第15話:人生美味礼讃・3

文字数 3,357文字

 仲居たちが個室に四人分の料理を運び込み、その一つ一つについて丁寧な解説がなされる。人によってそれぞれ違う料理が提供されているために説明がやたら長い。
 白花は最初こそ耳を傾けていたが、季節の煮物、鯵の梅肉添え、山菜の何かについて聞いたあたりで集中力が切れた。相槌を打つのもジュリエットに任せ、膝の上にいる紫の頭を撫でて暇を潰す。紫の長い髪を軽く編み始めたあたりで、仕事をやり終えた仲居がようやく退散していった。
 白花は改めてテーブルを見渡す。並んだ料理の横で、心臓が入った瓶がテーブルの上にそのままずっと置かれていたことに今更気が付いた。

「蛆の湧いた心臓を見たはずなのに仲居さんのリアクションが無かったね。ひょっとして、ここって殺し屋御用達のお店だったりするのかな。こういうイベントが起こりがちなさ」
「いえ、単に高級店の嗜みで御座います。こういったお店の法外に高い料金は、料理そのものの価格以外に無理な注文や不慮の事態に対するサービスの保証でもあります。とりわけインタポレーション以降、来店するブラウたちが抱える事情は様々ですから、お店の方からは余計なことに踏み込まず、しかし要求があれば過不足なくサービスを提供してみせるのが優れた高級店の作法です。突然現れた遊希様と紫様に対して、ただちにコースに無い子供用の料理を提供できるのもその一つです。もちろん、サービスだけではなく料理の質も極めて高いことは言うまでもありません」
「でも、どうせ蛆が湧くしなあ」

 白花は改めて自分の前にある御膳を見る。
 容器がいくつかの区画に分けられた中に魚や山菜や肉を小綺麗に調理したものが行儀よく収められている。話を聞いていなかったので料理の名前はわからないが、量より質と種類を重視するあたりが実に高級料亭らしい。
 しかし、それら料理の中には既に満遍なく蛆虫が湧いてきていた。魚の身にある亀裂から、山菜の重なった隙間から、肉の身の裏側から、いつもの乳白色で小さな妖精たちがこちらに手を振っている。
 どんな食事だろうが蛆が湧いた時点でその価値が下の下まで落ちるのは間違いない。単に料理の価値が落ちること以上に、食事の雰囲気が破壊されることにがっくり来る。せっかく非日常的な料亭に来ているというのに、いつもと同じ貧相な食事だ。
 正直、期待していなかったと言えば嘘になる。勝手に蛆が湧いてしまうのは低級な食事だからで、高級な食事であれば格調高さみたいなものが虫の発生を防いでくれるのではないのかと。
 しかし、虫である蛆にとっては食糧は食糧というだけだ。人間が付ける値段など関係あるはずもない。

「ひょっとして、白花お姉さんの蛆を湧かせるやつってアンコントローラブルなのですか? 僕の目を狙って湧かせていたので任意に使えるタイプのものだと思っていましたが」
「多少は制御できるけど勝手に湧いてくるのは止められないよ。特に食事だけは歯止めが効かなくて、『今から食べるぞ』って思った瞬間に湧いてきちゃうんだよね。私が食べる以外の食事にまでは湧かないけど」
「しかし、かなりマシだとは思いますよ。どうぞお食べ下さいませ」

 ジュリエットに促され、とりあえず季節の煮物とやらを箸で掴んだ。もちろんその表面には満遍なく蛆が付いており、野菜ではなく蠢く蛆の塊を摘まんでいるように見える。
 諦めて口に含んだ瞬間、出汁の香りが口一杯に広がる。大きく切られた山芋が口の中で崩れ、粒胡椒がピリッとしたアクセントになって舌を刺激する。

「あれ、美味しい」

 思わず声を上げた。
 この煮物には蛆の存在感がほとんど無い。蛆が付いているのは間違いないはずなのに、料理本来の味や食感がダイレクトに伝わってくる。更に何口か食べてみて、ようやくその仕掛けがわかった。
 蛆と同じくらいの大きさの粒胡椒がふんだんに使われているのがポイントだ。その味が非常に強いため、同じサイズなのに味の無い蛆虫の印象がかなり薄くなる。
 他の料理も食べてみる。田楽にはもろみ味噌が使用されており、煮物と同様、蛆がいてもそこまで気にならない。また、粗く切られた肉にかかっているソースはあえて混ざり物を廃したさらりとしたものだ。そこに蛆の食感が入って初めて剛柔合わせた食感が完成するようになっている。

「なるほど」

 蛆虫の存在感を誤魔化す料理の手口がわかってきた。
 あえて大量の野菜を大きめに切って具沢山に仕上げたり、蛆と同じくらいの大きさで味の強い素材を使用したり、鰹節や春雨のように複雑な舌触りを持つ食品を混ぜ込んだりすることで、可能な限り蛆の食感を減らす工夫がなされている。元々蛆自体には味がほとんど無く、いつも邪魔になっているのはその食感から来る不快感なのだ。
 味噌汁には、飲み口のところに小さな網が付いている。そこに口を付けて器を傾けると蛆が網に止められて喉まで入ってこない。この仕掛けさえあれば、液体ならば蛆を遮って飲食できることを初めて知った。

「この料亭の魅力はブラウ一人一人に合わせた料理を提供してくれるところで御座います。白花様がマカロンを食べるのに難儀しておられましたので、予約を入れる際に電話口で蛆虫について簡単に説明致しました。彼らはその事情を理解し、可能な限り工夫して蛆虫の存在感を減じる創作料理を作ってみせたのです」
「へえ、凄いね。私以外にも普通の食事が難しいブラウってたくさんいるのかな」
「白花様は際立って特殊なケースではありますが、ブラウ化に伴って味覚が変化する現象についてはよく知られていますよ。もっとも、ブラウとロットの体質に違いを認めたがらない管理局はそうした比較研究を禁じていますから、アンダーグラウンドで行われる非公式な研究成果ではありますが」
「わざわざ法を犯してまで食事について研究してるんだ」
「美味しいものを食べたいという気持ちは誰でも同じで御座います。白花様も、もちろんわたくしたちも」

 改めて食卓を見る。
 ジュリエットと白花の前には小難しい料理が色々並んでいるのに比べて、遊希と紫にはもっと子供の受けが良さそうなシンプルに美味しい料理が用意されている。紫は白花の膝から顔を上げて具沢山のうどんを啜り、遊希も勢いよく海鮮丼をかきこんでいる。ジュリエットも丁寧な箸使いで舌鼓を打つ。

 他人が美味しそうに食事をしているのを見るのは本当に久しぶりだ。
 インタポレーションから今まで、白花の食事は自炊するにせよ出来合いのものを買うにせよ、基本的に家で一人で食べるしかなかった。誰かと一緒に食べたりお店で食べたりすると、白花の食事に蛆が湧いているのを見た他人を不愉快にさせてしまうからだ。
 インタポレーション以降は牙がある人なども増え、多少汚い食べ方をするくらいは許されるようになったとはいえ、いちいち大量の蛆を湧かせる白花の体質は社会的な許容ラインを大幅に踏み越えている。唯一行けるのは、一人一人の食事スペースがパーティションで区切られた一蘭くらいしかない。最終的に廃棄弁当を溜め込むスタイルに行き着いたのも一人では何を食べても美味しくなかったからだ。

 しかし、今は違う。
 ジュリエットも遊希も紫も、白花の蛆虫を全く気にしていなかった。隣の席で蛆が湧いているのに、それぞれがそれぞれの食事を楽しんでいる。きっと、特異なブラウが蔓延るアンダーグラウンドではこのくらいの異常事態は日常茶飯事なのだろう。

 よく見ると、紫の持っている箸には茶色い出汁に混じってゲル状の何かがいくつかくっついて蠢いている。それが何かはすぐにわかった。
 遊希から聞いた彼女の通称は『蛞蝓這わせ』だったはずだ。蛞蝓の群れが、紫の前にある汁物の碗の縁を、縦に並んで頭を振りながら這い回っている。蛆と比べると動きは鈍い代わりに少しサイズが大きい。しかし、紫がそれを気にすることは全くない。蛞蝓ごと麺や野菜を口に運んでそのまま咀嚼する。
 確かに蛞蝓も台所などの食糧付近によく湧く蟲だ。人生で初めて食事に蟲が湧く仲間を発見し、紫にかつてない親近感を持ってしまう。

「今宵のデートには御満足していただけましたか?」
「そうだね。ありがとう、ジュリエット」

 こうして皆で一緒に食事ができるなら、アンダーグラウンドも悪くない。
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