書評 五十嵐律人『原因において自由な物語』

文字数 1,997文字

 市川紡季(つむぎ)は、「二階堂紡季」の筆名で執筆する若手女性作家だ。紡季は私立北川高校に通う「佐渡琢也(たくや)」を主人公とする新作小説『原因において自由な物語』に取りかかっていた。
 五十嵐律人による本作は、紡季を主人公とする物語の中に、彼女が書き進める小説がきれぎれに挿話される凝った構成である。

 紡季が執筆途中の小説は、ある男子高校生が廃病院の屋上から身を投げるショッキングな場面から始まり、高校二年の琢也の視点で物語が進んでいく。
 琢也は醜い容姿を理由にいじめを受け、クラスで孤立していた。運動が得意だった琢也はバスケットボール部に所属していたが、部内いじめによって写真部へ移籍する。写真部にはクラスでいじめを受けていた朝比奈憂と、自分の容姿にコンプレックスを持つ永誓(ながちか)沙耶(さや)がいた。

 冒頭で飛び降りた男子高校生はいったい誰なのか。琢也はこの先どうなるのか。
 結末が分からないまま、紡季は一心に書き進める。なぜなら彼女は一人で書いているのではなく、恋人の遊佐想護(そうご)が考えた原案を小説に仕上げていたからだ。想護と紡季は原案と執筆を役割分担し、二人三脚で「二階堂紡季」という作家を演じていた。

 そんな想護が、どうしてなのか、廃病院の屋上から転落し、意識不明の重体となってしまう。想護が転落した事件現場では、1年前にも男子高校生が転落死していた。死亡した生徒は私立北川高校に通う「佐渡琢也」だった。
 弁護士である想護はスクールロイヤーとして北川高校に勤務し、琢也の事件の調査をしていたのだ。
 紡季は、自分の書いていた小説が想護の創作ではなく、実際の事件を題材としたノンフィクションであったことを知る。想護の同僚である椎崎(とおる)の協力を得て、紡季は想護の足跡をたどっていく。

 作中で琢也が自分の容姿に強いコンプレックスを抱き、クラスメイトから迫害される背景には、「ルックスコア」という顔認識アプリの存在がある。顔写真をアップロードすると「顔面偏差値」を表示するアプリの登場によって、美醜評価がスクールカーストと直に結びついてしまった。
 本作の「ルックスコア」は想像上のアプリだが、顔認識システムにおける潜在的な差別は、いま世界で注目されている問題である。近年、主要な顔認識システムにおいて白人と比べて有色人種を誤認する確率が高いことが複数の研究で明らかになった。
 現代の機械学習に基づく顔認識技術は、私たちの社会に組み込まれた人種差別や性差別をそのまま

してしまうのだ。
 琢也は容姿の醜さゆえに、人間として劣っていると評価され、疎外されてしまった。「ルックスコア」は、私たちの社会に内在する容貌差別を反映している。

 いじめによる自殺が疑われたにもかかわらず、琢也の事件はなぜか事故死として処理されてしまった。
 想護は、学校名も人名も現実に即した暴露小説を紡季に書かせようとしていた。弁護士としての重大な倫理違反を犯してまで、想護が公表したかった事件の真実とは何なのか。

『原因において自由な物語』という風変わりな表題は、刑法の理論である「原因において自由な行為」のオマージュである。
 ある人が飲酒や薬物使用による責任無能力状態で事件を起こしたとする。結果行為の時点では責任無能力状態だが、自由な意思決定に基づく原因行為が存在する限り、それによって生じた結果行為の責任を問うことができる、という考え方だ。

 生死の境を彷徨う想護の代わりに、北川高校のスクールロイヤーを引き継いだ椎崎は、いじめの加害者に刑事罰を科す難しさを語る。
 遺族にとっていじめによる自殺は殺人と変わらないが、現実の法に照らせば、直接指示するくらい積極的に関与しなければ、自殺教唆罪は成立しない。

 最終的な結果だけを見ても、問題は解決しない。糾弾すべきは、無責任に積み重ねられた自由な意思決定だった。
 
 紡季は事件の調査を進めながら、「想護は自分の意志で飛び降りたのではない」と信じて考え続け、思いがけない真実にたどり着く。


 文部科学省の調査によれば、2019年の学校におけるいじめの認知件数は61万2,496件にのぼる。児童生徒の自殺も後を絶たず、2020年には499人が自ら命を絶った。
 本作は、他者を傷つけた加害者も、見て見ぬふりをした傍観者も、「誰もが無関係ではないし、誰もが責任を負う必要がある」ことを教えてくれる。

「弁護士は、手を伸ばしてくれた人の手助けができる仕事」だと、想護は語る。しかし、琢也のように、声を上げられずに苦しんでいる人は大勢いるだろう。

「私の小説で救えるのかはわからない。でも、きっかけなら与えられるかもしれない」

 この想護と紡季の言葉は、現役の弁護士でかつ作家である五十嵐律人からのメッセージだと思う。
 紡季が語ったように、本作が多くの読者にとって「考えるきっかけ、前を向くきっかけ、助けを求めるきっかけ」となることを願う。
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