第1話ハネとサロメ

文字数 14,089文字

その日、北海道は全域快晴だった。空に雲一つなく、ようやく長い冬を終えた北の大地は、陽光に緑は輝き、吹き渡る風も爽やかに、心地よさに満ちていた。しかしこの日、鳥や獣が異様に騒いだ。厳しい冬を耐え忍んで、暖かさを取り戻した大地で春の喜びを満喫したいはずなのに、一時空を覆うほどに飛び立つ鳥の、せわし気に空を渡り、群れをなして野山を走る獣は、何かに追い立てられているかのようであった。
「北のミサイルでも落ちてくるのか」
 初めての光景にそんなことを口走る者もいたが、しかし降ってきたのはそんなものではない、もっと、遥かにとんでもないものであった。

——二十二世紀って、俺なにしてるかな——
校舎の屋上で、スーパーの半額おにぎりを食べながら、少年はそんなことを考えた。屋上であぐらをかいておにぎりを食うが、そのルックスは悪くない。そして彼の通う高校の校舎の周囲には、復興と荒廃のモザイクのような、ニュー東京のでたらめな街並みが広がっていた。
 二十二世紀はすぐそこ、少年は二十歳を過ぎたばかりだが、けっこうしょぼくれているかもと思った。俺のアタマじゃ大した職に就けてないだろうし、ブラック企業でこき使われて過労死寸前ってか、死んでいるかも。暗澹たる未来予想図に、形の良い顔に憂愁をたなびかせる。
 少年は名を黒塚夜羽という。子どもにヨハネと名付けるぐらいだから、親はクリスチャンかと思えばさにあらず。現世ご利益の妙なまじないを真に受けるぐらいで、他に大した信仰もない。夜羽という名も、名前も決めずに出生届を出しに行って、役人に新生児の名を聞かれて、その場の思いつきでつけたに過ぎない。もっとも、あのおふくろであれば、サタンとかサンタとかつけなかっただけでも上出来である。
 夜羽は高校三年生。来年は進学か就職だが、夜羽は就職組で、正直これ以上の就学は家の経済がもたない。成績優秀なら無償で大学に進める奨学金制度もあるが、さいぜんの未来予想図でも自認していたように、そちらは惨憺たるありさまなのだ。
「ハネちゃん、メシ済んだかい」
 声をかけてきたのはクラスメートのヨシキだ。顔見知りで夜羽をヨハネと呼ぶ者はいない。ハネが通り名で、担任もハネで済ます。
 屋上では他にもあちこちでメシを食っている。食堂で給食もあるがそちらは給食費がかかる。昔は給食がタダなんてけっこうな時代もあったみたいだが、今じゃ政府もすっかりせちがらくなった。弁当を食う連中はあまり集まって食わない。弁当には家庭の経済事情が色濃く反映されるので、そこは互いに気を使うのだ。ハネの弁当はこのところスーパーの半額おにぎりである。元風俗嬢で、今はキャバレーに出ているおふくろが、半額おにぎりをもっと安く手に入れるツテを得たものとみえる。イモばっか食ってるヤツもいるが、そいつの家は、イモの安定供給のルートを確保したってことだ。
「食い終わったけど、なにか用かい」
「五組の井村ミユキって知ってるか」
「知らんけど」
 ハネは二組だし、クラスメートでも、三割は名前うろ覚えだ。
「父親が弁当工場の課長でさ、ちょっと可愛いぜ」
「・・・」
 その言い方で想像はつく。
「で、その井村ミユキがハネちゃんに気があるってさ。付き合ってくれたらシャケ弁おごるって」
「おまえにかよ」
「ハネちゃんには、シャケ二切れの特別バージョンだぜ」
「遠慮しとくぜ。シャケったって代替肉だろ」
「ハァ、ハネちゃん泳いでいたシャケ食ったことあるの」
「いや、ないけど」
 多分、一生ないとハネは思った。
「シャケ弁で、気のない女の子とつき合う気分でもないのさ」
「まったく、もったいないぜ。ハネちゃんなら、彼女の一人二人作るぐらい造作もないだろうに」
「一人二人って、二股はイカンだろう」
 ハネはあまり意識してないが、友人たちはハネのルックスがイケてると言う。たしかに目鼻立ちは整っているし、身長も百八十ある。目もと涼しいイケメンで両親に感謝なのだが、父親はどこのだれとも知れないので、感謝の伝えようもない。
「ヨシキくんよ。キミ、シャケ弁食ったり女子とつき合う以外、なにも考えたことないの。たとえば将来のこととかさ」
「らしくないね、どうしたの」
「いや、俺たちも来年卒業だろ。なんかやるせなくなってね」
「ハネちゃんもウツかよ。なるヤツ多いけど、俺はガゼルに乗る。それで大願成就さ」
 ヨシキは大の二輪好きだ。免許ないのにあちこちツーリングしたって話聞かされたし、スマホの写真も見せてもらった。程度の良さそうな不良グループで、ヨシキには合っていそうだった。そしてガゼルは、大手二輪四輪メーカー凡田技術の中型電動バイク。四十馬力、最高速度二百三十キロ、フル充電で千キロ走行可のスグレモノだ。
「俺たちレベルの入れるところったら大概ブラック。こき使われる日々だろうけど、ガゼルに乗ったらどんなストレスもへっちゃらって気がするんだ」
「ヨシキくん、見かけによらず考えてるね。だけど買えるの」
「誰にも言うなよ。もう六百円貯めてんだ」
「すごい!俺なんて、今まで一番持ってたの四百円だぜ。それだって溜まってた学費おふくろから預かってただけで、学校に着いたらすぐになくなったけど。で、ガゼルって、いくらするの」
「一万二千円」
「結構するね」
「月給取になったらすぐに貯まるさ。それに免許も取らなきゃだしね。それより、今日の放課後空いてる」
「シャケ弁デートならノーだぜ」
「違うよ。キクモリ公園にバンドが来るんだ。一緒に行かないか」
「なんてバンドだよ」
「ええと、パープルユングって新人だよ」
ヨシキはスマホをいじって調べた。
「行きたいけど、テロが怖いぜ」
「そんなの心配してたら、どこにも行けないぜ」
「こないだも大勢死んでるんだぜ」
「警視庁だって黙っちやいないし、そんなに続きはしないさ」
「警視庁、サイバーの奴ら、捕まえたって話聞かんけど」
「そのうち捕まえるさ。なあ、つきあえよ」
 ヨシキの誘いに心決めかねていたハネの視線が、屋上の手すりにもたれている女子生徒に止まった。
「あんな子いたか」
 肩まである黒髪の、そよ風にサラサラ揺れるセーラー服の彼女は、遠目にも際立つ美形だが、幼顔で中学生ぐらいにも見えた。手すりにもたれて、街の景色を眺めながらカロリーメイトを食べている。
「四組の紅河サロメだよ。前の学期に転校してきて、もう三四ヶ月いるぜ」
「同じ学年?」
「中学生ぐらいに見えるけど、同い年だぜ。幼顔の美形だからロリコンの連中とか、ヨダレたらたらだったけど、あの子はやめとけよ」
「ロリコンじゃないけど、なんでだよ」
「親父さんがヤバい系の人だったんだ」
「ヤバいって」
「ヤクザさ」
「だったってえのは」
「殺されたのさ。しかも家に首が投げ込まれたってえからいわくつきも半端じゃない。群がっていた男たちも、一斉に引いたのさ。けどこれって、ひと頃もちきりのウワサだったけど、知らなかったなんて、ハネちゃんの情報うといのも半端ないね」
ヨシキの話を聞きながら見ていると、カロリーメイトを食べ終えて振り返った紅河サロメと視線があい、サロメは薄笑いをした。たしかに幼顔の美少女で、ロリコン野郎にゃたまらんだろうが、ハネはさっきの薄笑いに、大人びたずる賢さの透けて見えた気がして、
——クソ好かんアマ——
が第一印象だった。まさかそのクソ好かん少女によって、数時間後に運命が大きく変わってしまうとは、神ならぬ身のハネに、知るよしもないのである。
 そこがいつからそう呼ばれているのかハッキリしないが、少なくとも西暦二千六十年以前の東京に、キクモリ公園なんて地名はない。東京は核ミサイルの攻撃を受けて、とてつもない規模の破壊に見舞われた。いったいどれだけの人が犠牲になったのか、正確な数はいまだにわかっていない。かって世界トップクラスの繫栄を誇った都市は壊滅寸前となる。ニュー東京の名のもとに復興の歩みを進めるも、都市の形は大きく変わった。相変わらず国の首都ではあったが、日本の経済の中心はニュー東京ではない。それは北へ移っている。世界はニュー東京など眼中になく、注目は北海道に集まっている。なぜそうなったかと言えば、ことの起こりは数十年前だ。
 ハワイの天文台が天王星の軌道圏に巨大な隕石を発見した。しかし、それだけのスケールの隕石ならとっくに発見されているはずなのに、そいつは忽然と現れた。しかも地球に向かっている。世界中の天文台の望遠鏡、そしてハップル宇宙望遠鏡など、宇宙へ向けられている人類の全ての眼がそいつに集中した。そしてわかったのは、そいつが間違いなく地球に衝突するということと、標高千メートルクラスの山一個分ぐらいの大きさがあるということだ。学者たちが、こんなのが落ちてきたら大変だと想定していた、隕石衝突の最悪のケースの、百倍とか何百倍とかである。大変なんてものではない。まさに人類消滅の危機。世界中は大混乱となり、民衆からは核ミサイルで破壊しろという声がヒステリックに沸きあがった。しかし、いざとなったら地上の敵国を壊滅するために用意してある核ミサイルで、宇宙から降ってくる超巨大隕石を迎撃するなんてプロジェクトが、そんな短期間で出来るわけもなく、人類は迫りくる危機に対して、ほぼ打つ手なしであった。局面が変わったのは衝突予測日の二日前である。隕石が軌道を修正し、また二十パーセント減速したとも伝えられた。天然自然の物理の法則に従って、地球に衝突してくる隕石にはあり得ないことである。絶滅の危機からの一縷の望みが、やがてある種の狂信へと変わり、人々は空を仰いだ。そして降臨の地に選ばれたのは北海道。青空を割り、宇宙の一雫が滴り落ちてきたのである。
 遥か天空より降りてきたのは、SF映画に出てくるような巨大宇宙船ではなく、どこかの宇宙空間を切り取ってゼリー状にしたような、不定形の漆黒の塊であった。もちろんそれが宇宙船なのだろうが、一帯の空を覆い尽くして降りてくるさまは、宇宙が一雫、滴り落ちてきたようであった。人々は逃げまどい、人間よりも異変を察知することの早い動物たちは、何時間も前から、原野を大移動していたのである。
 白昼の陽の中に、夜の虚空の沈殿するかのように、巨大な闇の塊の降下してきて、まるで実体のないもののように、なんの衝撃もなく着地した。ただ、その周囲の広い範囲の人や動物や石や枯れ木や、地上に根を張ったり固定されたりしていない様々なものが宙に浮いた。無重力状態のようにフワフワと空中を漂い、四五分してゆっくりと着地してケガ人もなかった。そして気がつけば、漆黒の要塞が大地に君臨していたのである。
 外壁の高さ二十メートル、外周五十キロに及ぶ八角形の超巨大構造物は、不時着した宇宙船というよりは要塞であった。日本政府はすぐさま宇宙からやって来た超巨大構造物の周囲を立入禁止区域として、警察や自衛隊を配置して一般人の接近を禁じた。しかし、あまりにも巨大で広範囲だったのですぐには十分な人員が用意出来ず、警備の届いていないところでは、一般人や報道人が自由に超巨大構造物に触れることができた。中にはハンマーで叩いたり、ドリルで穴をあけようとする者もいた。更には人を遠ざけてダイナマイトを爆発させる者も出た。特にダイナマイトは大岩をも木端微塵にする量だったが、いずれの場合もひっかいた跡すら出来なかった。ショベルカーを運転して来て外壁の下を掘る者もいた。驚くべきことに、五メートル掘り下げてもまだ外壁が続いていた。宇宙からやって来た超巨大構造物は、一瞬にして地下深くにその礎を据えたようであった。これらの様子は居合わせた人々に撮影されてSNSに上げられたが、いまでは貴重な資料である。やがて大量に動員された警察や自衛隊、それに米軍も加わった厳重な警備により一般人の接近は遮断されて、三十年近くたった現在も続いている。超巨大構造物はブラックノヴァと名付けられて、日本政府はこれに黒陽城の和名を与えた。
 そして日米政府はブラックノヴァの周囲を、高さ十メートル基底部の厚さが一メートルもある強化コンクリートの壁で囲った。外周五十キロもあるブラックノヴァの二百メートル外側をこんなもので囲おうというのだから気の遠くなる大工事である。しかし日米政府は、これを十年で完成させた。延々高く頑丈な壁の続くさまは、トランプの国境の壁もかくやと思わせる壮観である。
 ブラックノヴァを見た世界中の人々は、やがて宇宙人が姿を現すものと思っていた。人類以外の知的生命体をついに見れるのだと、世界中で多くの人が何日も中継のテレビにかじりついた。しかし、宇宙人なんてものが姿を現すことはなかった。宇宙人については、ブラックノヴァの中にいるのかいないのかということも含めて、三十年近くたった現在も、全てが謎のままなのである。
 やがてブラックノヴァを囲うようにバリケードが設置された。しかし、外周五十キロのブラックノヴァである。その全体を覆い隠すことは十年がかりの壁ができるまでは難しい。外観からは前後もわからないブラックノヴァの、南東方面を政府は隠そうとしているように見えた。それは、ブラックノヴァから出てくる宇宙人を人目にさらさないためではなく、日米政府の関係者がブラックノヴァに入るのを隠すためではないかという憶測が流れた。やがてブラックノヴァの周囲の立入禁止区域内に、日米政府の運営する研究所が建設された。そして警備を担当する自衛隊と米軍の基地。科学者や職員たちの寮。家一軒見当たらなかった原野が俄かに建設ラッシュとなった。一連の動きを見ていた世界の国々は、日米政府が、何らかの形でブラックノヴァの内部と連絡を取っているのではと疑った。実は少し前に国連では、ブラックノヴァを人類全体の財産として、いかなる国家の独占も許さないという決議案が提出されていた。これは国連ではかってないほどの、ほぼ満票に近い、日本とアメリカ以外の全ての国が賛成票を投じる結果となった。だが、日本の反対はともかく、伝家の宝刀、アメリカの拒否権によって潰されたのである。
 日米政府はこの憶測を否定したが、発電所の建設でシラを切るのも通らなくなった。降臨から二年後、ブラックノヴァから三キロの地点に発電所が建設された。北海道全域の電力をまかなうほどの大出力だが、原子力でもなければ化石燃料でもなく、再生可能エネルギーなどはありえない。実はこの発電所は非公開の内部に発電設備などはなく、地下に通したケーブルでブラックノヴァから供給される電力を、既存の送電網に流すだけの設備であった。このことを追及されて、日米政府は全世界を敵に回すつもりもなく、かねてより求められていた、研究所への各国の科学者たちの受け入れを承諾した。
 北海道総合研究所。世界を刺激したくないという意図から、先端などという言葉は使わず、あえて平凡な名称のこの研究所は、ブラックノヴァから提供された機器やデータを解析して、その製造方法を研究して実用化を図ったりする施設で、平凡な名称とは裏腹の超最先端というか別次元の超最先端、世界の度肝を抜く内容だった。しかし各国の科学者たちが入る前に、アメリカはそれまでに得ていたデータを全て持ち去り、他国に対する大きなアドバンテージを得ていた。そして出たのが反重力モーターである。フィールドモーターといお名称の、このメイドインUSAの動力機は世界に衝撃を与え、とりわけアメリカの対抗軸の立ち位置をとる中国とロシアを震撼させた。フィールドモーター搭載の戦闘機F01ビリーザライトニング。0は新次元を意味するそうだが、コイツの性能はまさに新次元、荒唐無稽なSFヒーローの愛機顔負けである。最高速度はマッハ7、滑走路要らずの垂直離着陸機で空中に静止することも出来る。他機を凌駕する抜群の運動能力に戦艦をも撃沈させる強力な火器。さらに驚くべきはその航続距離というか。連続航行時間である。百時間を超え、連続航続距離は七十万キロ。つまりアメリカ国内の基地から地球上のどの地域にも作戦行動を起こせる、もはや空母不要の、従来の防空システムでは打つ手なしの化け物である。ヨーロッパのある国の将軍は、三十機あれば世界征服出来ると言ったが、既に十二橋を保有するアメリカは、ゆくゆくは百機体制にもってゆくつもりである。
 世界は理解した。ブラックノヴァはビジネスパートナーではなく、サンタクロースだということを。そもそもあんな超巨大構造物を、衝撃もなしに着地させるテクノロジーをもつ存在が、わざわざ交易してまで欲しがる物が地球にあるかということだ。その意図はわからないが、ブラックノヴァは与えるだけのもの。サンタクロースの橇がたまたま北海道に不時着したのである。ただそのプレゼントは、世界の軍事、経済のバランスをひっくり返すほどの代物だということだ。
 各国はアメリカの独占に怒ったが、非難は日本に集中した。ブラックノヴァという人類全体の財産たるものを預かりながら、唯々諾々としてアメリカにその財宝たる科学技術を供与して、独占を許している。しかも日本政府はブラックノヴァとのアクセス手段を保有しながら、アクセス全般について米政府の承認を得るという二国間条約を締結していたので、アメリカの優位は容易に縮まらない状況にあった。
 日本政府にブラックノヴァを任せていては、やがて米帝による世界征服を実現させてしまうと考えた国々に、ブラックノヴァを奪い取るための日本攻撃、北海道占領の機運が高まった。そして考えを同じにする(つまりはアメリカに対する不信と日本に対する憤りを共有)数か国が有志連合を結成した。NATОや非NATОの枠を超えた軍事同盟で、それほどにも、ブラックノヴァは世界の軍事情勢を激変させていたのである。そしてついに有志連合の諸国は、東京にミサイル攻撃を仕掛けるという挙に出たのである。大規模多重的核ミサイル攻撃で首都を殲滅して後、北海道に上陸作戦を敢行すべく、太平洋に大型艦隊を展開していた。核ミサイル攻撃は主に潜水艦とミサイル駆逐艦によるものであった。
 世界トップクラスの繫栄を誇った大都市は、広島や長崎の百倍というとてつもない核攻撃に、壊滅的打撃を被った。攻撃を東京に集中したのは、首都を一日のうちに灰燼に帰せしめて、日本政府の抵抗の意志を削ぐためである。上陸作戦を敢行するはずの北海道を攻撃しなかったのは、その頃既に在日米軍の主力を北海道に移していたアメリカへの配慮であり、アメリカとは事を構えず、交渉で決着を得たい意図があった。しかし有志連合の想定外(いや、日本はブラックノヴァに、唯一アクセスできる関係にあったので、もしかしたら程度には考えていたが、対応策を立てようにも、まったくなにが起きるか予想できないので、想定から外しておいたということだ)のことに、東京が攻撃を受けると、ブラックノヴァがその力を発動させた。後日、それは日本政府がブラックノヴァに要請したり、なんらかの操作によるものではなく、完全にブラックノヴァの意志によるものであると日本政府は主張したが、なにせ相手がブラックノヴァなので真相の確かめようもない。
 東京が核ミサイル攻撃にさらされると、ブラックノヴァから三個の飛翔体が現れた。真っ黒でゴツゴツしたフォルムのソレは、さながら闇の巣より昇り出た三匹の龍。反重力を使っているのであろう、翼もなければジェットエンジンを噴かせるでもなく、ブラックノヴァの上空二百メートルの高さまでエレベーターの昇るような速度で上昇して数秒後、今度は一瞬で積乱雲をも突き破る速度で飛び去った。
このときの速度は推定マッハ10である。龍の一体は、東京に核攻撃を行った有志連合の中でも、もっとも大きな軍事力を持つ国の、首都に次ぐ第二の都市の上空に現れた。防空システムが作動して、何百発とミサイルが発射され、数十機の戦闘機が迎撃すべく発進した。しかし、ミサイルは命中するもまったくダメージを与えられず、戦闘機は龍を照準に入れる前に、龍からんおビーム攻撃でことごとく撃墜された。そして、黒死の龍はとてつもない熱線を放射した。何キロにも伸びる熱線がビル街を薙ぎ払い。鉄筋コンクリートのビルが即座に砂塵と砕け、一大都市は下草をバーナーで焼き払うが如く焦土と化した。核物質を使わない熱攻撃は、核攻撃をもしのぐ威力だった。なにしろ百万に近い市民が、わずか三十分のうちに炭化させられたのだから。そしてもう一体は、日本に侵攻すべく待機していた2個師団の兵員二万人と、戦車やロケット砲など車輌数百台を焼き払った。残る一体は太平洋に展開していた艦隊を襲い、一隻残らず沈めたのである。三匹の龍は一時間足らずの作成行動の後、ブラックノヴァに帰投した。幸いなことに、それから二十数年経つが、龍は一度も姿を見せていない。東京への核攻撃と、龍による反撃の二日後には、有志連合は、日本への侵攻を中止して講和条約を申し入れた。急展開の和平に、日本は拒否する理由もなく、すぐさま条約の締結となった。しかし、有志連合の国々には、兵力の損失は大きかったが、まだ作戦継続の案もあったのである。だが、龍による破壊の様をテレビでみた世界中の人々が、龍に甚大な恐怖を抱いたのである。特に有志連合に加盟している国々では、次に、あの龍に焼き殺されるのは自分たちかもしれないという恐怖に駆り立てられた国民が街に出てデモを行い、何十万という群衆が国会に押し寄せて、即刻の停戦と有志連合よりの脱退を求めた。首脳たちはしの圧力に耐え切れなかった。平和条約の締結後、有志連合は解体され、指導者たちはその地位を追われ、中には獄に繋がれた者もいた。そしてこのことがニュースで伝えられると、日本の各地で戦勝を祝う花火が打ち上げられた。ハネたちが生まれる何年も前のことだ。
反重力モーターや龍、ブラックノヴァは人類に科学の遥か先にあるものをもたらし、その威力を見せつけたが、実は、もっと驚嘆の贈り物を用意していたのである。
 今はブクロというその地区が、以前の池袋かはわからない。ニュー東京の地名は、なにか適当感が拭えない。キクモリ公園は駅からほど近い広場で、近くにビル街もあったが、壊滅前の東京の摩天楼群と比べるとお粗末なものだ。
 バンを改造した屋台が出ていて、ハネとヨシキはタコ焼きを買った。これもタコだかなんだかわからん代物だが、粉ものにハズレ無しがヨシキの持論だった。たしかにお好み焼きの代替肉や正体不明な具材も、ザクザク切ったキャベツと一緒に小麦粉の生地に絡めて焼いて、ソースをぶっかければイケたものと、ハネも思うのである。
 公園の仮設の舞台では、ちらほらと集まってきた観客を前に、バンドのメンバーが楽器を鳴らしていた。本番前の軽めの練習で、素人臭さが抜け切れていない無名の新人バンドだ。壊滅前の東京じゃ見向きもされないイベントだろうが、かっての東京と比べると、なんもかんもがチープになっているニュー東京である。
「カッコつけてるわりには、演奏はイマイチじゃね」
 ハネの感想だった。
「俺もあんなふうに演奏できたらな」
 ヨシキはタコ焼きを食いながら、憧れの表情。
「ガゼルだバンドだと気が多いね」
「ハネちゃんは、バンドとかやってみたいと思わない」
「あんまり」
 ハネは今まで、何かに情熱を注いだり、青春を賭けたいとか思ったことはなく、あんなのだったらいいなぐらいの憧れを抱いたことはあるが、それに向かって行動を起こしたりとか、そんな熱量とは無縁だった。前に、少しだけ付き合った女の子から、人生投げやりじゃんと言われたことがあるが、ハネの人となりを言い得ていると言えよう。
「・・」
 ハネはあたりを見まわした。
「どうしたの」
「いや・・」
 ポカポカとした陽気なのに、首筋にゾクッと寒気がしたのだ。
「くたびれたぜ。あっちへいって休まないか」
「もうすぐ演奏が始まるよ」
 ヨシキはタコ焼きを食べ終えて、待ちきれない顔であった。
 舞台の前には人が集まってきて、ハネも落ち着かないながらも皆と演奏の始まるのを待った。そして、バンッバンッバンッ、耳に響く乾いた音は、ドラムではなく銃声。
「テロだ」
 誰かが叫び、人々は一斉に逃げ出す。
「なんでそんなものが出てくるんだよ」
 腹を立てたヨシキは、タコ焼きの入れ物を叩きつけた。
「怒ってる場合かよ。逃げるぞ」
 ハネはヨシキの腕を掴んで走り出した。
 壊滅的状態から復興を遂げようとしているニュー東京であるが、テロには悩まされ続けていた。いや、ニュー東京だけではない。ブラックノヴァの出現で、世界の政治や軍事、経済の状況が枠組みごと変わり、世界の激変の中でテロ組織も変容を遂げ、世界が新しい状況に適応する前に、その脅威は世界中に拡散した。テロは世界中で起こっていて、ニュー東京はその戦場の一つに過ぎない。そして、テロの脅威を増大させている一つの要因が、
「サイバーだ」
 叫び声があがる。
 公園のあちこちに現れたのは、中世ヨーロッパの甲冑を思わせる銀色のコスチューム。時代の遺物?いや、これこそが最新鋭の殺戮装備なのだ。重そうな鉄の鎧に見えて、Тシャツぐらいの重さしかなく、それでいてロケットランチャーの直撃にも耐える強度がある。サイバーコスチュームのアーマーソルジャータイプである。これも反重力モーターや龍などと同様にブラックノヴァがこの世界にもたらしたものだ。コイツの厄介なところは、普通の服装をしていながらも、即時に装備できることだ。武器も丸腰からコスチュームの装着とともに装備完了となる。ブラックノヴァが異次元に構築したトータルサイバーバース。多次元装備と超空間転送が可能なこのネットワークシステムが、こんな魔法も可能とさせる。群衆の中から戦闘力戦車並のテロリストが現れては、取り締まる側も対応に手を焼くのだ。トータルサイバーバースやサイバーコスチュームのサイバーとは電脳空間を意味するのではない。ブラックノヴァが異次元に構築した実装ネットワークシステムを、電脳空間になぞらえてサイバーと言っているに過ぎない。そしてトータルサイバーバースの構造や原理などは、まだ人類には理解不能である。しかし、スマホの構造を理解してなくとも、スマホを使うことはできる。各国の政府やテロ組織も、スマホの扱いには巧みだが、その仕組みやリスクを理解しない子供のように、トータルサイバーバースの力を駆使して相手を出し抜こうと、パワーゲームやテロゲームに血道をあげているのだ。魔法のようにサイバーコスチュームを装備して、超人的な戦闘力を発揮する戦士をフィジカルサイバーと呼ぶ。まるでテレビゲームやVRゲームのキャラクターのようだが、そのもたらす破壊も死も現実の、リアルキリングマシーンなのだ。
 フィジカルサイバー、あんなものに目をつけられたら虎に狙われたウサギ、逃げるしかないのだ。アーマーソルジャータイプのフィジカルサイバーは公園のあちこちに現れて、逃げ惑う人々に武器を振るう。ハネの視界の隅に、ゾッとする光景が流れた。
「こんなところで死んでたまるか」
 ハネは吠えて、がむしゃらに走るのだったが、ヨシキに腕を引かれた。
「こんなところでバテてらんねぇ・・」
 振り返って、ハネは愕然とした。ヨシキの腹が裂けて、へそのあたりから下が真っ赤だった。「ハネちゃん、オレ・・もうダメみたい」
 ヨシキは紙みたいに白い顔で、青い口から吐く息は、いまにも途切れそうだ。
「おっ、大げさだぜ。そんなのかすり傷さ」
 ハネは顔面蒼白となって、こわばった作り笑いを浮かべるのがやっとだった。
「おっ、おぶってやるよ。病院で手術してもらって、明日の朝朝にゃ・・」
 話しているあいだにも、ヨシキの目から光が失せていく。
「ああ、ガゼル乗りたかったな」
 ため息とともにそんな言葉を残して、ヨシキは崩れかかる。
「おっ、おい」
 慌てて抱き止めたハネだが、ヨシキは息をしていない。
「そんな・・」
 ヨシキを寝かせて途方に暮れるハネだったが、
「友達が死んで悲しいかね」
 冷たい声を浴びせられて、息が止まりそうになった。ゆっくり顔を上げると白銀の甲冑。右手の電磁ソードが青白く光っている。常に細かな振動を帯びるこの手の武器に、血のりは付かない。
「テメェがヨシキをやりやがったか」
怒りをぶつけるハネに、兜のフェイスガードがオートマチックで開いた。現れた顔は、青い目の白人の男だった。翻訳アプリを搭載しているのであろう、おかげで外人も、流暢な日本語を話す。「責任は取る、すぐに友人に会わせてやる」
 アーマーソルジャーは電磁ソードを振り上げる。ハネは腰を浮かせ、次の瞬間、体を翻して走り出す。いくら頭にきていても、コイツにぶつかってゆくほど血迷ってはいない。
 アーマーソルジャーは余裕の笑み。サイバーコスチュームをプレイ中は桁違いの運動能力を与えられている。ハネが百メートルの世界記録を持つ人類最速の男だとしても、逃がす気づかいはないのだ。
 一人の男が駆けつけてきて、なにかをアーマーソルジャーに投げつけた。雷が落ちたような音がしてハネが振り返ると、クモの巣がからみついたかのように、アーマーに無数の青白い電撃の光がパチパチ走る。
「クソ」
 アーマーソルジャーはいまいましそうな顔で、フェイスガードを閉ざしたが、金縛りにあったかのように動けなさそうだった。
「逃げろ」
 無精ひげの、冴えなさそうな中年だった。
「でも、ヨシキが」
「死んだ者は救えぬ」
 男は厳しい現実を突きつけて、首にさげていた双眼鏡のケースを思わせる、ひも付きのハードケースを投げ渡した。
「クソどもに奪われるな」
 男はジャケットの下から大型の自動拳銃を出した。ニュー東京も日本なので、民間人の銃所持は違法なはずだが、
「あなたは?」
「グズグズするな。長くは止めておけぬ」
 ハネはもう、ヨシキに目をやることもなく走り出した。
「電磁手榴弾とは油断したぜ。だが、少し痺れただけだ」
「これはどうだ」
 男は拳銃を撃ったが、アーマーに跳ね返されるだけだった。、
「チッ、徹甲マグナムがさっぱりかよ」
ぼやく男を前に、アーマーソルジャーは動きを取り戻しつつあった。
 わき目も振らずにひた走るハネだったが、横から出された細い足に、足を引っ掛けて派手に転んだ。首にかけていたハードケースが転がり、
「クソ、なにをしやがる」
 這いつくばった格好のハネの前で、白く細い指の手が、ハードケースを拾いあげた。
 慌てて立ち上がったハネが相手を見る。セーラー服の幼顔に、
「あっ、おまえはニャロメ」
 バシッ、強烈なビンタがハネの頬を打つ。
「ひぃー、サロメだったっけか」
 手の跡ができているのではないかと思うほど、ヒリヒリする頬をさする。
 紅河サロメは目もくれず、ハードケースを仔細に眺めて、セーラー服のポケットからカード型の電子機器を出して、ケースのロック部分に当てる。しばらく電子音が鳴って、カチッ、ロックの外れる音がした。
「さすがセナ、いい仕事している」
 サロメはケースを開ける。
「それは俺が預かったんだぞ、勝手なことするな」
 ハネの文句など意に介さず、サロメはケースの中を調べる。衝撃から品物を守る低反発の敷物の上に、二本の瓶があった。大きさはドリンク剤の瓶とほぼ同じ、内容量百ミリリットルぐらいか。サロメはラベルを読んで一本を取ると、ケースをハネに投げ返した。
「ソレが何なのか知っているのか」
「フィジカルサイバーになる薬よ」
 サロメは蓋を開ける。蓋は瓶からはずれない。ねじると変形して飲み口が開く仕組みで、一度開いたら閉じることはできない。
「そんなの飲んで、大丈夫かよ」
「私は、死んでも強くならなきゃいけないの」
「死んだら、強くなれんぜ」
「強くなれなきゃ、死ぬしかないってこと」
 サロメはドリンクを飲み干した。彼女の投げ捨てた瓶のラベルには『JОUNiNN HANZОU』とあった。
「なんともないのか」
「いまのところは・・・来たかも」
 サロメの顔が緊張を帯びる。と、その体が黒い衣装に包まれてゆく。セーラー服だったのが、メタルな質感の黒装束となる。上半身は黒のタイトなボディスーツ、下はパンツとなり、パンツは大腿部からひざ下まで、前面部が少し厚く作り込んである感じだ。顔も形の良い鼻の中ほどから下が黒く覆われる黒覆面となった。
「どうなってるんだ。セーラー服は」
「つけているのはわかるけど、ここにないような妙な感じよ」
 靴も、スニーカーだったのがブーツになっている。
「不思議だよな。スカートとか、どげなちょるの」
 じろじろ下半身に目をやるハネに、サロメの蹴りがとんだ。
「いちいちいてぇーな」
「イヤらしいんだよ」
「俺は、純粋な好奇心から、この不思議な現象を観察していただけだろうが」
「フン」
 鼻であしらうサロメは、新たなる感覚を覚えて背中に手をやる。何かが背中にあった。つかんでゆっくり引き抜く。彼女の手には刀があった。その細身にあったとは思えぬほどに大きく、そして普通の刀剣とは違いメカニカルな形状で、これで物が切れるようにも見えない。それでいてソレは、強烈に武器としての雰囲気を醸している。
「なんだよ、ソレ」
 ハネも目を瞠る。
 十数メートル離れた場所に、人の背丈ほどの高さの自然石が立っていた。オブジェとして置かれて、景観の中でそれなりの存在感を放っていたが、サロメの目には無用の長物。近づいて刀を振りかぶる。そして一颯。そこに起こったのは太刀風とは違う、空間の歪みのようなゴツイまでの波動。ゴトン、重量物の落ちる音がして、石は斜めに断ち切られていて、一抱えもある片割れが、艶やかな断面を見せて転がっていた。
「スゲー」
 目の当たりにした威力に興奮したハネは、
「俺もサイバー野郎になって、ヨシキの仇を討ってやるぜ」
 ケースに残っていたもう一本の瓶を取り出して、一気に飲み干した。飲んだ後で見た瓶のラベルには『GĒNiNN SASUKĒ』とあった。
「なんか、鉛を飲んだみたいな感じ」
 顔をしかめたハネだったが、次には全身を痙攣させて倒れた。
「かあちゃん悪い、先逝きそうだわ・・・」
 白目をむいて気を失ったハネにサロメは舌打ちして、刀を背中の鞘に収めた。初めての動作なのによどみなくしてのける。鞘に収まった刀は、鞘ごとサロメの背中から消えた。
 少し迷ってから、サロメはハネを背負った。こんな細身の少女が、同学年の男子を簡単に背負えるわけないが、サロメは苦も無くしてのけた。それどころか、サロメはハネを背負ったまま走り出した。それも、マラソンのトップランナーでも追いつけないぐらいのスピードで、人間の運動能力の域を大きく超えていた。






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