第3話忍者たち

文字数 21,644文字

 ブランド品や貴金属宝飾品を扱う、庶民にはおよそ縁のない洗練された店構えの商店が軒を連ね、聳え立つビルは、大手企業や金融機関に証券会社の本社ビル。華やかさの香るようなこの界隈はニュー東京の一等地である。目抜き通りの中ほど、七階建てのビルがあった。一階は宝飾品を扱う店となっていて、ショーウインドーには純金のネックレスやブレスレット、金地に宝石を散りばめた、きらびやかな装身具が飾られていた。
 店内にはショーケースに収められたまばゆいばかりの品々に、目を誘われる上品な身だしなみの客たち。ショーケースの向こうでは、店員たちが控えめな表情で、客の決断を待っている。
 ドアが開いて、入ってきたのはライダースーツの面々。六人ばかりで、ヘルメットはかぶってなく、実際にオートバイで乗り付けて来たのかはわからないが、この店の客層に合致しないのは一目瞭然で、奥から警備員が出てくる。腰には大型拳銃をさげていて、一流の貴金属店や銀行、大手企業のガードマンは、都知事から拳銃の所持及び使用の許可を受けている。
 ただならぬ雰囲気に客たちが遠のき、
「客に番犬をけしかけるとは、この店のマナーは、なっちゃいないな」
 ライダースーツの中の、小柄な男が吠えた。
「お客様でしたらお許しください、なにぶん物騒なご時世でしてね。それで、どのような品をお求めでしょうか」
「チンケな飾りに興味はない。この店には昨日、二十キロの金塊が入ってきたはずだ。そいつをもらおうか」
「二百三十万円ですが」
 目もくらむばかりの金額を出して、どうだと言わんばかりの店長。
「払えるぜ」
 小男気安く応じて、仲間の大男を見た。二メートル近い上背あるそいつは、いきなりアーマーに身を鎧う。フィジカルサイバーだった。そいつは素早く動くとともに大剣を抜き放って剣風を起こす。ザクッと骨肉を断つ男。アーマーの男は横にした大剣を店長の前に突き出した。剣の平らな面には女の生首が載っていて、店内に悲鳴が上がり、首を失ったスーツ姿の女の胴体が血を噴きながら倒れた。
「金は払えんがコイツでどうだ。なかなかの上玉だぞ」
 小男は気の利いたセリフでも吐いたつもりか、悦にいってニヤニヤ笑った。剣に載った女の首は、ローンの計算をしながら品定めしている、そんな思考の残滓をとどめているようで、まだあまりにも生々しかった。
「そ、そんな・・」
 蒼ざめ、絶句する店長。客や店員たちは一刻も早く逃げ出したかったが、出入り口をフィジカルサイバーに押さえられている。ライダースーツの連中は、小男以外全員がアーマータイプのフィジカルサイバーとなっていた。
「足りなきゃ、いくらでもやるぜ」
 小男の言葉で、別のサイバーが次は自分の番だと走り、男性店員を斬りさげた。店内はもう血の海となり、逃げようとする女の首を背後から刎ねる。銃声が響き、警備員が撃った銃弾は、しかしコスチュームに跳ね返される。大男のサイバーが振り上げた剣を警備員に叩きつける。警備員は肩口から腰まで斜めに斬り下げられて、ズズズッと身体がズレて崩れた。
「ハハハッ、鉄でも切る電磁ソードだ、人間の体など柔いもんよ。やい店長、てめぇの首がついているうちに、金塊出したほうが利口ってもんだろうが」
 血臭プンプンの中で愉快に笑う小男は、さながら地獄の悪鬼であった。

グラウンドをジャージの一団がランニングしていた。先頭の三人はフォームもしっかりしていて、一定のスピードで息も乱さず運動選手の走りであったが、後についてくる連中はフォームもなにもあったもんじゃない。グダグダになりながらもどうにかついてきていたが、それも精魂尽きたと見えて、一斉にグラウンドにへたばった。
「おまえらな」
 先頭の三人が戻ってきて、呆れ顔でグラウンドにのびている連中を見下ろした。
「まだ五周だぞ」
 腰に手を当てて不満げな表情なのは、二十歳になるかならずの若者。ここにいる全員がそんな年頃の者たちだ。
「五周も走りゃ、けっこうな運動量だぜ」
 へたばった者たちの中から、そんな声があがる。
「十周五キロのランニングって言ってたけどな」
「それって、最初の設定が間違っているだろ」
 そんな声に、
「はあっ」
 語気を荒げる。
「カズマ、怒るなよ。僕らだって教官じゃないんだ。運動部の経歴があったから、ランニングの指導を任されただけで、同じ訓練生なんだから」
 声をかけたのは、先頭を走っていた三人の一人、イラッとした表情のカズマとは対象的に、穏やかな笑みをたたえた青年だった。
「梨音の言う通りよ。私たちにこの人たちの面倒みなけりゃならない義理はないし、グダグダやってて、実戦で消える羽目になっても自業自得よ」
 先頭を走っていた三人組のもう一人は女の子だった。スレンダーボディをジャージに包み、ロングヘア、きりっとした顔立ちは気が強そうだが、ソバカスに少女の名残がある。
「なに言ってんだよ紗良。他の場合ならともかく、戦闘となれば、仲間のヘタレはこっちにもとばっちりがかかるんだぜ」
 カズマがふくれっ面で言い返す。
「その時にはツイてなかったと思って、活路を拓くしかないでしょう。けどイケメンくん、キミも見かけ倒しよね」
 イケメンと言われて振り返った顔に、
「てめぇがなに反応してんだ、鏡見たことあんのかよ、このブサメン」
 紗良は罵声を浴びせて、
「黒塚くん、キミのことだよ」
「えっ、オレ」
「なにが、えっ、オレだよ。すかしやがって」
 先ほどのブサメンからやっかみの声。
「いや、名前呼ばれたから返事しただけだけど」
「そんなの気にしないで。それよりキミ、運動できそうに見えて案外ヘタレじゃん」
「運動部とか、入ってなかったから」
「なにしてたの」
「楽そうなところあちこち。最終華道部だったけど一日で辞めたよ」
「ケッ、情けない野郎だぜ。その点俺なんか、柔道部で鍛えているもんな」
 ブサメンがしゃしゃり出る。
「鍛えている割には、同じようにへたばってるじゃん」
「柔道は走らないスポーツだからな。けど、寝業師は得意だぜ、教えてやろうか」
 近くにいた女の子に誘いの目を向ける。
「ゲッ、マジでゲス。ハネちゃん守って」
 すがりつく女の子に、
「口だけだよ」
 ハネは面倒くさそうに応えた。
 ハネが3ラボに呼び出されたのは、家に帰った日の翌日だった。フィジカルサイバーとしての戦闘訓練が始まった。何週か何カ月になるのか期間も定めずの訓練で、寮に部屋も用意された。何日も行方不明だった息子が帰ってきたと思ったら、翌日には家を出て今度はいつ帰るとも知れないともいうのに、母親は寂しがる様子もなく、しかし穿鑿するような視線を送ってきた。
「じゃあ、行ってくるよ」
 出て行くハネに、
「しっかりおやりよ、夜羽さん」
 それでも、いつになく母親らしい顔で送り出してくれたのである。
 訓練では体力を鍛えたり、フィジカルサイバーになって武器の扱い方や戦い方を教わったりする。訓練生は二十人ほどいたが、忍者はハネと、ブサメンにからまれてすがりついてきた女の子、雨宮由紀、そのブサメン蒲生新吉の三人。これに紅河サロメも加わるのだが、彼女は今日は休みをもらっている。フィジカルサイバーになったのはハネと同じ日だが、ハネが3ラボの病室で昏睡状態でいる間に、サロメは訓練で頭角を現して、将来のエースと期待されるほどに上の評価は高いらしい。
 体力の鍛錬が終わって、次はフィジカルサイバーにとしての訓練となる。忍者はフィジカルサイバーの訓練となる。忍者はフィジカルサイバーのジョブの一つである。他にもサムライがあるし、キクモリ公園で暴れたのはアーマーソルジャーだ。ジョブは何十種類もあると言われていて、ジョブごとに防御力や攻撃力に差があり、武器や戦法も異なり、長所短所も違ってくる。その上に、戦闘で敵を倒して経験値を積めばレベルアップして、各種の能力値が向上するというのだからまるでゲームである。実は、トータルサイバーバースは、ゲームのシステムや世界観を参考にして、構築されていると考えられている。そもそもブラックノヴァは,遥かに科学技術の進んだ未知の世界から来たものであり、当然そちらの世界には、サムライもナイトも忍者もいないハズである。つまりトータルサイバーバースは、遥かに進んだ未知の世界のテクノロジーで構築されたものだが、その内容は地球仕様にローカライズされているのだ。ブラックノヴァのインテリジェンスなら、地球の各地域、各国の歴史に精通するのも大した手間でないだろうし、ゲームシステムの完璧な理解など、ものの数秒であろう。ただ、出所も根拠も不明、信憑性も伝説程度なのだが、トータルサイバーバースの完成にはあるゲームクリエーターが協力している、そんなウワサがあるのだ。その協力がどのような形のものかわからないし、クリエーターについては、氏名及び性別や国籍など、一切の情報は不明である。もっともこれは当然で、ウソならば実在しないのだし、もし真実なら、クリエーターに関する情報は最重要機密で、表に出ることはない。
 ジョブごとに武器も戦い方も違うので、フィジカルサイバーの訓練はジョブごとに分かれて行なう。ハネと雨宮由紀、ブサメン蒲生新吉の三人がグラウンドで固まっていると、山村研究員がやって来た。教官となる忍者が手配できないので彼が教える。といっても山村は忍者でもなければ,そもそもフィジカルサイバーですらないのだ。よって教えるといっても、資料の提示や説明の範囲で、実技については、教官の忍者が来るまでは、各人の精進にゆだねるしかない。
「忍者になる前に、画像を見ておさらいしておこうか。黒塚君はこの画像見るのは初めてだし」
 ハネは昨日からの参加だが、雨宮と蒲生は四五日前から来ている。実はハネはこちらに来てからまだサロメに会っていない。サロメは忍者の中でも上級職の上忍で、昨日はハネたち下忍とは別メニューの訓練だとかで顔を合わせる機会はなかった。
 三人は山村のもとに集まる。タブレットの画面には一人の男が映っている。スーツ姿の凛々しそうな印象の男だった。それがものの一二秒で忍者コスプレとなる。
「彼は君たちと同じ下忍だ。忍者には上忍中忍下忍の位階があることは、前に話したよね」
 山村は画面を止める。
「イマイチわかんないけど、それって強い順ですか」
 ハネが質問した。
「強い順というよりも、偉い順かな。それについては後で説明する」
「ハーイ、質問」
 雨宮由紀がすぐ横にいるのに手をあげる。
「なに」
 山村は、やけに体をくっつけてくる雨宮に、煩わしそうな顔を向ける。
「私たちも訓練したら、上忍になれます」
「それはない」
 山村はきっぱりと答える。
「経験値を得て、スキルが強化されたり派生的に増えることはあるが、発展的に進化して上位職になることは、海外の事例も含めて、今までに一度もないのだ」
「士農工商じゃないんだぜ。最初に飲んだクスリで、上中下とか決まるなんて、不公平だろ」
 新吉が文句を言う。
「私がデザインしたシステムじゃないんでね」
 山村はすげなく返して、
「それじゃあ、まずは守りから。君たちの忍者コスチュームに、どれぐらいの耐久力があるか見てくれ」
 画面にはライフルを持った男が現れる。日本軍正式採用の三十七式小銃。通称アリサカAR。その小口径高速弾は、五十メートルの距離なら、厚さ一センチの鋼鉄板も貫通する。アリサカARが十メートルの至近距離から忍者を撃った。四十発、忍者コスチュームは跳ね返したが、四十一発
目が脇腹にめり込んだ。それでも弾丸は肉体には届いていないみたいで、忍者は平然としていた。
「ここで注意しなければならないのは、同じ部分に何発も受けて、銃弾がコスチュームを貫通したのではないということだ」
 山村は画面を止めて、説明を入れる。
「ここがメイドイントータルサイバーバースの特性だが、コスチュームの防御力は一ヶ所の衝撃に対して、全体的に減少する。つまり同じ部分に四十発を浴びせてもコスチュームは破れない。全体に四十発浴びせたら、四十一発目は、どこでもコスチュームを破るのだ。たとえ薄そうに見えている部分でも、強度は全体の最強度なのだ。これがどういう仕組みによるものかは不明。そもそもコスチュームの素材自体が、まだ解明が進んでいない。そういうものだと理解していてくれ」
「耐久力は分かったけど、コスチュームって、こっちに出して着たり脱いだりできないじゃん。
穴があいたらどうやって直すの。それに洗濯もできないし、何回も着ていると汗臭くなるでしょう」
「私もそれはイヤよ」
 と雨宮。
「それについては、君たちは召使を何十人も抱える、王侯貴族にでもなったつもりでいたらいい。コスチュームに、武器などの装備品は、どんなにズタボロになっても、一旦コスプレを解除して、次に装備するときには、たとえそれが一分後でも新品同様というか、あるいは新品になっていて、補修も完璧汗臭さもなしだ」
「トータルサイバーバース、最高」
 雨宮の歓声。
「さっきの画像では、一分間に四十発受けて、四十一発目がコスチュームを破ったけど、あれが五分間なら、四十五発受けてもコスチュームは破れない」
「どういうことです」
 山村の言葉に、不可解な表情のハネ。
「コスチュームの耐久力は、時間とともに回復するのだ。銃弾を受けて減少した耐久力が、時間の経過とともに回復する。一分間で破られるダメージも、五分間なら耐えられるのだ」
「それって、、時間稼ぎさえすれば、何百発食らってもへっちゃらってこと」
 蒲生新吉がとびつくように聞いた。
「できないことはないね」
「完璧の防御力じゃん」
 ハネも笑顔となるが、
「敵も同じだからね」
 山村に返された。
「たとえばキクモリ公園に現れたアーマーソルジャー。彼らのコスチュームは、君たちの忍者コスチュームよりも硬くて、しかも自然修復する」
「そんなのどうやって倒すんです。なんか、無理ゲーのボスキャラって感じですけど」
「そうでもないさ。君たちにもウエポンがあるからね。さあ、話はこれぐらいにして、忍者になってみな」
 山村にうながされて、三人はフィジカルサイバーになった。黒装束は長身のハネと、ハネより頭半分低い雨宮由紀のともにスレンダーなシルエットにならんで、中肉中背の蒲生新吉は、幾分ずんぐりむっくりに見える。
「アンタのコスチューム、ぱっつんぱっつんじゃないの」
 雨宮由紀がからかう。
「バカいうな、ベストフィットよ。おまえのほうこそ、トータルサイバーバースの仕立て屋さん、男物だと思ってるんじゃないの」
 新吉は、いささか起伏の小さい雨宮の胸に視線をやって、へらへら笑う。もっともコスチュームを着ていて、顔も目もと以外は覆面に隠れていたので、馬鹿笑いはさらさずに済んだ。
「変態。私はハネちゃんと組むから、あんたは一人で忍者ごっこしてな」
「いいぜ。俺はリーダーと組ませてもらう」
「あのロリロリ、カマトトぶってるくせに、実は計算高いってタイプ、あんたなんか相手にしないわよ」
「ハネだって、さっきサムライの東郷紗良から色目を使われていたあんだぜ。おまえじゃ物足りないさ」
「なんですって」
「あのさ!」
 たまりかねたハネが、割って入る。
「こんな格好になって、つまらない口ゲンカとか、勘弁してよ」
「それじゃあ、まずは装備を確認して」
山村にの言葉で三人は装備を確認した。手裏剣三十本、棒手裏剣六本木。ほかに光学煙幕三個。自走撒き菱五個。それにソニックソード。これは三人とも同じだったが、新吉の腰には長さ三十センチほどの棒がぶら下がっていた。
「なに、それ」
「おまえ持ってないのかよ」
「ないよ」
 ハネは雨宮を見たが、彼女の装備にもそんなものはなかった。
「それについては、後で披露してもらうとして、まずは手裏剣を投げてみて」
 グラウンドには標的が五本立ててあった。距離は三十メートル。ピッチャーからバッターまでの距離よりさらに十メートル少々長く、投擲武器の標的の距離としてはかなりの遠距離である。ハネは以前に一度だけ投げたことがあるが、あれはわけもわからないまま投げただけで、本格的な練習として投げるのは初めてである。
 手裏剣は、投げると投擲力に関係なく空中を飛ぶ。実際、そんな腕力のありそうにない雨宮の投げた手裏剣も、標的に届き、深々突き刺さる。ハネは三本連続で外して、十本連続で命中させた。腕の動きに、コスチュームによる補正が入ってる気がしたが、気になるほどではない雨宮も新吉も七割ぐらいの命中率だった。
「まあまあだね。それじゃあ次は棒手裏剣投げてみて」
 ハネたちは棒手裏剣を投げる。コイツは手を離れた瞬間からとてつもない加速でぶっ飛んで、ライフル弾でも食い止める鋼鉄板を貫通した。
「ウッホー、こりゃスゴイぜ」
 新吉は興奮して、雨宮も目を瞠った。
「これって、軍用ライフル並の威力があると聞きましたけど」
 ハネに聞かれて、
「そうだよ」
 山村は答えた。
「こんな開けた場所で使って、万が一ハズレたのが流れて、誰かに当たる危険性はないですか」「君は周囲の状況に配慮ができるね、有用な資質だよ。しかし、この場合、その心配はない。なぜなら、これは何百メートルも有効射程のあるようなものではないからね。ライフル並の威力が有るのは百メートルまで。それを過ぎると極端にスピードは落ちる。百メートルではヒグマも倒せるが、百五十メートル先のキツネも仕留められない」
「威力の割には射程短いですね」
「推進力の消滅とともに、推力の反転が起こってブレーキがかかるのだ。十字手裏剣は武器として有効なのは五十メートルまでだ。この短い射程には長短あるが、コスチュームの硬さを考えたら、長所が大きいだろう。もっとも手裏剣ではコスチュームには通用しない。そこでメインウエポン、刀の出番となるわけだ。さあ抜いてみて」
 山村にうながされて、三人は刀を抜いた。ハネと新吉は背中に差しているが、雨宮は腰に差している。しかしそれは、当人の好みではなく、コスチュームがそういう仕様となっているので変えようもないのだ。長寸の刃物を抜けば物騒だが、ハネたちの刀は、刀をモチーフにしたアートなオブジェという感じで、刃物の鋭さがなかった。
「これ、切れるんですか」
 ハネは刃の部分に指を当てたが、傷一つつかない。
「確かに、指で触れてもケガしないね、じゃあ、振ってみてよ。あっ、人に向けて振ってはダメだよ」
 山村の注意に怪訝な顔で、ハネは素振りした。
「!!」
 一瞬刀が水色を帯びて、空間を切ったような手応えがあった。
「これは・・」
 初めての感覚に啞然となったハネの背中を、ビシッ、鞭で打たれたような衝撃が走る。振り返ると残心の構えの新吉。
「てめぇ、山村さんの話し聞いてなかったのかよ」
「いや、離れてたから大丈夫と思ったけど」
「あれは、主に私に向けて振るなということで、君たちはコスチューム着ているから大丈夫だけどね。普通の服装だったら血まみれだったけど、とにかく、その刀、ソニックソードっていうんだけど、威力を理解してもらえたかな」
「この刀、柄の一部が押さえるとへこみます。なにかのトリガーですか」
「そう、それがソニックソードのトリガーだよ」
 山村はハネに答えた。
「ただし、銃の場合とは逆で、引くと溜めになり、放すと撃つのだ。さっき蒲生君は、トリガーを押したまま何度も素振りをして、剣の色がコバルトブルーに変った頃合いでトリガーを放したから、かなり強い斬波動が黒塚君を撃ったのさ]
「離れた相手も切れるって、便利な刀ですね」
「普通の人間に対しては、これはヤバいぐらいの殺戮兵器となる。だが、フィジカルサイバーのコスチュームには通用しない。そこは直接斬り込む必要がある。それも斬撃力5以上の状態でね」
「5ってなんです」
「動画、見てみるかい」
 ハネたちは山村のもとに集まって、タブレットの動画を鑑賞した。
 忍者コスチュームの男が刀を抜く。ソニックソードだ。男はソニックソードを青眼に構える。やがて刀身は水色となり、さらにそのままでいると、水色はだんだん濃くなって、スカイブルーから紺色と移り、時間の経過とともにさらにオレンジ色、緑、紫、赤、深紅そして黒になる。さらにこのまま十秒が経過すると黒は消えて刀は元の鉛色になる。
「ソニックソードは普通の刀剣と違い切れ味、斬撃力が変化する」
 山村はいったん動画を止めて解説した。
「元の形状は刃先も物差しの縁ぐらいの厚みがあって刃物とも呼べないが、斬波動を帯びることによって物を切れるようになる。さらに斬波動を蓄積することで斬撃力は増す。ソニックソードの斬撃力がどの状態にあるのかは、いま見たように刀身の色で分かる。水色が1で青、紺、緑、オレンジ、赤、深紅、紫、黒となっている。さらにそのまま十秒経つと斬波動は霧散して刀身はもとの色に戻る。つまり斬撃力0になるわけで、この状態では鉄の板で叩いているのと変わらない。では次は、どの段階で、どれぐらいの斬撃力があるかを見てみよう」
 山村はタブレットの動画を動かす。試し切りのシーンとなり、二本の支柱に木の棒を差し渡す。直径三センチの樫の棒と、画面の解説の字幕にはある。走り高跳びのバーのように一メートルぐらいの高さに横たわる樫の棒に、まずは斬波動を帯びない、鉛色のソニックソードで斬りつける。固い棒にソニックソードは弾かれた。斬撃力0の刃物とも呼べない状態なので当然である。次に水色の状態だと、半分以上食い込むが両断はできない。青で直径三センチの樫の棒を両断出来る。紺ではでは直径五センチの樫の棒まで切れる。緑で直径二センチの鋼鉄の棒に挑む。大砲にも使われる最高強度の鋼鉄と、画面の字幕にはある。緑では半分ほど食い込むが、両断はできない。紫で両断できて、オレンジでは三センチまで切れる。赤では口径百ミリ、肉厚一センチ五ミリの砲身を切ることができ、これが深紅になると、ボーリングの球ぐらいある鉄球を二つにして、黒になると、一世紀も前のガソリン車のエンジン、まさに鉄の塊とも言うべきそれを真っ二つにするのだ。
「どうだね」
「スゴイじゃん」
 新吉は興奮の表情で、声もうわずる。
「私も、これほどまでとは思ってなかったわ」
 雨宮は頼もしそうに、自分のソニックソードを眺める。
「誰でもあんなふうに切れるんですか」
 ハネはどこか懐疑的な声。
「一定程度の熟練は必要だが、剣豪小説のような、何万人に一人の才能を要するものではない。斬撃力が変化する、この刀の特性を理解して使いこなせるようになることが、戦闘を生き抜くには必須だ。そしてもう一つ、フィジカルサイバーの特徴を見せておくが、その前に君たち、覆面、外したかったら外していいよ」
 ハネが手で覆面を下げようとすると。
「オートでできるはずだよ」
 と山村。
「コレね」
 覆面がスッと下に引いて、雨宮の顔が現れた。新吉も続き、ハネもまごつくことはなかった。意識の中に、コスチュームの操作パネルが嵌め込まれた感じだ。三人は顔を露わにして、山村のタブレットを見る。次の動画では、忍者の前にアーマーソルジャーが現れた。剣ではなく槍を手にしている。
「味方のアーマーソルジャーだよ。手にしているのは、君たちのソニックソードと同じ性能のソニックランスだ」
 アーマーソルジャーの槍先がオレンジ色の光る。腰だめの構えから突き出す槍を、忍者はまともに受ける。オレンジ色の槍はコスチュームを貫通して忍者の腹を刺す。抜くと血が飛び散って、これはかなりの重傷に見えた。しかし、忍者がコスプレを解除すると、スーツ姿の男は、腹からの出血に服が染まることもなく、飛び跳ねて身に傷一つないことをアピールする。
「どういうことです」
 ハネの問いに、
「コスプレ中の負傷は、コスプレを解除すると完全に回復する。致命傷級の大怪我でも、コスプレを解除すると傷一つ残っていないのだ.
もっとも刺される時の痛みは変わらないから、この動画のための献身には感謝だがね」
「敵にやられても、コスチュームを脱げば完治なんて、フィジカルサイバーって不死身じゃないですか」
 蒲生新吉が単純に浮かれる。
「そうでもないさ。たとえば戦闘で負傷して、コスプレ解除したら、傷は治っているかもしれないけど、防御力0の状態だよ。そこを攻撃されて負傷したら、もうその傷は、次にフィジカルサイバーになってコスプレ解除しても治らない。コスプレを解除したらコスプレ前の状態に戻るだけで、全てのケガが治るのではない。治るのは、コスプレ中に負った傷だけだ」
「まったく、おめでたいぐらいに単純なのよ。そんなにうまいぐあいに不死身になれるわけないじゃん」
 浮かれ顔の新吉に、しらけ顔の雨宮。
「それと、負傷経験のあるフィジカルサイバーによると、負傷するとバイタルが不安定になってコスチュームにロックがかかり、コスプレ解除に、かなりの精神力を要するらしい。そのときのために、コスプレして、仲間内で斬られたり、突かれたりする訓練もあるのだ」
「それって痛いですよね」
顔をしかめるハネ。
「コスプレを解除すれば傷も痛みも消えてなくなるけど、死なない程度に斬られたり突かれたりするわけだから、その時は激痛だろうね。でも、いざという時のためには必要な訓練だよ。もちろん、いまやれとはいわないよ」
 それはつまり、いずれはやらなければならないということであり、ハネたちは、予防注射の前の小学生のような、雰囲気となった。
「頭に入れておかねばならないのは、武器の仕様や、瀕死の重傷でもコスプレ解除したら完全回復するなどの条件は、敵味方同じだということだ。フィジカルサイバーは、トータルサイバーバースの提供する装備をもって、その用意した条件のもとに戦う。よって勝つためには、これらの特性を踏まえた戦術が必要になる」
 言われるまでもなく、ゲームに勝つにはルールを理解しなければならないことぐらいわかる。マンガみたいに非現実的ルールで、残酷な戦いを戦い抜くのが、フィジカルサイバーのリアルのようだ。
「それじゃあ蒲生君、君のスペシャルウエポンを見せてくれ」
 蒲生新吉は注目されるのが嬉しくて、いそいそと腰のホルスターに収まっていたソレを抜いた。棍棒かと思っていたが、折りたたみ式の鎌だった。鎌の柄の後端には細い鎖が付いていて、鎖は新吉のコスチュームの腰の収納ケースに続いている。その収納ケースからして、新吉のコスチュームにしかないものだった。新吉はケースに手を入れて鎖の束を取り出す。先端には六角錘の分銅が付いていた。
「それって、鎖鎌じゃん」
 ハネが、マンガで見たことのある武器だった。
「そうだね」
 新吉は鎖を垂らす。アクセサリーに使われているような細い鎖で、四五メートルはありそうだが、
「細い鎖だね。すぐに切れちゃいそうだ」
ハネの懸念に
「トータルサイバーバース製だよ。その細さでも、一トンの重量物を吊り上げれるぐらいの強度はあるよ」
「本当ですか」
 驚くハネに、
「トータルサイバーバース製の物が壊れるところなんて見たことがない。無理に壊そうとしたら壊れるけど、どの製品も、想定される最大の負荷の四五倍の強度は持っているようだ。以前、髪の毛よりも細いワイヤーを見たことあったけど、十メートル一グラムのそれで、三人乗ったゴンドラを吊り上げたんだぜ」
「マジですか」
驚くハネ。
「でも、コイツのは壊れるかも」
 と雨宮。
「なんでだよ
 ムカつく新吉に、
「アンタがゲスだから」
 と容赦がない。
「おい、くだらないケンカ、ふっかけんじゃないぜ」
 ハネに言われて、雨宮は不本意そうに口をつぐんだ。
 新吉はムスッとして、鎖を回そうとしたが、
「待って」
 山村は止めると、
「その分銅はヤバそうだ、みんな離れて」
 ハネたちが遠巻きに見守るなか、新吉は鎖を回す、先端に分銅付いていて、遠心力でピンと張った細い鎖が空に溶ける。鎖を回していた新吉は目を細めて、
「鎖鎌の表示が読めるぜ。コイツは思ってたより面白そうだ」
 鎖は不意にイナズマのように伸び、次には新吉の傍らでらせんを描く。
「どうなってるんだ」
 物理的に有り得ないような鎖の動きに、ハネも啞然とする。
「しらんけど、もう振り回さなくても、コイツは自在に扱えるようだ」
「フィジカルサイバーの戦闘に、ただの鎖鎌なんて使い物になるわけないから、出すとしたらそれなりのものでしょう」
 山村は驚きもしない。
 ビュンと鎖が伸びて、分銅が地面を打った。土が派手に飛び散って、跡にはスコップでニ三回掘ったぐらいのくぼみができていた。
「火薬が仕込まれているのかな」
 ハネの見当に、
「そんなローテクは使わないよ」
と山村。
「運動エネルギーを衝撃波に変換するのだろう。蒲生君、鎖を収めて」
 らせんを描いていた鎖が、不意に命を失ったように落ちると、滑らかな動きで新吉の手元に束ねられた。
「どうだい、俺の鎖鎌は」
自慢そうな顔の新吉。
[
「使い勝手にクセがありそうだけど、面白そうな武器だね」
 とハネ。
「手榴弾ぐらいの破壊力かな」
山村は、鎖鎌の分銅が作った地面くぼみを見て、その破壊力を推定した。
「アーマーソルジャーのコスチュームを一撃で破壊するほどではないけど、四五メートルの遠間から放てるし、中級のブレーカーとして活躍できるかも」
 山村の分析であった。
「おまえら、なにか特別な武器を持っているのかよ」」
「なにもないけど」
 ハネは雨宮を見た。
「私は、しいて言えば、この悩殺ボディかしら」
 しなを作る雨宮にハネは無反応で、
「同じジョブなのに、装備に差が出るのはなぜですか」
 山村に聞く。
「普通の軍隊にも、工兵やスナイパーなど特別装備の者がいるだろう」
 山村は至極当然と答えた。
「つまり俺は、軍隊でいうところのスペシャリストよ」
 新吉は山村の言葉に気を良くして、
「なにせ飲んだエーテルが違うんだ。名前付きだったんだぜ」
 フィジカルサイバーになれるエーテルは、大概がサムライとか、下忍とか、ジョブ名だけで、これに個別の名前がつくものは、かなりのレアなのである。
「俺のも名前付きだったぜ」
 とハネ。
「なんて名前だったんだよ」
「下忍サスケだ」
「ナニそれ、マンガの読みすぎじゃね。雨宮、おまえはどうだよ」
「私はただの下忍よ」
「へっ、味気ないな。俺なんか、古風で品格があって、いかにもそれって名前だぜ」
「なんて名だよ」
「下忍、ヨタロウだ」
 ドヤ顔の新吉だったが、ハネと雨宮はキョトンと顔を見合わせて、ついに雨宮が吹き出した。「なによそれ、あんたにおあつらえのエーテルだわ」
「なにがおかしいんだよ。伝説の忍者ヨタロウだぞ」
「いや、そんな伝説知らんけど、」
 とハネ。
「なんだかんだケチつけるけど、おまえら、スペシャルウエポンないんだろ」
「そうだけど、俺は鎖鎌よりサロメのあのデカい剣が欲しい」
「ああ、アレね」
 山村も知っていた。
「僕もあんなのは初めて見たよ。今までの上忍で、あんなのを装備していた人はいないらしい」「そんなに凄い剣なのかよ」
 新吉も興味ありそうに聞いてきた。
「見たことないのかよ」
「俺たちの前でコスプレしてたときには、そんなの装備してなかったぜ」
「フン、私たちにはもったいなくて、見せられないんでしょうよ」
 雨宮は、紅河サロメに含むところのあるようであった。
「そんなことないさ。それより、忍者って他にいないのですか、動画の人に指導して欲しいんですけど」
「残念ながら、動画に出てくるあの人は二ヶ月前に殉職された。現在3ラボが担当するサイバー特課湾岸支部の忍者は、紅河君とキミたちだけだ」
 それを聴いて、ハネは人生終わったかもと思った。あんなシャキッとした腕の立ちそうな人でさえ命を落とす戦場を、このメンツで生き延びられる気がしない。
「今ここにはいないが、紅河君をリーダーとした新生湾岸忍者チームの活躍を、期待しているよ」「なんであの、ロリロリがリーダーなのよ。ハネくんの方がふさわしくない?」
 雨宮は持ち上げてくれるが、正直迷惑なハネである。
「ケッ、見てくれが良けりゃなんだって出来ると思ってやがる」
 新吉がかみつく。
「アンタこそあのカマトトに、鼻の下のびのびじゃん」
 二人の言い争いに、
「黒塚君は君たちと同じ下忍だから、リーダーにはなれないよ」
 山村が結論を出す。
「上忍ってそんなに偉いの」
 不服そうな雨宮。
「偉いとかじゃなくって、上忍や中忍は指揮スキルを備えているんだ。中忍はテレパシーでのメンバーへの呼びかけ程度だけど、上忍は意識をサイバー領域に繋げて、ドローンや防犯カメラの映像も取れたり出来る。なので忍者チームが戦略的に動くなら、上忍の指揮のもとに結束した方がいいのさ」
「それじゃあ上忍になったら、有料チャンネルもタダで見放題なの」
「さあ、どうだろうか。そんなことにスキルを使った上忍も、聞いたことが無いから」
 想定外の質問に、啞然たる山村。
「バカじゃないの」
 くさす雨宮。
 そんなやり取りを目の当たりに、これはもう、サロメ頼りだよなと、おぼつかぬ心地で、心中つぶやくハネであった。

 ハネたちが3ラボのグラウンドで忍者コスプレやってる頃、上忍紅河サロメは自宅近くの道を歩いていた。この日は休みをもらい友人と会った帰り。これから自宅アパートで母親とゆっくり過ごすつもりだった。他にもかたをつけねばならない野暮用もあったが、案の定、それは向こうからやって来た。
 黒塗りの大きなクルマが歩道につけて停まっていて、ガラの悪いのが二人、車体にもたれるようにしている。そのまま歩いて過ぎようとすると、サロメの前をふさいだ。
「紅河の兄貴のお嬢さんよ、親分がお呼びだぜ」
 サングラスのあばた面が薄笑いで告げ、スライドドアが開く。三人がけの後部座席には、既に一人座っていた。筋者のヤクザといった感じのこの男とは面識がある。サロメの父親と同じ組の幹部で、伊沢という名の極道だ。以前父親が、見かけ以上の悪と眉をひそめて話していたのを思い出した。こんな薄気味悪い連中とクルマに乗ることになったら、大概の女子高生は声を上げて逃げだすか、立ちすくむかである。サロメも少し前まで女子高生だったが、平然と乗り込み、後部座席の真ん中に、ヤクザどもに挟まれると、クルマが動き出した。
「大した者になったそうじゃないか」
 伊沢が窓に目をやったまま言った。浅黒い肌で、青いシャツの衿元からはタトゥーが覗いていた。
「なんにもなっちゃいないけど」
 サロメは木で鼻を括った態度。
「組の情報力を甘く見るんじゃないぜ。お前が政府のサイバーになったってことは先刻承知よ。これからその力、組のために役立ててもらうぜ」
「寝言はよしてくれる。アンタたちのために働く義理なんて、一ミリだってないんだけど」
「ケッ、相変わらず可愛げのないガキだぜ」
 伊沢が素早く動いた。サロメにつかみかかり、右手には注射器が握られている。伊沢は腕力にまかせて押してきて、サロメの首にあと数センチのところで、針の先から透明な液が滴る。サロメは伊沢の手首をつかんで押し止める。
「・・・・」
 伊沢はサロメの強靭な抵抗に信じられぬ思いだった。日頃ジムに通い、ヤクザ仲間でも腕力自慢の男である。女など、倒すも潰すも手間のかからぬはずであったが、サロメにつかまれた腕が、もう一ミリも動かない。
「このアマおとなしくしやがれ」
 チンピラが背後から襲い掛かる。サロメの足が跳ね上がり、男の顎を蹴り上げた。狭い車内で、無理な体勢からこんな蹴りを放てるのは、忍者の体術のなせる技である。
「クソアマ、死にやがれ」
 顎を蹴られたチンピラは、怒りにまかせてナイフを出す。前にヤバそうな注射器、後ろにトチ狂ったチンピラのナイフに挟まれ、絶対絶命のサロメが、刹那、伊沢の注射器を頭上にやり過ごして沈んだ。
「ギャアアア」
 チンピラが悲鳴をあげる。伊沢の手の注射器がチンピラの喉に刺さっていたのだ。
「しまった」
 啞然とする伊沢の指を、サロメの細くしなやかな指がすかさず押して、中の液体を注入した。「注射はしっかり打たないとね」
 幼女の面影のある顔に、悪魔の笑みが浮ぶ。
「クソアマが」
 伊沢はジャケットの下からの拳銃を出すが、既にサロメの手にはチンピラのナイフがあって、シュッ、風を鳴らす一振りで伊沢の指が二本落ちた。
「うっ・・」
 伊沢はたまらず声をあげて拳銃を落とす。
「クソアマ、死にやがれ」
 助手席のヤクザが、後ろを向いて拳銃を突きつけたが、サロメは銃口をかわして腕を押さえつけ、アイスピックで氷を砕くみたいに、グサグサと、何度もナイフを突き刺した。
「ギャア!」
 悲鳴をあげたヤクザは、腕を抱えて袖をまくる。ズタズタに刺された腕の、いくつもの傷から流れる血が止まりそうにない。
[
「暇つぶしの一幕にしてはまあまあね。けど、アンタたちの血がついてばっちいじゃん」
 サロメは頬に付いた血をハンカチで拭った。
「病院にまわれ」
 伊沢の命令に、サロメは運転席の男のうなじにナイフを突きつける。
「親分が呼んでるんでしょ。真っ直ぐ行ってよ」
 運転席の男は、迷ったように目を泳がせる。
「指の縫合なんて慌てなくても、当節は再生技術で、新品つけてくれるんだから」
「確かにな。おかげで指の欠けたヤクザなんて、とんと見かけなくなっちまった。だが、病院にまわれっていうのはそうじゃない。モトキの喉に刺さった注射器。変なところにクスリが入ったみたいで、このままじゃヤバそうだ」
「それって自業自得でしょ。私に寄り道つきあう義理ないし」
「ずいぶんと、薄情じゃないか。竜二の兄貴なら、敵だって死にそうなヤツは放っておかなかったぜ」
 父親の名前を出されて、サロメは気を失っているチンピラへと視線をやる。白目を剥いて、いっちゃてるそうだったが、その隙を狙って伊沢が素早く動いた。いっぱしの悪名を売ってきたヤクザだ。指を二本落とされたぐらいで、戦意を喪失するものではない。が、サロメのナイフを握った手が、再び鞭の如く空を裂き、シュパッ、今度は伊沢の左手が指を二本飛ばし、血まみれの手にあったのは、小型のスタンガンだった。
「アンタの性根については父さんから聞いてるわ。目の前に死にそうな人がいても、一円落ちてるほどにも気にかけないヤツ。魂胆もなしに、仲間の心配なんてするわけないよね」
「ケッ、紅河の兄貴も買いかぶってくれるぜ」
 伊沢はさすがに、苦痛に歪む顔に脂汗を吹く。
「組に直行だ。モトキのヤツはマジでヤバいが、ヤクザの運の分かれ目なんてこんなものだ」
 クルマは二十分ほどで組に着いた。繫華街にある五階建てのビル。伊沢が降りると、迎えに出た組員たちは驚いた。両手が血まみれで指が何本もない。続いてサロメが出てきて、組員たちが血相を変えた。
「世間に恥をさらす気か。ガタガタ騒ぐんじゃねえ」
 伊沢が怒鳴りつける。
「俺たちは病院に行く。組長の客人だ。丁重にご案内しろ」
 伊沢が再び乗ると、クルマは走り出した。
 ガラスの自動ドアには、大きく『宇喜村組』の文字と、下り藤の家紋が、白いペイントで記されている。潰れたパチンコ店のあとに賃貸で入って、汚い手段を使って、ビルを丸ごと乗っ取ったと聞いている。目を尖らせた組員たちが、うわべばかりの丁重さで招くのに、サロメは会釈もせずに入っていった。
 中はパチンコ店の跡はまるでない。きれいに改装されて、まっとうな業種の事務所に見えなくもないが、たむろしている人間を見れば、ここがまともな場所でないことは一目瞭然だ。サロメが入ってゆくと獣どもの視線が集まり、幼さを残した美貌とモデル体型に、生唾をのむような、舌なめずりするような、ギドギドした視線と息づかいのまつわりついてくる。奥に組長室のドアがあり、案内の組員がノックして、客人ですと告げた。
「通せ」
 応えがあって、ドアが開けられる。サロメは入り口の左右に人が構えていないか、気配を探って入る。正面の奥のデスクに、中年の男の姿があった、宇喜村精一。宇喜村組の組長である。
「さっき伊沢から連絡があったよ。アイツ勘違いしていたようだな。私はなにも、手荒なことをして連れて来いなどとは、命じていない」
 宇喜村は片手にスマホを持ったまま、
「まあ、かけなさい」
 デスクの前には応接セットのしつらえられていて、小さなテーブルを真ん中に左右のソファー、そして一人掛けの重厚な椅子が向かい合う。左右のソファーには用心棒であろう、人相の悪いのが三人腰かけていた。サロメは座る前に椅子に触って、仕掛けが無いことを確かめる。
「紅河竜二は、宇喜村組でそれと知られた極道だっ。その娘に罠を仕掛けたりするものかね」
 デスクの宇喜村組長は優しそうな笑みだが、この男、いつも目だけは笑っていない。最初に会ったときから、この薄ら笑いには虫唾の奔るサロメであった。
「今日来てもらったのは、キミのような二十歳前の女の子に切り出すのも心苦しいが、なかなか捨ててもおけない問題でね。おい」
 親分の声でソファーから一人立つと、デスクに歩いて一枚の紙を受け取り、サロメの前のテーブルに置いた。
「竜二が組に作った十五万円の借金の借用書だ。コイツをどうにかしてもらいたいと思ってね。キミとお母さんの里子さん。二人の器量ならそれなりに稼げる。いずれそんな話しでもしようかと思っていたら、キミがサイバーになったと聞いてね。だったらその力を使って返済してもらおうかと思ったわけさ」
 宇喜村の薄笑いに合わせて、子分どももニヤニヤ笑う。それにつられて、サロメもぷっと吹き出した。
「やいアマ、なにがおかしい。なめやがるとただじゃおかないぞ」
 子分が目を吊り上げて凄味を利かすのを、サロメは気にも止めず。
「一年ぐらい前だったかな。東映だかのヤクザ映画、百五十年以上前のやつを家族で観たんだけど、ステレオタイプの悪党は、何百年経ってもやること変わらないね。こんなの捏造でしょ」
「勝手なことをぬかしやがる。コイツは確かにてめぇの父親の書いたもんだぜ。出るところへ出て、白黒つけたっていいんだぜ」
「じゃあ、そうしようか」
「な、なんだと」
「たとえそいつが本物だとしても、親の借金子供が払えって法律はこの国にはないわけだし、母さんだって自己破産すればチャラでしょ。母娘でナニして稼いで返済しろとかさ、おっさんたち、どういう頭のネジの巻き方してるんだっつーの」
「こ、このクソアマ、ぬかしやがったな」
 怒りも露わに、腰を浮かせかける子分どもに。
「よさないか」
 宇喜村が親分気取りの鷹揚な声で制した。
「十代の女の子に、本気で怒るとは大人げないぜ」
 子分どもをしかってから、
「しかしサロメちゃん、おまえも利口ぶった口を利くが、それじゃあ渡世の義理は通らないぜ」
「渡世の義理とは笑わせるね。父さんを半裂組に売ったのがアンタらだってこと、知らないとでも思ったの」
「竜二のヤツは、義理だ仁義だと筋目を立てて、なにかと親分の商売の邪魔しやがるし、そのくせ若い者には人望があった。目ざわりこの上ないってヤツで、始末されたのも自業自得だ」
 ソファーにふんぞるヤクザが、さも当然と言ってのける。
 サロメはは鼻孔を膨らませ歯を嚙みしめ、幼顔に敵を見つけた獣の獰猛さを刷く。
「父さんは腕も度胸も一流のヤクザだったけど、残念ながら、親分選びは大しくじりをやらかした」
「ガキが、親分コケにするつもりか」
「ガキのざれ言にいちいち騒ぐな」
 子分どもをどやしつけた宇喜村だったが、目じりに怒りが表れていた。
「とはじぇ、こうもしつけがなってないとなると、俺たちで教えてやるしかなさそうだ」
 とっさに椅子から飛び出そうとしたサロメだったが、とっさに椅子から飛び出そうとしたサロメだったが、天井から降り注ぐ金色の光の滝に捕らえられた。電磁流、これはキクモリ公園で、来島が、アーマーソルジャーに投げて動きを封じた、あの手投げ弾の電流と同じもので、フィジカルサイバーの動きを封じられるし、電流であるので電撃のダメージも与えられる。サロメは、瞬間手だけをコスチューム装備として、左手を頭上にかざして頭を直撃から守っていたが、全身が電磁流に縛られて身動きが取れず、これ以上のコスチュームの装備もできそうにない。まったく、ヤクザがこんな仕掛けを備えていたとは、正直なめてかかっていたサロメである。
「驚いたか。サイバーなんぞはそんなにレアでもない。裏の世界でもそれなりいる。そんな奴らに対処するために、こんあ仕掛けも用意しているのさ」
 デスクを離れた宇喜村は、だが、近づき過ぎると電流にやられるので、一メートル手前で足を止め、捕らえた獲物に目を細める。
「巣通なら、一瞬で失神か死ぬが、驚くほどの耐性だな。だがそれもいつまでもつか。十分もしないうちに気を失うだろうぜ。そうしたら、たっぷりヤクをぶち込んで、しつけてやろうって段取りよ」
 宇喜村は、欲情にただれた笑みを浮かべ、子分どもの笑い声が下品な潮騒のようだ。
 サロメは、宇喜村の顔に唾でも吐きかけてやりたかったが、電磁流に捕らえられて身動きができず、たしかにこのままでは気を失いそうである。
「心配しなくても、おまえを片づけたら母親もかっさらってきてやる。私はね、前からお前たち母娘をどうにかしたいと思っていたのさ」
「コレと狙いをつけたら、必ずモノになさる。まったく、親分は大した才覚です」
 子分のお追従に、
「おまえたちにも、お相伴させてやるぜ」
 宇喜村は応え、ゲスな笑いに盛り上がっていると、不意にドアが開いた。
「なんだてめぇは」
 懐から銃を出しそうなヤクザに、両手をあげて歩いてきたのは、うだつの上がらなさそうな中年男、来島だった。
「銃は外の子分さんに預けてある。丸腰だよ」
 それでもヤクザどもは、来島の武器を持っていないことを確かめた。
「やあ、紅河くん。すっかり参っているようだね」
 身体検査を済ませた来島は、天井から降り注ぐ電磁流に捕らえられたサロメに声をかける。サロメは、さながらクモの巣にかかった蝶のごとくありさまながらも、不敵の笑みを返した。
「見込んだ通りの根性だね」
「てめぇ、何者だ」
 宇喜村がドスを利かせた声で質す。
「私はサイバー特課湾岸署の来島というものです」
「サツかい」
「その親戚のようなものです」
「親戚だか分家だか知らないが、サツがのこのこやってきて、どうこう出来る場所じゃない。命が惜しけりゃ失せやがれ」
 まくしたてる宇喜村に、目をパチクリした来島は、
「私も長居するつもりはないのですが、紅河くんは大事な部下ですので連れて帰ります。解放してください。」
「あいにくだが、コイツにはたっぷりしつけてやらないことには、しめしがつかないんでね。こっちは都議会の泉北先生とも昵懇なんだ。アンタみたいな小役人の首の一つ二つ取るのもたやすいことなんだぜ。わかったら、とっとと帰るんだな」
「泉北先生ですか。とかくのウワサのある方だが、おたくらとつるんでいたとは、悪臭プンプンなわけだ」
 来島は、納得のいったような顔をして、
「しかしね、あなたたちのために言ってるんですがね」
「俺たちのためだと」
「サイバー特課に所属のフィジカルサイバーは、善良な市民に対して、みだりに暴力をふるってはならんのです。それは懲戒処分の対象となります。しかしあなたたちヤクザは、善良な市民に含まれません。まあ、善良とは言い難いですからね」
 来島は、宇喜村をはじめとするヤクザはの面々を眺め、それから電磁流に捕らえられたサロメに目をやる。
「今、紅河くんを解放してくれたら、私がなにもさせません。穏便に納めると言ってるのですがね」
「ぬかしやがれ、コイツになにができるってんだ」
 宇喜村は来島の言葉を一蹴する。
「コイツはもう、クモの巣にかかった蝶も同然よ。あとはヤク漬けにして、ねっとり、じっくり仕込んでやるのさ」
「おやおや、二十世紀のカストリ雑誌さながらの、そんなお楽しみ企画でしたか。では、これで失礼します」
 来島はあっさりと引き下がり、出口へと歩いたが、ドアの前で振り返り、
「そういえば電力会社からのお知らせで、この界隈の一部の建物、メンテナンスのために一分間停電するそうですよ」
「なに」
 宇喜村が聞き返した瞬間、部屋の電気が落ちた。外は昼間だが、この部屋は窓もカーテンが引かれて外光を遮り、照明が落ちると、ものの形もぼんやりとした暗がりとなる。
「非常用の電源はどうした。すぐに明かりをつけろ」
 騒いでいるうちに照明が戻った。
「ったく・・」
 ぶつくさいいながらふいと見やった宇喜村は、飛び上がるほどに驚いて、後ずさった。そこには、凛としたたたずまいの漆黒のコスチューム。
「て、てめぇは・・・」
 天井を見ると、サロメを捕えていた電磁流の仕掛けも、停電で切れていたのだ。
「乙なもてなしありがとさん。おかげでアンタのゲスな本音も聞けて、母さんのためにも、いよいよ捨てちゃおけないわね」
「そんな格好をして、マンガのヒーローにでもなったつもりか。ハチの巣にしてやるぜ」
 騒ぎを聞きつけて、組長室の外にいた連中もどやどやと入って来て、いくつもの銃口を向けられるなか、サロメは泰然として、
「慌てないでよ。そんな無粋なモノをぶっ放すまえに、こちらも披露したいものがあるわ」
「なんだと」
「健さんの唐獅子牡丹じゃないけれど、アンタらみたいな悪党が、目ん玉ひん剥く代物よ」
 サロメは背中の大剣を抜き放った。一般的な刀剣の鋭さのあるフォルムではなく、メカニカルな感じさえするが、しかし強烈に物騒な雰囲気を醸すソレを、下段の腰構えから周囲を薙ぐように大きく一旋させる。ヤクザどもは凄まじい波動に尻餅をつき床に這う。空間に伸びた波動がビルの壁に当たると、サロメに独特の手応えをもたらし、サロメは大きく薙ぎきったのだ。一瞬、ズッ、ビルが微妙に震え、
「クソアマ、俺のビルになにしやがった」
「さあね」
 サロメは大剣を背中の鞘に収めた。
「コケ脅かしか、だが、こんな厄介な女生かしてはおけない。少々もったいないが、殺っちまえ」  宇喜村が吠えて、一人のヤクザがしゃしゃり出た。
「そのコスチュームは硬いらしいが、これならどうかな」
 男は大型のリボルバーを構えていた。
「500ハイパーマグナム。厚さ三センチの鉄板も貫通するぜ」
 サロメに向けて号砲を轟かす。まさにハンドキャノンの迫力だったが、全弾コスチュームに弾かれてサロメの前に落ちる。
「コイツでも通用しないのか」
 啞然とするヤクザ。
「タマ切れ、それじゃあこちらのターンね」
「えっ」
 サロメの手には十字手裏剣があった。
「ギャア」
 十字手裏剣がヤクザの鼻の横に突き刺さる。棒手裏剣よりは殺傷力に劣るとはいっても、こんなものが四五センチの深さで顔に突き刺さったらたまったものではない。ヤクザは顔を押さえて倒れる。さらにサロメはまわりのヤクザどもに手裏剣を投げる。顔に飛んでくる手裏剣を手で防ごうとしたヤクザの手のひらがちぎれそうになる。風を切る手裏剣は、次々とヤクザどもに命中して、あちこちで悲鳴があがる。フィジカルサイバーには通用しないが、普通の人間には威力十分であり、しかも致命傷にはなりにくいので、気兼ねなく投げられる。ヤクザたちは、なにしろマグナムさえ効かない相手である。拳銃を撃ち返す間も惜しんで我先にと逃げ出し、残ったのは親分の宇喜村一人となった。
「まて、もうおまえたち母娘には手を出さない。誓約書を書く」
 宇喜村はデスクに走り、ペンと紙を手にして見せた。
 サロメは無言で、こちらに来いと指で招く。
 恐る恐るやって来た宇喜村からペンを取り、
「アンタたちの誓約書なんて、鼻紙代わりにしかならないでしょ」
 サロメは宇喜村の手を取った。忍者コスチュームのグローブを嵌めた手は、女の子どころか、男でも、滅多にないほどの万力のごとき握力で、宇喜村は悲鳴をあげるが、サロメは意に介さず、
「だから、紙時じゃなくて、ここに記すのよ」
 サロメはペンを宇喜村の手のひらに突き刺した。
「うぎゃああ」
 魂が千切れるばかりの悲鳴をあげ、宇喜村は手を見た。手の甲から入ったボールペンが、手のひらから五六センチも突き出ていて、黒インクのペンが、赤ボールペンのように、真っ赤に濡れていた。
「私たちになにかしたくなったら、その手を見ることだね。それでもヤルっていうのなら、次は額に突き刺すことになる」
 サロメは言い捨てて部屋を出た。ビルから出るときには、忍者コスチュームから来た時の服装になっていた。
 外に出てと、ニ三人が宇喜村のビルを見上げて話していた。
「このビル、おかしくない」
「一階と上が、微妙にズレている気がする」
「手抜き」
「さあ」
 そんな会話を聞き流して歩いていると、
「よう」
 来島だった。
「電気、停めてくれたんですね」
「キミにだって、それぐらい出来たろう」
「さあ」
 自信なさそうに答える。
「ビルから、血だらけのヤクザたちが走り出てくる様は傑作だったぜ。だが、ビルを丸ごと薙ぎ払うとはね」
「武器の力です」
「その武器を扱えるのは、キミだけだ。メシでも食うか」
「せっかくですが、母が待っているので」
「それじゃあ今度、ハネたちと一緒に食いに行こう」
「・・・・」
 サロメは頭を下げ、歩き出した。その後ろ姿を見送りながら、
「とにかく湾岸署のサイバーチームは、君をエースとしてやってゆくしかない」
 華奢な体に重荷を預けるのも済まなさそうに、来島はつぶやくのであった。







 




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