第5話

文字数 1,686文字

 ──十年前、二人が十歳だった頃のクリスマス。

 市駅に着いてからも、二人は勢いそのままに走り続けた。結奈に手を引かれるがまま、行き先の分からない裕太が尋ねる。

「どこ行くの?」
「内緒!」
「怖いとこじゃないよね?」
「うん、大丈夫だよ」

 そうして辿り着いた広場で二人は自然と足を止めた。すぐ目の前に(そび)え立つ、十階建てくらいの立派な鉄筋コンクリートの建造物を首が痛くなるほど見上げる。

「ここって、市役所?」
「そうだよ」
「え、入っても……大丈夫なの?」
「うん、たぶん大丈夫。行こう、裕太!」

 結奈は裕太の手を引きながら、恐る恐る建物の中に足を踏み入れた。
 あまり体験したことのない独特の物静かな空間で、たくさんの大人の人たちが、大事そうな書類や封筒らしきものを持って忙しなく行き来したり、真剣に話をしたり聞いたりしている。待合のソファーもそういった大人の人でいっぱいで、窓口で対応する職員さんたちもみんな忙しそうだ。
 結奈も中に入ったのはいいけれど、お目当ての書類をどこに取りに行ったらいいのかさえも分からない。
 辺りをキョロキョロしている結奈にますます不安になった裕太は聞いた。

「結奈、さっきから何探してるの?」
「婚姻届」
「え?」
「婚姻届、出すの!」
「ええっ!?

 結奈の答えに驚いた裕太から思わず大きな声が出た。その声に反応した女性職員が二人に近付いて来る。

「どうしたの? お父さんかお母さんは? 迷子かな~?」

 若くて綺麗で優しそうなお姉さんだな、と結奈は思った。

「今日は二人で来たの」結奈は答えた。

 すると、お姉さんは二人の目線の高さに屈んで

「ん? 二人で? それは何か訳アリなのかな?」

 お姉さんと目が合って、この人は信じていい人だ、と結奈は直感でそう思った。

「はい! 裕太が明日引っ越しちゃうんだけど、会えなくなるのが嫌だから今のうちに婚姻届出しに来ました! 家族になればまた会えるよね? 届出する紙ってどこにありますか?」結奈は正直にはっきりと答えた。

 するとお姉さんは、結奈と裕太の顔を交互に見つめてから一度「うん」と頷いて、ニコッと笑顔を見せた。

「そっか、そうだね。じゃ、ちょっとだけここで待っててもらえる?」
「はい!」

 ほんの少しの時間で、お姉さんは一枚の用紙と踏み台を二つ抱えて戻ってきた。
 記入台の前に踏み台を置き、そこに二人を立つように促して婚姻届の用紙を広げる。

「じゃまず、左上のとこに今日の日付を書いて……」
「え、ここ?」
「うん、そう。そしたら次はここに二人の名前と住所を書いて……」

 お姉さんは優しく丁寧に婚姻届の書き方を説明しながら二人に寄り添った。
 結奈と裕太はちょっと大人になった気分で言われた通りに書き進めていく。

「よし! 今日はここまで! 二人ともよく出来ました!」

 パチパチパチとお姉さんは笑顔で小さく拍手を贈る。
 結奈と裕太はハイタッチを交わした。
 するとお姉さんは少し考えるような間を空けてから、改めてという感じで真剣な顔つきになり、そして、ゆっくりと丁寧に話し始めた。

「残念な話なんだけど、でも、あなた達の未来に繋がる話……聞いてくれる?」

 二人は頷いてから、真顔でお姉さんを見つめた。

「二人だけの婚姻は成人にならないと受け入れてもらえないの。意味わかる? 結奈ちゃんはもちろん知ってたよね?」

 結奈は黙って頷いた。

「つまり、この婚姻届は十年後、二人が成人になるまで受け入れてもらえないの。だから……それまでは二人の忘れ物(・・・)として、私が責任を持って市役所で預かっておくね」

二人は黙って頷いた。お姉さんは続ける。

「だから十年後のクリスマス。必ず、取りに来て。これは約束。この先十年、たとえ一度も会えなくても、どこで暮らしていても、二人は今日書いたこの婚姻届でずっと繋がってるの。いい? 約束だよ?」

 そう言ってお姉さんは小指を立てた。
 二人は込み上げてくる涙を目の縁に溜めながら、それでも笑顔でお姉さんの小指に自分の小指を絡める。
 そうすることで、二人は自分の心が晴れていくのを感じながら、お互いの十年後の姿に思いを馳せたのだった──。
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