15日目

文字数 4,345文字

15日目

 早朝、村の広場へ行くとガイスが屋台を片付け、旅支度をしていた。商品を売って軽くなった分には、村で仕入れた織物を積んでいた。緻密な絵柄の織物は、きっと良い値段で売れるのだろう。
 私が挨拶をするとガイスは作業の手を止めて話しかけてきた。喋っている内容はあまり理解できなかったけれど、積み込まず地面に置かれたままの黒板と蝋石を私に渡してきた。どうやら子供たちに算数を教えるときに使ってくれと言っているようだ。これは助かると私はありがたく受け取った。
 ガイスはさらに何か思いついたように荷物を漁ると、1枚の木札を取り出した。10cm×5cmほどの板の中央に紅色の石がはめ込まれている。村人たちが買っていた木札と形は同じだけれど、石の色が違った。ガイスはそれも私に差し出した。
 私が断ろうとすると、ガイスは大丈夫だと言いたげに歯を見せてニカッと笑った。遠慮しすぎても変なので、私は木札を受け取った。手にとってから、そもそもこの木札が何なのか分からないことに気づいた。
 私が木札を指さして「これ何?」と尋ねると、ガイスは少し驚いた。どうやら人々にとっては一般的な物のようだ。
 ガイスは右の人差し指を左の掌に当て、擦るような真似をした。どうやら木札の中央の石を擦って見ろと言っているようだ。私は言われるままに、紅色の石の表面をスッと擦ってみた。
 するとどうだろう、紅色の石が淡く光り、その中央にゆらりと小さな炎が現れたのだ。驚きのあまり声を上げた私は、木札を取り落としそうになった。そんな慌てっぷりにガイスは声を出して笑った。少々からかわれたのかもしれない。
 マッチのようにリンが燃焼したわけでも、高電圧による火花放電でもない。どんな原理か分からなかった。それこそ魔法にしか思えない。私の知っている科学とは別の科学体系が存在しているのかもしれない。
 原理は分からずとも、この木札がマッチ代わりになるのは確かだ。これで毎晩ユエンの家から松明をもらわず、貸家の暖炉に火を入れられる。私はガイスに感謝を伝えた。
 その後、集まってきた村の人々に見送られガイスは次の目的地に向かった。

 今日は午前中が授業の時間だった。大人たちが農具や荷車の手入れ、畑焼きをしているので、余っている子供たちをまとめておくのに丁度いいのだろう。
 私はまず子供たちと一緒になって石拾いをした。もちろんただ拾うだけではなく、「オル、ライ、セン……」と数字を数えながらだ。上は11才のユエンから、下は6歳ぐらいまでの子供たちがいるので、とにかく数字に慣れてもらうのが第一だと考えた。
 20個まで拾ったところでようやく本格的な授業に入った。教え方は昨日と同じだ。拾った石を並べて初歩的な算数を実践した。
 始めは実際に石を動かしていくつか計算をしてみせた。例えば「3+4」なら「3つの石」と「4つの石」を合わせて、1個ずつ数えて「7つの石」という具合だ。5問ほど繰り返して全員が石を使っての計算が理解できていると分かった。
 次に私はガイスが置いていった黒板に2+3と書いて、子供たちに解かせてみた。年長のユエン達はすぐに数字で5と書くことができ、年少の子供たちは石を動かして5を求めることができた。解くまでの時間に差はあるけれど、数字を使った足し算の仕組みは全員ができているようだ。
 私は「7+9」という問題を出してみた。今度はユエン達も石を動かして計算していた。二組の解答までの時間はそれほど変わらなかった。どうやら桁上りのある計算が少し難しいようだ。引き算を教えるより先に、私は徹底的に桁上り込みの足し算を彼らに教えることにした。
 徹底的といっても、簡単な暗記と変わらない。子供たちの真剣さもあり、お昼ごろには全員が桁上りを理解し素早く答えることができるようになった。

 昼食は各家が持ち寄ったパンやハム、果物をみんなで一緒になって食べた。子供たちは遊びと食事が一緒になっている元気な有り様で、小学校の遠足を引率している気分になった。私がまだパンを齧っていても彼らはお構いなしに、一緒に遊ぼうと袖を引っ張ってきた。そんな彼らに引っ張り回されながら、私も少しずつ言葉を学んでいった。

 昼過ぎに大人たちの準備が終わると、私や子供たちも作業の手伝いをすることになった。
 広場に集められた荷車と一緒に、私たちは村の外へ向かった。荷車に桶が載せられていたので、最初はみんなで水汲みでもするのかと思っていたけれど違った。荷車を引いて先頭を進む大人たちは川ではなく、森の方へ向かった。
 森へと続く吊り橋の前で隊列が止まる。吊り橋の幅が狭いので、荷車はここまでしか使えない。積んでいた桶を手に持ち、揺れる吊り橋を渡っていった。
 そこからさらに森の奥へと進んだ。木々の緑が深くなったところで、リーダーのジェルガが見定めたように頷き、何かを「集めろ」と指示を出した。村の人々が散開し、樹の根元や地面に屈みこんだ。
 私は集めるモノの正体が分からず、他の人間の行動を観察した。大人も子供も手にした桶に、地面に積もっている葉っぱやその下の土を集めていた。ただの葉っぱや土ではない発酵している黒い土だ。
 畑に撒くための腐葉土を、森まで採取しに来たのだと分かった。
 腐葉土を土に加える主な目的は、保水性と通気性を高めるための土壌改良だ。腐葉土の主成分はほぼ窒素であるめ、栄養素的に見ると不十分だ。しかし、腐った葉っぱなどの有機物はミミズや微生物の餌になるため、それらの活動が活発化した結果として土中の栄養素が豊富になる。
 ただ腐葉土は、無闇に畑に撒けば良いというものでもない。発酵することで土中のphが酸性に傾きすぎる可能性がある。そうなると作物の育成には不向きになってしまう。また撒いた腐葉土の中に作物にとって有害な菌が存在している可能性もある。
 そこで思い出されるのが村の畑で行われていた畑焼きだ。植物の灰はアルカリ性だから土壌のph調整に役立ち、さらに殺菌作用も期待できる。
 経験則によるものなのか、科学的な知識によるものなのか分からないけれど、とても合理的な畑作だと言える。

 私も作業に加わり桶に腐葉土を集めていると、ユエンや子供たちがやって来て色々と話しかけてくれた。その中にはこの作業が何のためなのかの説明も含まれていた。全ては聞き取れなかったけれど、なんとなくのニュアンスは伝わってきた。どうやら土を村に持ち帰ることで「森のララムに力をもらう」らしい。ララムとは初めて聞く単語だった。文脈からして神や精霊を指す言葉か、それらの固有名詞だろう。彼らの信仰の一端が覗けた。

 腐葉土は村中の畑に撒くため住人総出の作業だった。何度も森と村を往復したので、数トンの腐葉土は運んだことだろう。担い手の少ない日本の農業が化学肥料や耕作機械の利便さに支えられていることが身にしみて分かった。
 私と子供たちはへとへとになり、大人たちより一足先に仕事が終わりになった。腐葉土運びでかなり汚れてしまったので、そのまま川へ服と身体を洗いに行った。川では織物を洗っている人がいたので私たちは、少しだけ下流に移動した。
 これまではちょっとした空き時間に一人で川に行って身体を洗っていたけれど、今日は子供たちも一緒だ。人前で裸になるのは少し恥ずかしかったけれど、そこは子供たちだけだと自分を納得させた。
 石鹸は無いので水の中に入って頭や身体を指先で擦るだけだ。私と子供たちがバシャバシャと暴れるので、澄んだ流れがあっという間に土色に濁ってしまった。
 川に入って子供たちがおとなしくしているわけもなかった。流れに逆らって泳いだり、水をかけ合ったり、深みに飛び込んだりとはしゃぎ回っていた。
 それが一息ついたところで、子供たちはあの見事なコンビネーションで魚を捕らえてみせた。私も彼らに加わり魚の掴み取りにチャレンジしてみた。もちん結果は散々だ。師匠たちの足元にも及ばない運動神経の私は、濡れた石に滑って転んで全裸のまま水中に没し、子供たちに大爆笑される始末だった。
 洗濯した私の服はビショビショなので、ユエンの母親が貸してくれた服を身につけた。特産品の織物と違い、服の縫製は単純なもので、丈の調節は縫い付けてある紐で行った。
 日が落ち少し寒くなってきたので私たちは川から上がった。捕まえた魚を桶に突っ込み村に向かう。その途中で、まだ織物を川に浸けているあの人の姿があった。
 夕日に染まる川に、紫の織物が夜を広げているように見えてとても美しかった

 ユエン家の食卓には、私たちが捕まえた魚を使った料理が饗された。魚の香草焼きと分厚いキノコのソテー、それにカボチャっぽい黄色いトロトロスープだ。魚から滲み出る旨味と香草が薄い塩で引き立てられ、さらに噛みごたえのあるキノコのソテーと一緒に食べると、もう最高だ! 甘みのあるカボチャっぽいスープも魚の塩っけの後にピッタリだった。

 美味しい料理に感謝してユエンの家を後にした。ふと、今日はやたら月の光が明るく感じた。
 それもそのはずだ、夜空に月が2つも浮いていたのだ!
 この世界にやってきた日に竜を見て以来、夜空を見渡したのは初めてだった気がする。街灯もない夜道は出歩かないし、そもそも日記を書いたら疲れて寝てしまっていた。ただ思い返してみれば、夜の月と昼の薄い月とで形が違う事があったような気がする。常識が「月は1つ」だと私に思わせていたので、今まで気づかなかったのだろう。
 満月が東の空にあり、半月が南中ほどだろう。サイズは満月の方がひと回り大きく見えるけれど、錯視かもしれないので正確には分からない。
 とてもとても遠くにいるのだという事実が胸に突き刺さる。
 酷く心細く感じた。郷愁に浸りながら、私は満月と半月が同時に存在している神秘的な光景を眺め続けた。
 10分ぐらいだろうか、そろそろ貸家に戻ろうとした時、視線を感じて振り返った。
 誰かが足早に広場から去っていく後ろ姿が見えた。頭にフードを被っていたけれど、そんな服装の人は今日の作業にいなかった気がする。
 ガイスのように他の集落からの客人や、どこからかの旅人が訪れているのかもしれない。
 もしそうなら話を聞きたい。特にガイスが私に勧めていた「ジクルス」という場所について何か情報が欲しかった。
 単純に私が知らない村人や、誰かが気まぐれでフード付きの服を着て散歩に出ただけかもしれない。
 それでも明日は一応注意しておこう。そして、チャンスがあったら話しかけて見よう。
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