火をおこした。地面に表出したうねる大きな根に身体を預けて眠るつもりだ。
 最後に軽く荷物を確認しておこう。

 鞄
 筆記用具
 プリントの入ったクリアファイル
 携帯電話 電池は80%程度
 財布 カードやレシート なんの役にも立たない金銭
 ノート 4冊
 電子辞書 単三電池2本入り
 ポケットテッシュ 2つ
 タオル
 ハンカチ
 空きペットボトル
 お菓子 チョコ6枚 アメ10個
 ビニール袋 2枚
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