11日目

文字数 5,444文字

11日目

 とても疲れている。
 目まぐるしい事態の変遷に身も心もへとへとだ。
 それこそ朝から劇的だった。

 夜更かしのせいで少し寝坊した私は、人間の大きな声で目を覚ました。はじめは子供たちが朝から押しかけてきたのかと思ったけれど、意識がはっきりすると、やたらと野太い声だと分かった。訝しんだ私は身を屈めたまま窓から外の様子を伺った。
 小屋の正面に6人もの大人の男性が立っていた。手には斧や棍棒を手にしている。剣呑な雰囲気を漂わせている彼らの背後にはユエンの姿もあった。
 私の存在を知った大人たちが、子供をかどわかす不審人物を成敗しに来たようにしか見えなかった。おそらく、あのタゴタゴとかいうキノコを持って帰ったことが切っ掛けだ。獲物をどこで捕えたのか聞かれて、私のことを伝えたといった所だろう。口止めしたくても、できなかったのだからしょうがない。
 私が答えないので、大人たちはジリジリと小屋に近寄ってきた。一瞬逃げようかと考えたけれど、子供のユエンの身体能力ですら私より上だ。見るからに逞しい男たち相手に、私が逃げ延びることはできないだろうと思った。
 木の槍なんて相手を刺激するだけで百害あって一利なしだ。私は荷物の入った鞄だけを手にし、小屋の外に出た。
 私の姿を見た男たちは、一様に不審そうな表情を浮かべた。彼らが身につけている服と、私の着ている服では見た目が違う。感覚的には明治や大正時代の人間が、現代人の服装を見るようなものだろう。不思議に思うのは仕方がない。
 とりあえず敵意がないことを示そうと私は両手をあげた。同時に助けを求めるようにユエンの方へ視線を送っていた。子供に助けを求めるなんて情けない、とか言っていられる状況ではない。
 そんな私の視線に気づいたユエンが、男たちに何やら話しかけていた。無実を訴えてくれているのだと私は信じていた。
 お世辞にも屈強と言えない私の姿と、ユエンの説得のおかげか、男たちも武器の構えを解く。まだ私の事を強く警戒しているのは分かったけれど、すぐさまぶん殴られる様な事はなさそうだ。
 豊かな髭を蓄えた男が一歩進み出た。四〇才ぐらいか、長身でガッチリとした体格をしている。手にした大振りの斧がよく似合っていた。ユエンが話しかけていたので、彼がリーダーなのだろう。
 思い切って私は自分から「ハール」と震える声で挨拶をした。男は低い声で「ハール」と返して来た。男たちが私とコミュニケーションをとる意思があることが分かり、少しだけ安心する。
 そこから男が何やら話しかけて来たけれど、私にはまるで理解することが出来なかった。分かったことと言えば小屋を指す「ディンス」という単語ぐらいだ。ただ、この言葉が何回か繰り返されたので、小屋を問題にしているのだと思った。最後に髭の男は何かを確認するように私の方を見た。
 私は言葉が通じない異邦人であることを分かってもらうために、日本語で話すことにした。ジェスチャーを混じえて名前を名乗り、さらに小屋を使わせて欲しいと訴えた。
 男たちは日本語を聞いてもそれほど慌てず、ただ怪訝そうな表情を浮かべていた。ユエンから私がどういう人間か聞いていたのだろう。
 お互いに言葉が通じないので、やはりシラーっとした沈黙が訪れる。しかし、この反応はすでに経験済みなので、私は積極的に話を繰り返すことにした。
 自分と小屋を交互に指し、寝たり食べたりのジェスチャーをする。私の必死の身振り手振りを、男たちは真剣な表情で解読しようとしていた。
 ニュアンスが通じたのは、私の行動に少し慣れているユエンだった。ユエンが男たちに話しかけると、男たちも理解できたと嬉しそうに表情を崩した。もし事情を知らない人間が傍目に見たとしたら、無声の喜劇かコントだろう。
 髭の男は私の方を向くと、渋い表情で首を横に振った。昨日の子供たちを観察して『頷く』が『YES』に対応し、『首を横に振る』が『NO』だと確信していた。つまり男はこの小屋を使うなと言っているのだ。
 誰かの所有物なのかもしれないと考えた私は、次に小屋と男たちを交互に指さした。男たちは首を横に振った。どうやら私が不法占拠していたわけではないらしい。
 となると何が問題なのか分からない。単純に不審者を排除したいだけとしか思えなかった。
 私が困惑していると、髭の男が手招きをした。どうやら一緒に来いと言っているようだ。私としては素性のはっきりしない彼らは怖い。私が迷っていると、髭の男は何かに焦るかのように、私の方に手を伸ばしてきた。
 私は反射的に身体を引いてしまった。やはり走って逃げてしまおうかと考えた時だ。

 大きな影が太陽を遮った。次の瞬間、立っていられないほどの地響きが私たちを襲った。巨大な何かが森に落下し、木々がなぎ倒されていた。
 わけも分からず仰ぎ見ると、それは巨大なヘビだった。大蛇という言葉が陳腐になるほどの巨大さ、胴回りの太さだけで4メートル以上はある。それが空から降ってきたのだ。茶褐色の巨大ヘビは威嚇するように空へ向かって鎌首をもたげる。
 脅威はそれだけではなかった。今度は鷲のような巨鳥が翼を広げて襲来した。赤く美しい翼は、端から端まで30メートルはあるだろう。猛禽類の特徴である、鋭い爪と嘴で巨大ヘビに襲いかかった。
 まさに怪獣バトルだ。ヘビが巨鳥に噛み付こうとすれば、そのひとうねりで樹木が問答無用でへし折られる。巨鳥がヘビを爪で捕えようとすれば、その羽ばたきで地面が掘り返されそうな突風が巻き起こる。
 私は恐怖で動けなくなっていた。と、同時にどうして男たちがこの場所が駄目だと言っていたのか理解した。この森は巨大ヘビや巨鳥の狩場だった。非力な人間は樹木の陰に隠れて、草や木の実をとるのが精々という場所なのだ。この小屋で暮らしていた人間がどうなったのか? 考えたくもなかった。
 へたり込んだ私を地面から引き剥がしたのは、髭の男の太い腕だった。男は情けなく震える私を担ぎ上げ、さらに鞄を手に取ると猛然と走りだした。
 見る間に破壊の嵐が遠ざかっていった。木がなぎ倒される破砕音や地響きが伝わってくるけれど、男は力強い足取りで走り続けた。
 巨鳥の鳴き声が遠くなった頃に、私は地面に降ろされた。男は危険がないと判断したのだろうけれど、恐怖にとりつかれていた私は懸命に走った。死に物狂いとはこのことだろう、とにかく目の前に見える人間の背中を追い続けた。

 どんな道順を通ったのか分からない。例え冷静だったとしても、私には森の木々を見分けることは難しかっただろう。不安定な吊り橋を渡ったことだけは覚えている。
 気づいた時には酸欠状態で倒れた私を、大勢の人間が覗きこんでいた。あの髭の男やユエン、それに女性の顔もあった。視界の端に建物や柵も見える。どうにか無事、集落へ到着できたと分かった。
 しばらくゼーハーゼーハーして息を整えてから、私は身を起こした。私の事を初めて見た集落の人々は、好奇心丸出しの視線をバシバシと送ってきた。怪しい人間を捕らえに行くという話は伝わっていたのだろう。そして、やってきたのが珍妙な格好で地面に倒れ込む軟弱者なら、人々もそういう表情になることだろう。
 私は震える唇でどうにか愛想笑いを作り「ハール」と挨拶をした。集落の人々は困惑した表情で「ハール」と返して来た。
 私も途方に暮れていたけれど、集落の人たちも私の処遇に困っているようだった。胡散臭そうに見る人もいるし、集まってきた子供を遠ざけようとしている人もいた。数人が私の事で揉めているのだけれど、その内容がまったく分からないのが怖かった。怪獣特撮から逃れたら、今度は法廷ドラマが始まったようなものだ。息つく暇もないとはこのことだ。

 しばらくざわざわしていると、姿の見えなかった髭の男が白髪の老人を連れて戻ってきた。集まっていた人々の視線が老人に集まる。全員が敬意を払っている様子から、この老人が集落の権力者だと分かった。
 老人は無言で屈むと、地面に座り込んだままの私の肩に両手を乗せた。それからジッと私の目を覗きこんできた。その黒い瞳は穏やかだけれど、湖のように私の視線を吸い込んで離さなかった。まるで心の底まで見通されているような気分になる。
 老人が何かを呟くと、私はハッとしてまばたきを思い出した。一瞬の出来事のはずだけれど、とても長い時間に感じられた。通じるわけがないのに、私は「助けてください」と言葉を絞り出した。
 老人は深く頷き、私の頭をポンポンと優しく撫でた。老人の穏やかな表情に懇願が通じた気がした。老人は髭の男を手招きするとその耳元に何か喋りかけた。男が頷くと、老人は次に集まっていた集落の人々に向かって語りかけた。それを聞いた人々は納得したよう様子で、その場を離れ始めた。
 私は事態が飲み込めずキョロキョロしていた。すると、髭の男が私に向かって喋りかけ手招きをした。どうやらついて来いと言っているようだ。私は男の後について歩き出した。残っていたユエンと彼の仲間たちも一緒についてきた。

 案内されたのは集落の中に建つ一軒の家だった。家といっても、あの猟師小屋よりもひと回り小さいだろう。髭の男が扉を開けると、中には木材や農具が乱雑につめ込まれていた。空き家を倉庫に使っているような雰囲気だった。
 髭の男は持っていた私の鞄を家の中に置いて、私と小屋を順番に指さした。貸してくれるということらしい。なんて良い人達なんだろうと感謝で胸が一杯になった。
 同じ言語を持たない私は、爆発しそうな感謝の気持ちを100分の1でも伝えようと、何度も頭を下げて「ありがとう」を繰り返した。髭の男は少し困ったように眉を上げていたけれど、少しは伝わった気がした。
 髭の男は家の中から木材を取り出すと、家の脇に置いた。それからまだ中に大量にある木材を指さして、次に外に出した木材を指さした。片付けて使えということらしい。私が別の木材を運びだしてみせると、男は満足そうに頷いて去っていった。

 私が家の片付けを始めると、ユエンや彼の仲間の子供たちが手伝ってくれた。私は彼らと協力して、余計な木材を運び出し、農具を家の隅に片付けた。家には小さな暖炉がついていて、子供たちがどこからか薪と火を貰ってきてくれた。
 私一人では夜中まで掛っただろう作業が、なんとか夕暮れには完了した。私が「ありがとう」を何度も繰り返すと、子供たちは「ナークル」という言葉を教えてくれた。「ありがとう」という意味のようだ。

 片付けが終わり子供たちが解散していく中で、ユエンが私の手を引っ張りどこかへ案内し始めた。小屋の前の畑道を進み見えてきたのは、L字型の一軒家だった。Lの空いた部分には、家畜だろう牛によく似た動物が飼われていた。
 ユエンに促され家に入ると、料理が並ぶ長机と4人の大人の姿があった。権力者の老人と老婆、それに髭の男とユエンによく似た女性だ。夕食時に私が乱入しても4人は慌てていないので、ユエンの家の夕食に招待されたのだとすぐに分かった。
 老人の「ミグスム」という言葉で食事が始まった。祈りの言葉か「いただきます」なのだろう。
 ユエンの母親と祖母だろう2人が、私に次々と食事を勧めてくれた。ニョッキに似た粉物とキノコのソテー、鳥肉っぽい何かの塩焼き、数種類の根菜とベーコンらしき肉切れのスープ、さらにアルコールが入っていそうな果実の飲み物。
 塩分の効いた濃い味付けだけでもうれしいのに、どの料理もとても美味しかった。芋の切れっ端とは、比べものにならないほど豪勢なご馳走に舌鼓を打った。
 普段から食べている料理なのか、歓待のための料理なのか分からないけれど、もうお腹に入らないというほどの量を勧められた。

 食事が終わり私はユエンの案内で小屋に戻った。私としては言葉を学ぶために少しでも会話を試みたかった。しかし、ユエンの家族としては言葉の通じない相手と『談笑』なんて無意味だろう。
 ただ食事中に聞こえてきた言葉でユエンの家族の名前は把握した。
 ユーズカ ユエンの祖父
 ラナ   ユエンの祖母
 ジェルガ ユエンの父
 リテン  ユエンの母

 全員、黒髪に黒目。日本人よりも多少彫りが深い。ユエンの父ジェルガなどは精悍な顔立ちで、髭さえ剃れば日本でもモテそうだ。今は母親に似ているユエンも成長すれば父に似てくるのだろう。

 料理は美味しい以外にも、嬉しい事を私に教えてくれた。しっかりと塩味がついていたことだ。
 塩を手に入れる方法は3つある。
 1つは岩塩だ。造山運動や海進海退による岩塩鉱床の形成で山の中や内陸部でも塩が取れる。
 マイナーな方法として、地中の塩化ナトリウムを吸収して濃縮する植物だ。アイスプラントなどがある。
 そして最も一般的なのが、海水から塩を生成する方法だ。単純に海が近いという可能性もあるけれど、他地域との交易が成立していることが期待できる。

 この森から広い世界へと繋がっているなら、日本へ帰る方法がきっとどこかに存在している!

 それこそ雲をつかむような可能性だけれど、仕組みがわかれば雲だって作ることができる。

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