熱情

文字数 2,496文字

 車の窓から外を見ると雨が降っていた。

 昔は雨が大嫌いだった。器官の弱い僕は気圧の変化に弱い。雨が降ると咳が出やすかった。今も雨が降ると、少し胸の辺りが苦しくなるがあまり気にしなくなった。それは慣れでもあったし、あまり気にする必要がなくなったからだ。

碧生(あおい)、ランキング出たわよ! この間の新曲、3位だったって!」

 マネージャーの詩織(しおり)さんが、前の助手席から目を輝かせてこちらを向く。さほど興味のない僕は、ふーんと返した。

「何よ、その冷めた反応は」
「僕の作った曲が上位に入るのは当然のこと。首位になったって驚かない。首位にならないのは、彼女たちの実力が僕の曲に合っていないからだ」

 僕はその彼女たちを思い浮かべた。人気急上昇中の女性アイドルグループ、フラワーズ。どのメンバーも顔ばかりでしかない。ただ言った通りに歌っているだけだ。ただ歌うだけならロボットだって出来る。血の通った人間ならばその歌にも血を通わせなければいけないというのに、彼女たちにはそれが出来ていない。今は人気だが、どうせいつかは消えるだろう。芸能界とはそういう世界だ。

「可愛くない反応だこと。図に乗っているとその内痛い目見るわよ」
「図に乗ってなんかいないよ。自分の実力はきちんと把握しているから」

 17歳で詩織さんに拾われ、高校卒業後に作曲家として今のプロダクションに所属。それから4年程経った現在。僕が作った曲は売れると評判になった。
当たり前だ。売れるように計算して作っているのだから。その時代のニーズに受けるもの、流行。僕がどれだけ研究していると思っているんだ。どん底のアーティストも僕が曲を提供すればあっという間に名は売れた。
けれどそれも永遠じゃない。その歌い手の努力の度合い、挫けない心が勝敗を決める。僕が出来るのは一時の夢を見せることだけ。あとはそいつ自身の問題だ。

「世の中ってつまらないよね。どうしてどいつもこいつも、胡座をかいて生きている人間ばかりなんだろう」

 仕事を始めた最初の頃はそれは苦労した。どんなに自分が満足のいく出来でも、相手が良しとしなければ意味がない。
だからこそ努力を怠らなかった。不要だと判断した時間は削減し、曲作りに明け暮れた。その結果が今に繋がる。だがその今に胡座をかくことなど決してしない。あっという間に地の底に落ちるだろう。それだけは合ってはならない。音楽で食べていくことを1度決めたのなら。僕は自分を裏切ることだけは絶対にしない。

「私が、あおいちゃんの声になるから」

 毎日がつまらない。目を引く歌い手も見当たらない。音が生きていても歌が死んでいたら、吹き込んだその歌に殺されてしまう。それでも生きていくためにも、仕事として曲を作っていかなければならない。そう思う時、いつも頭の中に響くのは、彼女のあの台詞。まだまだ幼い、彼女の声。彼女は一体今どうしているのだろうか。


 物心ついた時には、僕はもう音楽が好きだった。生活の一部だった。遊び道具は楽器。ピアノで音を紡ぎ、ギターの弦を弾いて遊んだ。両親も音楽が好きだった。僕が楽器を弾いて歌えば喜んだ。
 喜んだのは両親だけではなかった。幼馴染みの花村奏(はなむらかなで)。近所に住んでいた奏はよく家に来ては、よく僕に歌ってとせがんだ。僕は喜んで歌った。
 あの頃は毎日が幸せだった。大好きな音楽があって、大好きな人たちに囲まれている毎日。今思えば、あの頃が一番の幸せのピークだったかもしれない。
 その幸せが音を立てて崩れたのは突然だった。両親が事故で死んだ。事件性も何もないただの交通事故だ。まだ10も満たなかった僕は突然の喪失に泣きわめき、狂いそうになった。

 そして両親を失った僕には、もう1つ失ったものがあった。歌声だ。普通に喋ることは出来た。だが歌おうとすると声が出なかった。歌おうとすると両親の顔が蘇り、胸が苦しくなって声を発することが出来なくなるのだ。医者は心因性のものだと言った。
 絶望的だった。家族も歌も奪われた。僕の生きる希望は奪われてしまった。

「私が、あおいちゃんの声になるから。だから……諦めないで」

 祖父母に引き取られ、部屋に引きこもりっきりだった僕に奏は言った。

「無理だよ」
「無理じゃないよ」
「無理だよ! 奏は歌が下手じゃん! 音痴じゃん! そんな君が僕の声になんかなれるもんか!」

 僕は感情の赴くまま、奏に酷い言葉をぶつけた。最低だと思う。必死に励まそうとしてくれた彼女に対して、心底酷い仕打ちだ。
 
でも事実、奏は音痴だった。僕は音感があったから、よくそれを理解していた。
 僕が歌うと、奏も楽しそうに歌う。彼女は僕の音をなぞっているつもりになっているが違った。全音、ほとんど違った。不協和音だ。けれど奏はそのことに全く気が付かなかった。あんなにも気持ちの悪い音になっているというのに。
 言葉のナイフを投げられた奏は泣くと思った。だが泣かなかった。ただ唖然としていた。反対に僕の方が泣いてしまった。ただ突っ立って、泣く僕を見つめる奏に帰れと言った。表情も変えずに無言のまま、奏は言う通りに部屋を出て帰った。

 未だにあの時の奏の表情の真意がわからない。いつも泣くか笑うかで、感情がわかりやすかったあの子の気持ちが初めて読めなかった。これからもわかることはないだろう。

 あの日以降、学校もクラスも同じだったにもかかわらず、話すことはなくなった。その内学校も別々になり、接点がなくなった。
 それで終わったんだ、僕と奏との関係は。

 随分昔のことなのに、なんでこんなにも色褪せずに記憶にこびりついているのか。なんで歌を失ったのに、音楽を続けているのか。なんで不意に奏の『諦めないで』の言葉が蘇り、曲を作る道を志してしまったのか。
 わからないことばかりだ。何年経っても。それでも僕は、勉強よりも音楽を選んでしまった。堅実な未来よりも曖昧な生活を選んでしまった。
過去は戻らない。後悔したってもう遅い。なら歩くだけだ。藻掻きながら、足を動かすだけだ。
音楽に強く焦がれてしまったあの日から、僕が出来るのはそれだけだ。
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