第30話:私は悪魔の羽根を踏まない・7

文字数 3,274文字

 立ち上がった白花の目に映ったのは蛆の海だった。
 今までにも何度も蛆を湧かせてきたが、明らかに今回が最多量だ。周囲半径十メートルは蛆まみれで地面が全く見えない。白花を中心に蛆が盛り上がり、一つの山を成している。白花のいるところは腰まで蛆が積もっていた。

 蛆の海の中には身体パーツが大量に散らばっている。
 腕に足に胴体に顔面まである。全て白花のものだ。しかも数が多すぎる。ざっと見ただけでも顔面が十個以上、腕や足など三十本はある。
 別に十人以上いる白花がそれぞれ切り刻まれたわけではない。一つの本体に対する再生と切断の繰り返しによるものだ。胴体から腕が切り離されるたびに胴体から腕が再生して生え、それがまた切断されて再び生えて……というサイクルを繰り返した結果、腕が何本も転がる羽目になったのだろう。これだけ鎌を振るい続けたサミーには頭が下がる。
 残骸のパーツにはそれぞれ中途半端に再生した痕跡がある。白花の身体から切断されたあと再接合を諦められ、行き場を無くした肉片たちなのだ。
 腕や足はともかく、自分の顔面が転がっているのが少しキツい。白花の目がいくつもこちらを見て、白花の口が何か言いたげにしていた。蠢く蛆に囲まれているために小さく振動して生きているようにも見えてしまう。

「これも死体みたいなもんかな。食べちゃってもいんじゃない?」

 白花が呟くと、蛆がパーツを次々に食い尽くしていく。自分で自分の出したゴミを片付ける、とてもエコだ。自分の身体が食われているのは見ていて気持ちの良いものではないが、ひとまず今の自分は五体満足なので良しとしよう。
 どこも痛くないし、むしろ身体の調子は良い。ジュリエットに心臓を抜かれたあともこんな感じだったような気がする。喉元過ぎれば何とやら、妙にスッキリした気分で伸びをする。
 蛆の群れに埋もれて、サミーが膝を抱えて座っていた。

「賭けの約束はもういいの? 私、まだ生きてるけど」
「ふざけないでよ。あたしの鎌は何でも切れるけど、ただそれだけ。どこをどう切っても死なないやつなんて殺せるわけないじゃない。あんた、どういう生き物なの?」
「それは私が知りたいよ。なんか私って思ってたより無敵っぽいけど、こっちからの攻撃手段も特に無いんだよね。もしできたとしても私は誰と何の約束もしてないからサミーを傷付けたりはしないけど、またサミーの曲聞きたいし。家に帰ったらYoutubeでスイミーの動画探しておくから、これからもアイドル頑張ってね」

 目の前で手を振っても反応が無い。サミーは完全に戦意を喪失しているようだった。とりあえずここは一件落着としていいだろう。心臓摘出に続き、またしても生き延びてしまった。

 これからどうすべきか白花は考える。具体的に言うと、今から教会内に戻るべきか、このまま帰るべきか迷う。
 もうこのまま家に帰っても良いんじゃないかとは思う。白花は無敵ではあっても戦力にはならないし、体を張って誰かを助けたい気持ちも特にない。
 しかしそれには地理的な問題がある。白花一人でこの山奥から一人で帰れるとは思えないのだ。
 黒華はWi-Fiを引いていると言っていたから、インターネットを利用できる可能性はある。しかし教会が崩れかけている今、通信がまだ生きているかどうかは微妙なところだ。しかも、壁に貼ってあったSSIDとPASSのメモを読むためには、まだ戦闘中かもしれない教会の中に戻らなければならない。
 そして、仮に通信が繋がったところで外に助けを呼ぶことはできない。立地的に警察か消防の山岳救助隊の管轄になるだろうが、そうなるとアンダーグラウンド事情が色々面倒なことになるだろう。
 となると、地図データや山歩きのコツなどをダウンロードして、それを見ながら自力で帰るのが良いか。白花にそれが完遂できる確率なんて高くて三十パーセントくらいではないだろうか。
 少し悩み、とりあえず教会の中を見て確認してから考えることに決めた。どうせ死なないのだから、どんな戦況でも大丈夫だ。もしジュリエットたちが勝利していたら一緒に帰って、それ以外ならそのときまた考えよう。

 教会に向けて歩き始めたとき、背中から猛烈な飛び蹴りを食らった。飛び蹴りというか空中からの蹴り下ろしだ。
 椿だ。
 上空から降下してきた椿が、全体重と十数メートル分の位置エネルギーを乗せた蹴りを白花の背中に叩きこんだのだ。白花の身体が宙に浮く。数メートル吹っ飛び、更にまた空襲の蹴りを受けて地面に空いている穴に叩き落とされた。

 長い浮遊感ののち腰から着地する。
 蹴られた箇所と接地した箇所が猛烈に痛い。多分背骨と腰骨が折れたが、どうせすぐ再生する。さっき刻まれたときほどのダメージではない。
 周囲は固い積み石で覆われ、上を見ると数十メートルそれが続いていた。ここは枯れた井戸だ。狭くて腰を畳んだ姿勢から身動きが取れない。水を汲むための桶やロープが傍らで既に朽ちていた。
 上からは相変わらず激しい雨が降り続け、もう五センチ程度まで水が溜まっていた。この猛烈な雨からするとむしろ水位は低いくらいだが、恐らくついさっき蓋を開けたところなのだろう。水位が顔の上まで上がり切るのは時間の問題だ。
 これはかなりまずい。白花はようやく理解した。確かに白花は物理攻撃では死なないが、蚊や吸血鬼と違って空を飛べない。蛆は地面を這うだけだ。井戸から脱出する手段がない。

「先輩、今までありがとうございました」

 椿の声が井戸の中に反響する。外から椿が笑顔で見下ろしている。
 その笑顔と声は、大学でいつも後ろを付いてきた可愛い後輩のそれだ。白花の手を握ってライブハウスに入っていくあのときのように、尊敬に満ちた笑顔で椿が白花を見つめ、手を振った。
 途端に恐怖がこみ上げてくる。もしこのまま放置されたらどうなる? 蛆は溺死まで防いでくれるのだろうか。いや、もし溺死をクリアしたとしても、今度は餓死に対して同じ問題が浮上する。
 その場合、むしろ死ねない方が恐ろしいかもしれない。深い山の奥、誰も来ない井戸の底で永遠に死なずに一人。確かに白花は引きこもりだが、Netflixが無い環境では三日も保たない。
 せめて話せるうちに何か言っておこうと口を開いた次の瞬間、上から降り注いできた泥のようなものが口に入る。灰色で見た目は液状なのに密度がやたら高く、口に入っても蛆が湧かない。

 数秒考え、これがコンクリートであることがわかった。
 椿は本気で白花を殺す気だ。放っておいても溺死か餓死かしそうなところに、コンクリートで確実にとどめを刺しにきたのだ。確かにコンクリート詰めにして埋めてしまえば、いくら蛆が傷を治せようが関係無い。
 コンクリートが喉に入ってきた。またしても息が出来なくなる。今度は痛みというよりは異物感が凄い。皮膚と内側の粘膜に何か炎症が起きているのがわかる。内側から破壊されている。

 白花は力を振り絞って指を噛んだ。火事場の馬鹿力というやつか、思い切り顎に力を入れると簡単に噛み切れる。指の断面から蛆がもぞもぞと湧いてくる。
 結局のところ、白花の武器は蛆虫しかないのだ。コンクリートをどうにかできるとしたら、蛆をおいて他にない。
 しかし、この小さな二ミリくらいの小虫に一体何ができるというのか。さっきはあんなに頼もしく見えたのに、コンクリートが相手では舞い散る花びらほどの戦力にもならない。せっかく噛み切った指先はコンクリートの雪崩にあっさりと飲み込まれる。蛆虫の姿は一瞬で見失ってしまった。

 井戸の中、白花は完全にコンクリートの海に水没した。コンクリートの水位が頭の上を超え、上の方から更に余剰のコンクリートが注がれる振動と重みを感じる。
 まだそんなことを感じられてしまう、即死ではないのがタチが悪いと思う。コンクリートに飲み込まれた人間は窒息死するのだろうか。餓死よりはまだマシな気がするが、溺死との優劣は微妙なところだ。
 諦めて目を閉じると、果ての無い暗闇が白花を包み込んだ。
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