はじめの一歩

文字数 4,202文字

ある日、僕は奏にLINEを送った。そこには奏用に作った曲のデータを添付した。
 メッセージには、1週間後に載せた曲のレコーディングをすること。それまでに歌詞も含めて曲を完璧にし、僕の要望を全て叶えた作品を作る。それが今回出した課題だということ。それらを記載していた。

 
 ユニットの話が終わると即解散し、詩織さんに奏からの差し入れの処理を依頼してから、即自分の部屋にこもった。その日は自分がオフということも忘れて、作業に明け暮れた。もちろん作曲だ。奏に見合う曲だ。

 ユニットを始動するなら早めの方がいい。世間に発表するのを先にするにしても、上には早めに承諾してもらうべきだ。

 詩織さんには説明済みだ。他の仕事に支障をきたさないこと。そして体調管理を徹底すること。その2つを破らないのを条件として許可が下りた。
 奏のマネージャーには元々ユニットのことは相談していたため問題はないとのこと。それなら後は、実力を示すのみだ。 

 レコーディング当日。僕は自室でレコーディングの準備をしていた。
 基本レコーディングは特別な指示などがない限りは、僕の家のレコーディング部屋で行っていた。ただ関わるスタッフの人数が多い場合はスタジオを借りる。

 部屋には防音室がある。中にヴォーカルブースがあり、奥にはパソコンなどの機材を置いていた。
 パソコンやマイクの調子、念のために音の確認をする。特に問題はなさそうだ。他にやることはあったかと考えていると、コンコンとガラスを叩かれる音が耳に入った。目を向けると、ガラス張りの壁から見えたのは詩織さんだった。隣には奏と奏のマネージャーの杏さんがいる。

 音楽を止め、防音室から出た。挨拶を済ませると、奏が目を輝かせて口を開いた。

「すごく本格的な部屋だね! スタジオじゃなくて碧生ちゃんの部屋で集合だって聞いた時は、どんな感じなんだろうって思っていたけど」
「音楽で一生食べていくつもりだからね。お金をかけるなら、こういうところにかけるべきだと思う」
「碧生ちゃんらしい」

 話はほどほどにして、早速今日1日のスケジュールの話をした。と言っても複雑なことはない。
 まず始めに軽く声出しをしてから、1度フルコーラスの歌録りをする。その後に気になる箇所を録り、録り終わり次第コーラスに入る。それで終了。
 重視するのは奏の対応力の高さだ。ミスが多いほど体力が落ちていく。つまり声が劣化していく。最もいい声で録るために、出来るだけ喉を酷使するのは避けたい。それを叶えるには奏の対応力の高さが不可欠だ。

「質問がなければ進めます。何かありますか?」

 特に問題がないということで、早速僕たち4人で防音室の中に入る。防音室は4.5畳ほど。やや手狭だが仕方がない。マネージャーの2人には特に窮屈な思いをさせてしまうが、そこは了承済みだ。

 軽くストレッチをする奏を横目に、マイクスタンドやヘッドフォンの準備をする。手早く終わらせてから水を飲んでいると、奏がそう言えばと思い出したように話し出した。

「碧生ちゃんって同棲しているの?」
「ゴホッ!」

 驚き過ぎてむせてしまった。慌てた詩織さんが駆け寄りかけたが手で制した。

「ち、ちょっと奏! あなた何を聞いているの!?」
「だって杏さん。さっきお手洗いを借りた時見ちゃったの。洗面台に歯ブラシが2本あるのを! しかも青とピンク! 絶対相手は女子よ!」

 奏は生き生きと語った。どうして女子はこういう系統の話になると、目の色が変わるんだろうか。

「奏ちゃん。今は私たちしかいないからいいけど、今後はそういう話をする時は注意してね。あなたたちはタレントなんだから」

 奏相手だからか、詩織さんは柔らかめの口調で言った。でも少し怒っている。
 杏さんなんか申し訳なさそうに僕と詩織さんに頭を下げている。肝心の奏は何故こんな空気になっているのかがあまりわかっていない。世間話的なノリで言ったのだろう。
 さすがに他の関係者の前ではこんな話はしないだろう。そこまで空気の読めないやつではないはずだ。多分。

「別に誰と住もうが個人の自由でしょ? 子供じゃないんだから」
「あ、別に責めたり面白がってるわけじゃないからね? 碧生ちゃん本当に大きくなったなぁって実感していただけで」
「保護者か」

 同い年のはずなのに、奏と話していると僕のことを弟か何かと思っているのかと時々思う。

「彼女さん美人?」
「……まあそれなりじゃない?」
「あ、そんな言い方じゃ駄目だよ。照れ隠しだとしても、彼女さん傷ついちゃうよ?」
「……声出し、始めるぞ」

 マイペース過ぎて調子を狂わせられる。

 最近知ったこと。こいつは悪いやつじゃないが、お節介で面倒なやつ。裏も何もなく、好意しかないものだからより厄介だ。
 肝心のこいつは現在彼氏はいるのだろうか。というか、交際経験のあるイメージが湧かない。……まあ今はどうでもいいか。

 キーボードで鍵盤を奏で、音階発声を始める。真ん中のドから始め、「ハ」の発音で半音ずつ上げていく。最初に高音、次に低音へと進んでいく。これを行うことで奏の発声練習になることはもちろん、奏の得意不得意がわかる。そして今日の調子も。

 彼女の声の特徴はハスキーボイスだ。強く心を震わせ、訴えかけてくる。それは長所でもあり短所でもある。主張が強すぎると、誰でも萎縮して離れていってしまう。奏はつい力みすぎる癖がある。特にそれは歌になると顕著に出る。今は歌詞がないからか力み具合は比較的マシだけど。

「高音、喉締めすぎ。そんな歌い方だと、すぐに喉潰しちゃうよ」
「はい」
「あと低音。無理して出さないで。音が汚い。柔らかめに出して。声の出方が変わるはずだから」
「はい」

 指摘をしながら発声を続けた。

 力を抜くのがどうも苦手らしい。何回言ってもあまり良くならない。
 けど他は指摘するとすぐに言うとおりに直した。
 飲み込みが早い。これはいいトレーナーがつくとすぐに伸びるタイプだなと感じる。素直な性格と感覚の良さがそれを引き出している。

 気を抜くとずっと発声を続けそうだったため、切りがいいところで終えた。

 マネージャー2人をチラッと観察する。この2人も呼んだのは、お互いにそれぞれのタレントを知ってもらう必要があると判断したからだった。
 個人の能力、そして人柄。自分のタレントだけではなく、協力関係になるタレントのことも知っておくべきだ。その方がこれから絶対にやりやすい。

「緊張してる?」
「少し」

 緊張はその表情からも物語っていた。さっきまでのマイペースさはどこへやら。

「何度も言うけどリラックスして。そして今からは伸び伸びと歌って。僕がいるから緊張するなら、僕はいないものとして扱って」
「そうじゃな……」
「はい、次。ヘッドフォンつけて。音の調整に入るから」

 何か言いたそうな顔をしていたが、諦めて黙ってヘッドフォンを受け取った。

 空気が重い。マネージャーたちも不安げな顔をしているが、とりあえず無視だ。ボーカルにはいい歌を歌ってもらうために、いい環境を整える。必要なのはわかっている。でも僕を頼りにされてばかりでは困る。自分の力でも乗り越えて欲しい。誰もが奏を味方にするとは限らない。心が逞しくて悪いことはない。

 調整が終わると、奏に歌を録り始めると声をかけた。
 すると突然自分の両頬をパンパンと2回叩いた。さすがに僕も、他の2人も驚いた。気合いを入れたのだろう。効果は出ていた。さっきまで暗く濁っていた目が光を取り戻していた。

「よし。お願いします!」

 声にも生気が宿っている。このままじゃいけないと感じたのだろう。思わず笑みが零れる。だから目が離せなくなるんだ、この子から。

 曲を流した。彼女の歌が始まった。
 さっきよりも声がよく出ている。言った通り、伸び伸びと歌っている。と言いたいところだが、そう聞こえるように頑張っていると言った方が正しい。
 頑張っているように聞こえては駄目だ。そっちにばかり気を取られて、肝心の歌に耳が向かなくなる。でもこれは別に今が悪いわけじゃない。今の歌い方は音源とさして変わらない。つまりこれは、僕が今まで気にしていたことだ。

「奏」

 フルコーラスを歌い終わり、水分補給をしている奏に声をかけた。

「奏は自分の歌に自信がない?」
「え?」

「僕には奏が怯えているのを、持ち前の表現力でカバーしているだけにしか聞こえない」

 でもそうさせているのは僕かもしれない。そうだとしたら、本当にひどいことをした。

「自信がないのは、昔僕が音痴だって言ったから?」
「っ」
「だとしたらもう気にする必要はないよ。君はとっくに克服している」
「……本当に?」
「音痴というのは、自分の音が合っているのか合っていないのか、何もわからないやつのことだ。昔はそうでも、奏は必死に努力をしてそれを乗り越えた。奏の歌は人を魅了する力を持っているよ」

 思っていることを伝えると、顔を赤くして黙り込んだ。そこまで照れるとは。

「奏はライブの時、何を考えてる?」

 思っていなかった質問だったからか、少し間を空けてから口を開いた。ライブでの景色を思い出していたのだろう。

「お客さん全員にどうしたら届くかって考えているかな。自分の気持ちが少しでも伝われって思ってる」
「それでいいよ」
「え?」
「断然奏は、CDよりライブの方がいいんだ。その時は恐らく、上手く歌おうとしないんじゃない? 歌は取り繕おうとする方が下手に聞こえる。意識だけで劇的に上手くなることなんてない。ありのままをぶつけろ。それが1番だ」

 目を丸くして僕の話を聞いていた奏は、しばらく黙ってから口を開いた。

「もう1回、歌わしてくれないかな?」

はっきりした声で言った。奏の目にはもう迷いも怯えもない。僕はもう1度フルコーラスで歌うことを許可した。
 ただし、これがラストだ。

「細かいことは気にしなくていい。ただ思いをぶつけろ。目の前に観客がいるイメージで歌ってみて」

 彼女は黙って頷いた。心地の好い緊張感だ。この空気が壊れない内に歌に入った。

 もう1度歌った奏は、あのライブの日のようにキラキラしていた。あの日は体調が優れていなかったから、声の伸びや安定感は今が断然いい。
 この状態がいつでも作れたらかなり強い。彼女なら努力次第でもっと伸びるだろう。

 奏が歌う姿を、瞬きを忘れて見惚れていた。
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