第1話 朽木神社と宗衛門

文字数 4,638文字

 意識の遠くから聞こえてきたアラームで目を覚ますと、窓の外はすっかり明るくなっていた。
「7時半か……。さっき布団に潜ったばっかりな気がするのに」
 迷いが晴れたせいで、すっかり爆睡してたみたいだな。
 ベッドの中からぼんやり天井を見つめていると、ふと戻ってきたのは、未明の殿の言葉。

《常の如く鍵を開けることだけ考え、悩み、指を動かせばよい。楽しみにしている。決して抜かるでないぞ》

 抜かるわけないじゃないですか。しっかり見ててくださいよ、殿。絶対開けてみせますから。
 着替えるべくベッドから抜け出したところで、部屋の扉が軽く叩かれた。
 ん?
「はい」
「旬、起きてる? ちょっといい?」
 部屋の外から聞こえたのは母さんの声。
「何? 父さん、もう鍵開け始めるって?」
 ドアを開けながら聞くと、『ううん、そうじゃなくてね』と母さんは首を振った。
「?」
「今さっき、滋賀の朽木(くぎ)神社さんから電話があったのよ。書殿で見つけた手紙のことでお話がしたいのでこれから伺わせてもらいたいけどよろしいですか――って」
 朽木神社? 滋賀? 書殿で見つけた手紙?
「手紙って、どんな?」
 気になって聞くと、母さんは『さぁ、そこまでは仰ってなかったわ。でも、大事な話だとは言ってた』と加えた。
 大事な話?
「父さんには、そのことは?」
「それがね、少し前に町内会長さんがいらっしゃって、ちょっと見てもらいたい飾り箪笥の鍵があるとかで、出かけちゃったのよ」
 はぁ……とため息をつきながら話す母さんに、思わず俺もため息を吐いてしまった。
 あの会長さんか。自慢話好きだからな、あの人。また何か新しい飾り錠付けたんだな。
「じゃあ、しばらくは帰って来れないな」
「そうなのよ。だから旬、朽木神社さんの件、お願いできる? 2時間ほどで来るらしいから」
「わかった」
「お願いね。朝食、用意しとくわ」
 それだけ言うと母さんはキッチンへと戻っていった。
 書殿で見つけた手紙か。わざわざうちの店に来るってことは、錠に関係したことなのかな?

 朝食を済ませ、少しリビングでゆっくりしてから店の方へ向かおうと廊下を歩いていると、向かいから歳さんとろくすけがやってきた。
「あ、歳さ」
《どうした? 鍵開けは、やらねえのか?》
 俺の顔を見るなり聞いてくる歳さんに滋賀から来る来客のことを伝えると、《しが?》と首を傾げられた。
「あぁ、えっと、近江のことです。その近江にある朽木神社から来られるんですけど、書殿で見つけた手紙のことで話があるとかで」
《なんだよ、近江なら近江って、初めからそう言え。ったく。で? 手紙のことで何の話があるって?》
 尋ねてくる歳さんに、俺は苦笑しながら答え返した。
「すみませんね、今は近江とか言わないもんで。どんな話なのかは、俺にも全く。とりあえず、見てみないことには、なんとも」
《そうか》
「はい。――あ、じゃあ俺、店に行ってきます。そろそろ来る頃だと思うので」
 一方的に話を終わらせた俺は、そのまま足早に店へ向かった。

 店の作業場に足を踏み入れたのと同じタイミングで、ドンドンと入り口の引き戸を叩く音がした。
「あ、はい、今開けます」
 返事をしつつ入り口の扉まで行き、閉めてあった鍵を開け、引き戸を引く。するとその向こうに立っていたのは、母さんと同じくらいの年齢だろうかと思う女性だった。
「あの、朽木神社の古賀と申します。今日は、朝からお電話で無理なお願いをしてしまい申し訳ございません」
 深々と頭を下げる古賀と名乗る女性に、俺は慌てて声をかけた。
「あ、いえ、そんな、全然大丈夫ですので、頭を上げてください。それより、どうぞ中へ」
 とりあえず店の中へ誘導し、来客スペースのソファに腰かけてもらうと、そのままお茶の準備をするべく給湯場へ。
 二人分のお茶と来客用の菓子を盆にのせて運ぶと、それらをそっとテーブルに置いた。
「どうぞ。今、店主である父が所要で外出していますので、息子の僕がお話を伺います。あ、僕もここで鍵師をしています、稀音家旬之助と申します」
「そうなんですね。よろしくお願います。朽木神社の宮司の妻で、古賀淑子(こが よしこ)ともうします。お茶、ありがとうございます。いただきます」
 軽い会釈とともに俺の名刺を受け取った後、湯飲みに手を伸ばした古賀さんは、お茶をそっと一口飲んでからさっそく話を始めた。
「実はこちらの稀音堂の店主さんが、江戸時代に錠前鍛冶だった宗衛門という方のご子孫だと調べで分かったので、今日伺わせていただいた次第で」
 え?
 予想と反した話の切り出しに、思わず目を見張ってしまった。
「手紙のことで話があると言うのは、宗衛門のことなんですか?」
 てっきり錠のことだと思ってた。
「はい。これを、見て頂きたくて」
 湯飲みをテーブルに置いた古賀さんは、鞄から取り出した布を開くと、それに包まれていた手紙をそっと俺に差し出した。
 古く変色した紙を慎重に開いてみると、達筆な筆文字の文面の一番最後には、薄くなっていたものの確かに読み取れる宗衛門の署名ともう一つ、紙の左下隅に割れた〈宗〉の印。しかもそれは、上から何度も何度も捺されたような雑な感じになっていた。
 何だこれ……。
 割り印? にしては、ちょっとどころかかなり雑だよな。上から何度も捺し過ぎだろ。
 何にせよ、この筆跡も印も、うちの史料に記されてる初代宗衛門の物と全く同じだ。
「確かに、うちの初代宗衛門の筆跡と印に間違いないと思います」
「そうですか、よかった」
「ですが、文字が薄くなってて読みづらくなってますね」
 うちの史料の文字はここまで薄くなってないからまだ読めるけど、これはちょっと厳しいな。
「そうなんです。私も全然分からなくて、専門家の方に解読していただいたんです。――そうしたら、そこには『新たな錠を作るにあたり、これを其方に預かってもらいたい。いずれ取りに来るものが現れるだろう。その際には、よろしく頼む』と書かれているそうなんです」
 え?
 新しい錠を作るにあたり、其方にこれを預かってもらいたい?
「えっと、つまり、うちの初代は朽木神社さんに、何かを預けたということですか? いったい何を?」
 気になって聞き返すと、古賀さんは静かに首を左右に振って見せた。
「それが、分からないんです。あらゆる場所を探したのですが、うちの神社には、その〈預かった〉とされる物が保管されていなくて。手紙もその一枚だけで、他に何か書き記した物も見当たりませんでしたし。もし預かった物が宗衛門さんの大切な物だったとしたら、長い年月の間に失ってしまったのであれば申訳が立たないと思い、それで〈錠〉と〈宗衛門〉という名前からいろいろ調べましたら、江戸後期に錠前鍛冶をしておられた〈宗衛門〉さんという方にたどり着きまして。そこからこちらの稀音堂の店主さんが宗衛門さんのご子孫で、現在は鍵屋さんを営んでいらっしゃるということを知りましたので、今日こちらに」
「そう……だったんですか」
 すごいな、この人。
 たった二つのキーワードだけでうちのことを調べ上げたなんて。ただものじゃないぞ。
「はい。もしかしたら、稀音家さんのお宅に、何か記した物が残っているのではないかと思いまして。それを教えていただきたくて」
 そう言うと古賀さんは、朝早くから本当に申し訳ありませんと深く頭を下げた。
「あ、いえ。全然気になさらないでください。――わかりました。うちにある史料を調べてみます。なので、数日猶予をいただいてもよろしいですか? 何しろ、たくさんあるもので、すぐにお返事するのは難しいと思いますので」
 さすがに、たった一日であれ全部読み返すのは無理だもんな。
「もちろんです。すみません、お仕事を増やしてしまって」
「とんでもないです。僕も、初代が朽木神社さんに何を預けたのか気になりますから」
 気になるのは、預けた物だけじゃない。そのあとの言葉も、だ。

〈いずれ取りに来る者が現れるだろう、その際はよろしく頼む〉

 いずれ? 取りに来る者が現れるだろう?
 何でそんな曖昧な書き方をしたんだろう……
 まるで、その時どんな人物が取りに来るのか、初代にも分からないみたいに。
「ありがとうございます。あ、その手紙も何かのお役に立つかも知れないでお渡ししたままにしておきます」
 言うと古賀さんは、俺の手に握られた手紙を指さした。
「あ、はい。では、お預かりしておきます。――あの、ところで朽木神社さんは、初代と関りがあったということは、江戸後期か、それ以前から続いている神社ということですよね?」
 ふと、今更ながらの質問をすると、はいと頷いた古賀さんは、『残されている書物によれば、平安から室町へと時代が移り変わったころに、今の場所に神社が建てられたそうです』と教えてくれた。
 平安から室町時代に移り変わる頃……。ってことは、多少年代の前後はあるけど、矢伏神社と同じ頃からあるのか。
「そんなに古くからですか。すごいですね。あ、じゃあその当時、悪鬼払いなんかもやっておられたんですか?」
「え? あ、いえいえ。うちはそういうことは全く。その時代、悪鬼祓いをしていた神社が何社もあったようなので」
 笑顔で告げる古賀さんに、思わず『そんなにあったんですか?』と食いついて聞き返してしまった。
「はい。でも、名を出さない神社も幾つかあったようですし、実際には何社あったのか定かではないですけど」
「なるほど。そうなんですね」
 その、名を伏せた神社の一つが矢伏神社なんだろうな。あそこのほかにも、悪鬼祓いを専門にしていたところがあったんだ。まぁ、そりゃそうだよな、あそこだけで悪鬼祓いを全部引き受けるのは大変だもんな。
「ですが、時代とともにそういう悪鬼や怨霊の祈祷依頼も減り、普通の神社として残っていったところがほとんどだったと、書にも記してありました」
 物思うように話す古賀さんに、俺は素直に頷いた。
「確かに、神社を残していくためには、その選択が賢明だったのでしょうね」
「そうですね。古い物を残していくためには、時としていろいろな選択に迫られます。例えば跡継ぎ問題もそうです。これはうちの神社に限ったことではありませんが、跡継ぎに女子しか生まれなかった場合は、よその神社さんから御次男を婿にいただくなどして参りましたし――……あっ」
 話途中で何かを思い出したように声を漏らした古賀さんに『どうかされましたか?』と尋ねると、
「すみません、このあと、少し親戚の神社へ寄る用がありまして」
 と、彼女は腕時計に目を向けた。
 えっ。
「そうなんですか! すみません、お急ぎなのに引き留めてしまって!」
 それならそうと、先に言ってくれれば引き留めなかったのに。
 慌ててソファから立ち上がると、古賀さんが俺に向かって笑みを向けた。
「いえいえ、まだ少し時間もありますし大丈夫です。こちらこそ、朝早くにお邪魔して申し訳ありませんでした」
「いえ。僕もすごく気になるお話でしたので。全然お気になさらないでください。あ、えっと、それでは、何か分かり次第連絡させていただきます」
「はい。ありがとうございます。よろしくお願いいたします。――あ、これ、お渡ししておきますね。連絡は、神社の方でも私の携帯の方でも、どちらでも結構ですので」
 言って、俺に名刺を差し出してから鞄を掴んで立ち上がった古賀さんは、深々と頭を下げたあと、静かに店を出て行った。
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