公共空間の暗闇。

文字数 4,239文字

 霧雨煙る夜のロンドン。切り裂きジャックがばっさばっさと人間を切り刻んだ頃がありましたが、この論理パズルを完成させ、事件を解決させた人間はいないのでした。

 と、有名未解決事件を想起させてしまうほど、目の前にある死体はバラバラで酷たらしかった。
 内臓は鴉が食い散らかし飛び散ってる。
 大きな血の池が出来ていることから、犯人はここで被害者を殺したか切断したと推測出来る。



「公園の草むらに死体と血の池。ここで夜、気づかれずに切断を?」

「いや、無理でしょ」
 私の隣であくびを噛み殺しながら、美鈴が生意気を言う。


「ねみーですよ」
 噛み殺し仕切れず大きなあくび。腕を伸ばし背筋を伸ばす。


「あくびすんな」
 私が怒ると、
「川原先輩は怖いですー。こいつ殺したの先輩じゃねーんですか?」
 気の抜けた声で応じる。


「人間の脂肪分を舐めちゃ困るわ。チェインソー使ってもここまでバラバラには出来ない。犯人はどうやって」

「チェインソーのチェーンを取り替えながらやったんじゃねーっすかー」


 美鈴はものすごくやる気がない。なにを考えているのだろう。

 昼間からなんで示し合わせたかのようにバラバラ死体とご対面しなくちゃならないのかしら。

 この頃、この町の治安は最悪なものになり、町が封鎖されてしまった。

 国の中央の方でなにかあったのが原因のようだけれど、それがなにかは知らされないままだ。

 治安の悪化に抗するため、スラム街のお姫様・琴音ちゃんの呼びかけで私たちは自警団を結成した。

 その中で私たちのグループは私と、美鈴、望月の三人での活動だ。

 それで、いつものようにパトロールをしていると、事件にぶち当たった。
 でも、さすがに殺人事件ははじめてだ。しかも、そのはじめての殺人事件がバラバラ殺人だなんて。


 私は手のひらに嫌な汗が滲む。

 鴉が途中まで引きずって捨てた腸を見下ろす。
 そして、恐る恐る触ってみる。
 冷たい。
 死体が冷えているってことはやっぱり……。


「先輩! 川原先輩! お取り込み中、すまないんですけど、私たちは国家権力じゃねーんですよ。こんなの公僕さんたちに任せて、私たちは狂いはじめているこの町をもっとマクロな視点から見る必要があるんじゃねーんでしょうか?」
 美鈴は死体のある草むらと私を交互に見る。私は、
「確かにそうね。でも」
 と、持論を展開させようとしたが、それを阻まれる。


「でも、とか、だが、とか、しかし、とかはいりません。速やかに撤退しましょう」
 美鈴に促され、私もその場を去ろうとした。


 と、厄介な場面にこっちに寄ってくるうちのあとひとりのメンバー、望月。ものすごく嫌な予感がする。
「祟りよ。これは間違いなく祟りよ」


 開口一番なにを言うのかと思ったら、言い出したのは、いかにも村人キャラがしゃべるようなテンプレートな台詞だった。

 この町に伝わる祟りの伝承と国の様々な地方の伝承の類似点から望月は語り出した。

 それだけで十分は経過したが、そこから「では祟りとはどんな概念なのか」を朗々と、歌うように語る望月。

 ここで更に二十分が経過し、オカルトマニアここに極まれり、といった感じの三十分間だった。


「川原先輩。お昼食べないでもう午後になっちまいますよー?」

「本当だわ!」

 美鈴に言われて腕時計を見る。
 経過時間しか考えてなかったが、今はお昼時だった。
 びっくりしてしまった。


「……ひとが語っているのを遮るな。祟るわよ」


 望月が「うらめしやーん」と両手を幽霊のポーズにする。
 それにも特に興味を示さない美鈴は、腕と肩のストレッチをする。



「いい加減、懲り懲りなんですよね」

「美鈴! この惨状を目の当たりにして、それでもそんなことを言うの!」

 美鈴の物言いに、私は思わず声を張り上げてしまう。だって、ひとがバラバラになっているのよ。でも、構わず美鈴は続ける。


「私たちが今、自警団になって町を守るしかない、という特殊事情は今は忘れましょう」

「なにを言ってるの、あなたは!」

「川原先輩。まずはオカルトマニアの望月の、昼ご飯の時間をぶちこわしたくっだらねー話を思い返してみて下さい。なにか気づきませんか」

「さぁ? オカルトマニアだなって。それくらいしか」

「オカルトの否定はしません。オカルトかそうじゃないか、それはここで今から私が話すこととは、直接的には関係ねーですからね」

 美鈴は口に手を当てくすりと笑う。
 それからすぐにあくびと一緒に笑みも噛み殺す。




「さて。時間もないし、私が話を始めましょう」

 ちょっと頭にくる。
 なにが「さて」よ。
 古典的なものは大嫌いなくせに。


「ところで、マニアって一体なんなんでしょう。いいですか、先輩。マニアってのは、その道の知識を大量に持っているからマニアになれるんです」

「当たり前じゃないの!」

 私は声を張り上げるが、美鈴の口調はいつものやる気ない感じをキープしたままだ。

「資質や育った環境、触れたメディア、とにかくきっかけや要因があって興味を持ち、『毒される』ように知識を浴びるように摂取して、知識を得て、それでマニアになれるんですよね。で、知識を持つと次はその知識を使いたがる。マニアなら当然でしょう。ジャーゴンに溢れた彼ら彼女らの言葉が外部の人間には全く理解出来ないなんて、ザラにあることです。……もう、言っている意味、わかりますよね」


「わからないわ。あなたがなにを言いたいのか、全くわからないわ」


「そうですか。ここで一旦、話は飛びます。小説ならまだしも、マンガやテレビのミステリの画面に、違和感を持ったこと、ねーですか? マンガやテレビ画面の中の探偵役や、探偵ならまだしも、その他の人物たちは、なんで死体を目の前にしながらあんなに長話を続けてしまうんでしょうかねぇ、先輩」


「探偵の話に聞き入っているから、みんなその場でも平気なんでしょ」


「文学理論でいえば、『解決編』はミハイル・バフチンがいうところの『カーニバル』だって答えてやりゃいいんですかね。祝祭空間。いや、探偵と犯人、そしてその他の人たちがディスカッション状態になるならそれは多声的で『ポリフォニー』なんですよ。メロディが絡み合って、複数同時に鳴っている。確かにね。それなら仕方がない。でもこれ、現実でしょう。死体を目の前にして、長々と人が話をしているなんてあきらかにおかしいし、川原先輩、人間の腸をさっきから手に持って、なにしてんすか?」


「そ、それは……」

 私たちは今、バラバラ死体の目の前で話をしている。

 私は調べるために被害者の腸を持ったままだった。

 望月がオカルト話をしているときも、持ったままだった。

 今更気づいた私は、自分に驚いて被害者の腸を手放した。

 草むらに落ちた腸を改めて見た私は、ここではじめて吐き気を催した。


「話は更に飛ぶんで、そこから着地しましょう。私たちが置かれている状況の整理。町で暴動が起こったり、みんな冷静な判断を欠いた言動が目立つようになって封鎖さえされている。それは国の内政の風向きが変わったから、その影響を受けてですね。それで私たちはスラム街のお姫様、琴音さんの発案で自警団をつくって、地域のパトロールを勝手にしている。警察だって、私たちに協力的だ。そこまではいいですね?」


「う……うん」
 私は、美鈴の語りに戸惑いながらも、頷くことしか出来ない。
 頷く?
 ううん、ただの相づち。


「点と線。点がたくさんあって、その点は結束点となり、線を結ぶ」

 そこで一呼吸置いて、腕を伸ばしてストレッチをする美鈴。
 しゃべること自体を面倒くさがっている風にも思える。


「興味を持ち、知識を持ち、それで使ってみたくなる。または、そういう状況に置かれてみたくなるのが、さっきの望月の話と重なるわけですけど、例えば本やテレビの影響、といえばそれは『一.興味を持ち』、『二.知識を持ち』までです」


 話の途中から、私もわかっていた。どうせ悪いメディアのせいでこんな風になっちゃってるんですねー、みたいな、断罪。

「それで? だからなに?」

 頭にきた。
 ムカつく。
 腹立つ。
 胃がムカムカする。
 私は声を張り上げて、
「馬鹿にしないでくれる? バラバラ死体なのよ! 殺人よ! 犯罪なの!」
 と叫んだ。



「先輩。川原先輩。簡単に言えば、先輩が声を張り上げる。これこそが『誰かが引き出したがっていた』ものなんですよ」

「け、警察と共同戦線を張りましょう! 私たちだって探偵と同じく……」

「先輩!」

 平手打ちを頬に食らう。
 平手打ちをした美鈴を見ると、美鈴は私の瞳をまっすぐ見据えていた。
 思わず目が点になる。
 美鈴の口調は、いつの間にか真剣なものになっていた。



「冷静になって下さい。いいですか。興味があって、知識がある。そこに狙いを定めて、感情を引き出して『相手の感情に訴える』のが、人を動員するのに、言い換えれば、コントロールするのに一番効果的なんです。悪徳なものに限らず、これはどこでも常套手段で、票は入れてしまうし物は買ってしまうし狂信的にはなるし、異性に抱かれてしまうのです。そうなりやすいのですよ、閉じ込められた環境下でヒートアップさせるとね」


 私は泣きながらも、その続きが聞きたくて尋ねてしまった。

「なにに? なにに使えるの?」



 美鈴は公園の入り口を指さしながら、
「ネズミ狩りに」
 と、返答した。


 美鈴が指し示す公園の入り口から大挙して歩いてくるのは警察で。

 美鈴はそれにたいした興味もなさそうに、私に語りかける。

「権力を持った奴のやり口って汚いですよね。金を持った、でもいいですが。先輩。公園なんて監視カメラだらけなのに、私たちを泳がせて。彼らに都合のいいような編集がかかった『現実』が提示されることになるでしょうね」

「私はネズミじゃないわ」

 そこに望月が口を挟む。

「でも、猫でも犬でもない」

 足音が近づいてくる。人間の足音だ。



〈了〉
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