第2話 満月と狼のベタベタなセット

文字数 1,445文字

 満月の日は心が躍るが、その時点で随分一日の終わりが近い。
 そこで、日の入りを一日の開始の合図だと仮定してみる。そうすると、今採用されている暦でいう満月の翌日が満月の当日になるので、その日は心が躍っていられる。ただし、人間には睡眠リセット機能が搭載されているため、満月を見た後に寝てしまうと、躍る心は人間の機能が正常に働いて消失する。だとすれば寝なければいい。私は躍る心の維持と引き換えに寝不足を手に入れる。手に入れた寝不足という名のプレゼントボックスを開封すると、中からは頭痛・ストレス・肌荒れ・思考力低下などが入っていた。私は一旦ボックスの蓋を閉じた。
 袋小路に入っている。
 私はカレンダーを確認した。次の満月は3日後のようだった。3日では足りない。せめて12日は欲しい。
 時間が足りないことを嘆くのは5分で十分だったので、嘆き終わる頃を見計らった私の脳が次の指令を出した。指令通りに動く従順な私の四肢は、自らの身分をわきまえたように、行動を開始した。スマホを取り出し、満月の画像検索をする。そしてその中でトップにあった画像をスマホのホーム画面に設定する。これで万事解決。毎日朝起きてからずっと心躍れる。
 やったね。ピース。
 
 そうじゃなかった。
 大義を忘れるところだった。
 私は自分の心を躍らせるダンス指導者になりたいんじゃない。満月を見て自然の摂理に組みこまれた私として心を躍らせたいのだ。恋愛をしたいのではなく、この人じゃなきゃダメだと言う人と恋に落ちたいように。
 私は夜道に飛び出した。歩道だ。安心してほしい。
 私の前を通った自動車のヘッドライトが、「おいらの方が月より明るいぜ」と言っているようだった。次に通ったトラックのヘッドライトが、「おいらも月より明るいぜ」と言っている気がした。私は耳を閉じた。
 空に月はなかった。雲に隠れてしまったのか、最初から月なんてものはなかったのか分からなかった。
「お前はさ、光に魅せられすぎなんだよ」
 聞き覚えのない声がした。私は声の主を探した。
「ここだよ、お前の足元だ」
 そう言われて、足元を見ると小ぶりの狼がいた。
「満月ってあんなの何がいいんだ? 新月にこそ趣があるんだ。それを人間ってやつは何も分かっちゃいない」
 私は狼を無視して走った。走ったのは狼を撒こうとしたためではない。走っておけばクライマックスが作れそうだったからだ。
 ひねくれた狼に言っておきたいことは一つ。
「狼の世界のルールは知らない。だから想像の話になるが、狼の世界に満月の日は遠吠えをしないといけないというルールがあるとして、それにうんざりして、逆張りの結果、新月の素晴らしさに目覚めたのだとする。それを私は否定したくない。見えないものを見ようとすることは果てしない挑戦に他ならないから。だけど、見るべき対象を間違えてはいけない。あの狼が見るべきは、満月に夢中で新月のことを脳の隅っこにも置いてない能天気な娘ではなく、今もどこかで誰かに見つけてほしいと願う新月のはずだ」
 長くても一つだ。
 
 その日満月は見つからなかった。もう満月はどこにもいない。
 私は闇夜の中、項垂れながら家に帰っていた。帰り道にはブランコと砂場しかない公園がある。そこでブランコにのって、悲しさを演出しようと決めた。ブランコにはそういう力がある。
だが、ブランコにのる前に私は立ち止まった。地面に満月が生えているのだ。私はその満月をそっと抱きしめた。
 この満月だけは私が守る、そう決意した夜だった。

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