第9話:御座席でのウェブの使用はご遠慮下さい・3

文字数 4,411文字

 白花を巡る情勢が管理局とアンダーグラウンドの対立を巻き込んで思った以上に混乱していることがわかってきた。白花自身が意外と重要人物らしいというのもあるし、それはそれとして縄張り争いの種として利用されている感じもある。

 しかし何であれ、恐らく白花に出来ることはあまりない。というより、自分自身では目立つ決定をしたくなかった。
 白花はなるべくどちらにも属さずにニュートラルでいたいからだ。下手に一方に肩入れして他方から敵視されるのは避けたい。白花が守りたいのはNetflixを見ながら引きこもる安寧な暮らしだけだ。

 行動の指針としては、最低限殺されないようにしつつ流れに身を委ねるくらいしかない。
 そもそも白花は槍玉に上がっているだけの被害者に過ぎない。加害者はというと、黒華が間接的加害者、椿と遊希は直接的加害者ということになるか。事態の引き金を引いたのは黒華だが、実際に戦っているプレイヤーは椿や遊希である。
 そう思うと、敵対組織の人間たちを二人きりにして良いものかと俄かに不安になってくる。
 急いで山ぶどうスカッシュを注いで席に戻ると、案の定二人の交渉はかなりヒートアップしていた。語気を荒げて言い争っているわけではないが、戻ってきた白花に気付かないほど盛んに言葉を交わしている。

「さっきも言ったのですが、僕の立場は基本的には白花お姉さんを防衛することなのです。殺害依頼を履行する予定はなく、どちらかというと『蛆憑き』のポテンシャルを利用したい側と言ってよいでしょう」
「それはアンダーの総意ですか?」
「全く違うのです。黒華と僕はそういう派閥というだけです」

 二人の剣幕に席の手前でまごついていると、周囲に薄く白い糸が張り巡らされているのが見えた。
 注意して見なければ気付かないほど細い糸で織られた蜘蛛の巣だ。よくよく見れば席を覆うように何重にも仕掛けられているのがわかる。なるほど、これが遊希の張った蜘蛛の巣で、攻撃を防ぐバリアの役割を果たすのだろう。

「仕掛け人の黒華ちゃんも本当に先輩を殺したいわけではないということですね?」
「僕はそうだと思いますけどね。本当に殺したければ直接蚊で刺して殺せばいいだけなのです。あんな大袈裟な殺害依頼をやるのには別の意図があるのでしょう。とはいえ、白花お姉さんが死んでも構わないとは思っているかもしれませんが」

 白花は試しに蜘蛛の巣に指を突き立ててみる。
 指はすぐに網の目に絡めとられて止まり、そこから一ミリも進まなくなってしまった。驚異的な張力、極細の糸というよりは絡みつく鉄線だ。指を後ろに引き抜くことは出来るものの、他の動作は一切受け付けない。

「遊希ちゃんたちで先輩を守り切る見込みはありますか?」
「微妙なところなのです。白花お姉さんを守り切るというのは、殺害依頼の期限終了まで白花お姉さんを殺させないという意味だと思うのですが、正直言ってそれには期限が長すぎます。だから白花お姉さんにもある程度は自衛できるようになってもらいたいですし、その過程で死ぬのはワースではあってもワーストではありません。死守するわけではないと言っているのは概ねそういう含みなのです」
「なるほど、そちらの事情はだいたいわかりました。そうですね、これはまだ公式な見解ではありませんが、恐らく私が交渉結果を持ち帰った数時間後には、管理局は先輩について『原則として放置、アンダーの誰かに殺してもらうのがベスト』という結論を出す可能性が非常に高いです。先輩を暗殺するのも保護するのもコストがかかりすぎる、だったら黒華ちゃんの依頼通りにアンダーの皆さんに迅速に殺してもらって、そちらの論理で事態を収拾してもらうのが最もリスクもコストも安い方法です。先輩の存在そのものを揉み消すのは難易度が高いですが、先輩が誰かに殺される事件が起こる前提でそれを粉飾するのは比較的簡単です。先輩が死ぬこと自体はワーストケースではないということですし、管理局が原則不関与なら遊希ちゃんとの利害も当然衝突しないはずです。そうですね?」
「はい、それなら問題ないのです」

 白花のいないところで白花の行く末がまとまったようだ。
 白花にも自衛してほしいとか死ぬ前提で粉飾するとか色々と不穏な言葉は聞こえたが、どうせ白花がそれを覆すことはできないだろう。
 しかし、どちらにも白花を積極的に殺すつもりは無さそうなのは幸いだ。その中でも生存可能性を高めるにはどうすればいいかはこれから聞けばいい。ゆっくり喋るためのサイゼリヤだ。
 白花は席に戻り、椿の前にグレープソーダを置きながらメニューを開いた。

「なんかとりあえず一件落着したみたいだし、景気づけに甘いものでも頼む?」
「あ、私ティラミス食べます」
「僕はメリンガータなのです」

 白花は呼び出しボタンを押した。すぐに店員が現れ、メニューから顔を上げかけたとき、窓の方からピシリという小さな音がした。
 そちらを見ると、窓に穴が開いている。そしてその近くの空中で銃弾が浮いて静止していた。今朝と同じだ。
 遊希の蜘蛛の巣は窓ガラスまで覆って保護しているのか、ガラスに穴が空いても割れて崩れたりはしない。周囲の客もスナイパーからの狙撃には全く気付いていないようだった。
 遊希が空中の銃弾をフォークで叩き落として椿に悪態をつく。

「先制攻撃はしないって言ったじゃないですか。どうせ効かないとはいえ、約束を破ることは信用を大きく減らすのですよ。わかっていないかもしれないので一応言っておきますが、僕を守る蜘蛛の巣はあらゆる物理攻撃を捉えて逆指数で減速させます。狙撃が僕に到達することは絶対にありません」
「いやいやいや、私じゃないですよ! 狙撃があるのは私がエマージェンシーコールを出したときか、狙撃が必要な危機的状況になったときだけです。先輩は呼び出しボタンを押しましたけど、私はエマージェンシーボタンを押してないです。ほらこれ、押したら赤く光るんです」

 椿が胸元から小型の通信機を取り出してみせた。
 アンテナとボタンとランプだけの簡素な装置だが、そのランプは確かに緑色に点灯している。椿が嘘を吐いていないという保証はないものの、この状況でスナイパーに助けを求める理由がないのも間違いない。

「そうは言っても、射線の角度的に他の第三者の狙撃ということは考えられないのです。スナイパーライフルに誤射は有り得ませんし」
「誤射ではありません、遊希様」

 慇懃な声がテーブルの横の店員から聞こえた。全員がそちらを見る。
 そこに立っているのは店員ではなかった。サイゼリヤの店員はこんな華やかな制服を着ていない。

「わたくしの出現を以て、狙撃が必要な危機的状況が発生したので御座います」

 長い銀髪、ヘッドドレス、エプロンスカート。古典的なメイドコスチュームに身を包んだ、目の覚めるような美人がそこにいた。

「こちら、御注文でない発煙弾で御座います」

 謎のメイドがテーブルの中心に小さな鉄製のボールを置く。
 遊希が伸ばした手が届くよりも早く、ボールは炸裂して煙を吹き出した。物凄い濃度の煙幕だ。視界が白く染められ、目の前のテーブルすら全く見えなくなる。
 視界が機能しない中、白花は手首を掴まれた。万力のような握力。動脈の血流が止まり、手のひらから血が引いていく。
 白花は手首を掴まれたまま席から引きずり出され、片手で空中に放り投げられた。僅かな浮遊感ののち、腰を両手でがっちりとキャッチされる。

「先輩!」

 椿の声がして強い風が吹いた。椿が黒翼を大きく広げて扇いだのだ。
 サイゼリヤ内に荒れ狂う暴風が力強く煙幕を吹き飛ばす。ついでに皿やコップやメニューまでもが宙を舞う。驚くべき風圧だ。
 翼の物理的な機構はよくわからないが、機能から逆算すると、あの黒翼で椿が飛べるということは、本気で扇げば椿の体重程度のものは薙ぎ払えるくらいの出力が出るのかもしれない。

 やがて煙幕が晴れ、ようやく状況が明らかになった。
 白花は元いた席からは数メートル離れた通路にいた。そこでメイドにお姫様抱っこで抱えられている。両手足をがっちりホールドされて身動きが取れない。
 動けないのは座席にいる遊希も同じだった。遊希は周囲の全方位を大量の鋭いナイフに囲まれていた。至近距離で空中に固定された数十本のナイフの切っ先が全て遊希に向いているのだ。その様子はハリネズミのようにも見える。
 メイドが落ち着いた丁寧な声色で警告する。

「遊希様、蜘蛛の巣に固定したナイフの刃先にテトロドトキシン系の神経毒を塗布しております。無理に動けば刃先が肌を傷付けますし、蜘蛛の巣を解けば一気に落下してくるナイフを避けられません。蜘蛛の巣を維持したまま、少しずつ慎重にナイフを取り除いて脱出することをお勧め致します」

 なるほど、上手くできている。白花はメイドの腕の中で感心せずにいられなかった。
 遊希が物体を空中に押しとどめる蜘蛛の巣を周囲に張り巡らせていることを利用し、遊希を囲む即興の檻を毒塗りナイフで作ってみせたというわけだ。攻撃そのものは届かなくても、こうして席に縛り付けることはできるし、白花を拉致するのにはそれで十分だ。
 更に追い打ちの説教が続く。

「以前お会いしたときから子供らしい詰めの甘さは変わっておりませんね。蜘蛛の巣を張っただけで安心してしまうのは頂けません。確かに物理攻撃への耐性は随一ですが、それだけで御座います。煙幕などの気体は防げませんし、遊希様自身の動きを封じることも難しくありません。それに銃弾ならともかく、よく見て動けば人体が蜘蛛の巣に捕まることはありません。蜘蛛の巣は中心付近は頑丈である一方、床や壁に触れる部分は網状を成しておりませんから、刃物で容易に切断できます」

 メイドが足で床を叩くと、床に落ちていた食事用のナイフが宙に舞い上がる。更にそれを空中で軽く蹴り出すと、ナイフは空中を一直線に進み、行く手を阻む蜘蛛の巣の接地部分だけを器用に切断する。白い糸は簡単にバラけて床に落ちていった。

「それでは参りましょう、白花様」

 メイドの美しい顔が白花を見下ろして微笑む。白花の身体を抱く腕に力が込もり、もはや邪魔者がいなくなった店内を駆け出した。
 窓の外から再びスナイパーが狙撃してくるが、遊希が蜘蛛の巣を解けない以上、銃弾はそれに絡めとられてしまってメイドまでは届かない。
 椿はまたしても完全に両手を上げて降参の構えを取っている。遊希も目の端に涙を浮かべてメイドを睨み付けることしかできない。
 メイドは完璧だった。蜘蛛の巣の弱点を突いて急襲し、それを解けない状態を作った上で自分の逃走にまで利用する。遊希でもどうにもならない相手を白花がどうにかできるとも思えない。

「えーと、じゃあ、またね……生きてればだけど」

 メイドの腕の中で、白花は曖昧に手を振った。
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