第9話 夏至祭
文字数 2,157文字
ついに、夏至祭がやってきた。王国のいたるところで、にぎやかな宴会が開かれている。
女性は夏の花で編んだ花冠を被り、男性は白樺の腕輪をつけるのが、昔からの習わしだ。王都のあちこちから、にわか楽士の演奏や、明るい歓声が聞こえてくる。街角では、晴れ着に袖を通した庶民たちが、楽しげに歌い踊っていた。
フルール城の大広間には、宴に招かれた貴族たちの姿があった。彼らもまた、夏至祭に合わせて、花や白樺の意匠をあしらった装飾品を身に付けている。
和やかな雰囲気の中で、国王が挨拶を行った。
「皆、よく来てくれた。我らフルール人の繁栄は、貴殿らの父祖が戦場で血を流し、王国へ忠節を尽くしてくれたおかげだ。痩せた寒冷地から始まった苦難の歴史を忘れず、夏の恵みに感謝し、共に夏至祭を祝おうではないか」
どの顔にも、誇りと連帯感が、柔らかい微笑として滲み出ている。戦乱の時代、凍土の蛮族とそしられながら、温暖な地を求めて国土を広げたフルール人。彼らにとって夏至祭は、貴賤を問わず大切な祭事であった。
「今年は、豊かな秋を迎えられそうだ。我が息子ジュリアンの婚儀も控えている。嬉しい限りだよ」
親しみをこめた拍手が、国王へ送られた。格式より親睦を重視した宴は、こうして穏やかに始まった。
なまじ雰囲気が良いだけに、全てを台無しにする運命を抱えたジュリアンは、恐怖と重圧で胃が捻じ切れそうになっている。昨夜は一睡もできなかった。
「ジュリアン殿下、大丈夫ですか? お水をお持ち致しましょう」
「いや、大丈夫だ」
気分が悪そうなジュリアンを、リナリアが心配している。卒倒寸前の状態ではあるが、彼には宴を欠席する選択肢など、用意されていなかった。逃げたが最後、意識を奪われ、嘆きの塔で目覚めるという、嫌な確信があるからだ。
これから起こる騒動は、避けようがない。被害者になるリナリアは、ジュリアンを殺すよう断罪する気はないという。ならば、騒動の直後、両親や兄夫婦へすがり、肉親の温情に賭けるしかなかった。
音楽に合わせて、国王夫妻、兄夫婦、ジュリアンとリナリアが踊る。続いて、貴族たちのダンスが始まり、宴は順調に進行していった。
やがて、一人の女性が、会場へ現れる。大広間の入り口を守る近衛騎士に、侵入を阻まれた彼女は、切々と訴えた。
「私の招待状は、ジュリアン殿下から贈られた、このドレス……いいえ、真実の愛ですわ!」
胸の前で、祈るように両手を組み、目を潤ませる麗しい女性。有能なはずの近衛騎士は、感動に息をつめると、うやうやしく頭を下げた。
「どうぞ、お通り下さい。ジュリアン殿下が、お待ちです」
「はいっ!」
彼女は――――クレオメは、こうして大広間に足を踏み入れた。
その瞬間、ジュリアンの体が、本人の意思を無視して動き出した。正常な意識は維持されている。しかし、動作や言葉、わずかな表情の動きさえ、自由に制御できなくなっていた。
ジュリアンの声が、会場へ高らかに響き渡った。
「エルヴィユ伯爵令嬢リナリア! 父上が決めた縁組みとはいえ、お前と結婚することは出来ない!」
シンと、場が静まり返る。突然の異常事態に、楽団は演奏の手を止め、大広間の空気が凍りついた。リナリアは固い表情で、婚約者を見つめている。
周囲の反応などお構いなしに、爽やかな笑顔を浮かべたジュリアンが、大広間の中央へ歩み出た。貴族たちは、関わり合いを避ける素振りで、王子から距離を取る。
人垣が割れた先には、着飾ったクレオメがたたずんでいた。ジュリアンは颯爽と、彼女へ向かって手を差し出した。
「さあ、クレオメ。こっちへおいで」
「ジュリアン殿下」
うっとり頬を上気させたクレオメが、ジュリアンの元へ、いそいそと近付いてきた。棒立ちになる衆目の前で、二人は熱烈な抱擁を交わす。
「良く来てくれた、可愛い人。俺と結婚して欲しい」
「はい、喜んで!」
唖然とする出席者たち。意味が飲み込めず、困惑する彼らを振り返り、ジュリアンは堂々と宣言した。
「聞いてくれたか、御一同。俺はこのクレオメを妻とし、これからも王族として、フルール王国の発展に尽力していきたいと考えているッ!」
白い歯がキラリと光る。王籍を捨てる意志がない彼に、いよいよ周囲の動揺が深まっていく。全てを置き去りにした第二王子と未亡人が、情熱的に見つめ合った。
「クレオメ!」
「殿下……いいえ、ジュリアン!」
信じがたいことに、会場のあちこちから、拍手と声援が投げかけられた。二人を応援する一団の登場である。
ジュリアンとクレオメの行動に感動していたのは、主に近衛騎士と侍女たちだ。他にも、規律を重んじる貴族たちまで混じっている。
彼らは皆、侵入者を摘まみ出そうとして、ドレスの話を聞かされた者ばかりだった。本来の目的を忘却した人々が、クレオメを称賛し、勇気ある第二王子へ喝采を叫んでいた。
王子様と美しい娘は、幸せなキスをする。まるで、ロマンチックなおとぎ話の、完璧な結末のように。
確定した運命が、ここに幕を閉じた。生身の人間を使った愉快な人形劇が、ようやく終わったのである。
「……ぅあ……」
おとぎの檻に囚われていたジュリアンは、過酷な現実へ、容赦なく叩き出された。立ち尽くす彼の額には、玉のような冷や汗が吹き出していた。
女性は夏の花で編んだ花冠を被り、男性は白樺の腕輪をつけるのが、昔からの習わしだ。王都のあちこちから、にわか楽士の演奏や、明るい歓声が聞こえてくる。街角では、晴れ着に袖を通した庶民たちが、楽しげに歌い踊っていた。
フルール城の大広間には、宴に招かれた貴族たちの姿があった。彼らもまた、夏至祭に合わせて、花や白樺の意匠をあしらった装飾品を身に付けている。
和やかな雰囲気の中で、国王が挨拶を行った。
「皆、よく来てくれた。我らフルール人の繁栄は、貴殿らの父祖が戦場で血を流し、王国へ忠節を尽くしてくれたおかげだ。痩せた寒冷地から始まった苦難の歴史を忘れず、夏の恵みに感謝し、共に夏至祭を祝おうではないか」
どの顔にも、誇りと連帯感が、柔らかい微笑として滲み出ている。戦乱の時代、凍土の蛮族とそしられながら、温暖な地を求めて国土を広げたフルール人。彼らにとって夏至祭は、貴賤を問わず大切な祭事であった。
「今年は、豊かな秋を迎えられそうだ。我が息子ジュリアンの婚儀も控えている。嬉しい限りだよ」
親しみをこめた拍手が、国王へ送られた。格式より親睦を重視した宴は、こうして穏やかに始まった。
なまじ雰囲気が良いだけに、全てを台無しにする運命を抱えたジュリアンは、恐怖と重圧で胃が捻じ切れそうになっている。昨夜は一睡もできなかった。
「ジュリアン殿下、大丈夫ですか? お水をお持ち致しましょう」
「いや、大丈夫だ」
気分が悪そうなジュリアンを、リナリアが心配している。卒倒寸前の状態ではあるが、彼には宴を欠席する選択肢など、用意されていなかった。逃げたが最後、意識を奪われ、嘆きの塔で目覚めるという、嫌な確信があるからだ。
これから起こる騒動は、避けようがない。被害者になるリナリアは、ジュリアンを殺すよう断罪する気はないという。ならば、騒動の直後、両親や兄夫婦へすがり、肉親の温情に賭けるしかなかった。
音楽に合わせて、国王夫妻、兄夫婦、ジュリアンとリナリアが踊る。続いて、貴族たちのダンスが始まり、宴は順調に進行していった。
やがて、一人の女性が、会場へ現れる。大広間の入り口を守る近衛騎士に、侵入を阻まれた彼女は、切々と訴えた。
「私の招待状は、ジュリアン殿下から贈られた、このドレス……いいえ、真実の愛ですわ!」
胸の前で、祈るように両手を組み、目を潤ませる麗しい女性。有能なはずの近衛騎士は、感動に息をつめると、うやうやしく頭を下げた。
「どうぞ、お通り下さい。ジュリアン殿下が、お待ちです」
「はいっ!」
彼女は――――クレオメは、こうして大広間に足を踏み入れた。
その瞬間、ジュリアンの体が、本人の意思を無視して動き出した。正常な意識は維持されている。しかし、動作や言葉、わずかな表情の動きさえ、自由に制御できなくなっていた。
ジュリアンの声が、会場へ高らかに響き渡った。
「エルヴィユ伯爵令嬢リナリア! 父上が決めた縁組みとはいえ、お前と結婚することは出来ない!」
シンと、場が静まり返る。突然の異常事態に、楽団は演奏の手を止め、大広間の空気が凍りついた。リナリアは固い表情で、婚約者を見つめている。
周囲の反応などお構いなしに、爽やかな笑顔を浮かべたジュリアンが、大広間の中央へ歩み出た。貴族たちは、関わり合いを避ける素振りで、王子から距離を取る。
人垣が割れた先には、着飾ったクレオメがたたずんでいた。ジュリアンは颯爽と、彼女へ向かって手を差し出した。
「さあ、クレオメ。こっちへおいで」
「ジュリアン殿下」
うっとり頬を上気させたクレオメが、ジュリアンの元へ、いそいそと近付いてきた。棒立ちになる衆目の前で、二人は熱烈な抱擁を交わす。
「良く来てくれた、可愛い人。俺と結婚して欲しい」
「はい、喜んで!」
唖然とする出席者たち。意味が飲み込めず、困惑する彼らを振り返り、ジュリアンは堂々と宣言した。
「聞いてくれたか、御一同。俺はこのクレオメを妻とし、これからも王族として、フルール王国の発展に尽力していきたいと考えているッ!」
白い歯がキラリと光る。王籍を捨てる意志がない彼に、いよいよ周囲の動揺が深まっていく。全てを置き去りにした第二王子と未亡人が、情熱的に見つめ合った。
「クレオメ!」
「殿下……いいえ、ジュリアン!」
信じがたいことに、会場のあちこちから、拍手と声援が投げかけられた。二人を応援する一団の登場である。
ジュリアンとクレオメの行動に感動していたのは、主に近衛騎士と侍女たちだ。他にも、規律を重んじる貴族たちまで混じっている。
彼らは皆、侵入者を摘まみ出そうとして、ドレスの話を聞かされた者ばかりだった。本来の目的を忘却した人々が、クレオメを称賛し、勇気ある第二王子へ喝采を叫んでいた。
王子様と美しい娘は、幸せなキスをする。まるで、ロマンチックなおとぎ話の、完璧な結末のように。
確定した運命が、ここに幕を閉じた。生身の人間を使った愉快な人形劇が、ようやく終わったのである。
「……ぅあ……」
おとぎの檻に囚われていたジュリアンは、過酷な現実へ、容赦なく叩き出された。立ち尽くす彼の額には、玉のような冷や汗が吹き出していた。