第3話 凶刃と怪異

文字数 2,703文字

 ジュリアンは複雑な心境で、小柄なリナリアを見下ろしていた。これほど怪しい状況だというのに、一片の疑いも持たず、すっかり彼を信用している。

「もしかして、わたくしを驚かせようとして下さったのですか? 幼き日を思い出しますね」
「ん?」
「かくれんぼをして、たくさん遊んでいただきました。いつまでたっても殿下を見つけられない愚鈍なわたくしを、物陰から飛び出して、サッと捕まえてしまうのです。鬼はわたくしでしたのに。うふふ」
「そんなこともあったな。よく憶えているものだ」

 婚約者の存在を、疎ましく思ってきたジュリアン。だが、リナリア自身を嫌っている訳ではない。

 八年前、婚約者として紹介されたのは、暗い顔で怯える六歳の女児だ。ジュリアンは、当時、十三歳。傲慢で身勝手な彼でも、子供に文句を言ったところで、縁談は白紙にならないと理解していた。それに、幼児を泣かせて、気が晴れる性癖など持ち合わせていない。

 むしろ、帰りたそうに震えていたリナリアに、俺も帰りたいと共感したほどである。自分たちが推挙しておいて、幼児を一人で放り出していった奴らは、全員死ねという怒りなら覚えたが。

 女児相手に茶会するのも馬鹿げている。間がもたなかったジュリアンは、リナリアと遊んでやったり、馬に乗せて出かけたりもした。

 また、リナリアは実母を病で亡くしている。男親と後妻では、生活の細やかな点に気が回らないのか、苦労しているようだった。成長に合わせた家具や日用品が不足していると気付いた時には、困っている子供を放置する訳にもいかず、親の代わりに手配した。

 特に優しくした覚えはない。年長者として、普通に接してきただけだ。無口で表情の乏しかった少女は、次第に笑顔を見せるようになっていた。

「忘れたり致しません。わたくしにとって、かけがえのない思い出ですから」

 いじらしい思慕が伝わってくる。リナリアを殺めるのは心苦しい。しかし、情に流されて、隣国の王女を諦める気にはなれなかった。
 婚約者ではなく、親戚の子供なら、大事にできたのにと残念に思う。良縁に恵まれるよう、誠実な青年貴族へ口利きしてやれただろうに。

「……すまんな、リナリア」
「え?」

 リナリアの痩身を力強く引き寄せる。暴れないように、片腕できつく抱きしめた。

「あっ」

 ジュリアンは、後ろ手に隠していた短剣を振り上げた。鋭い刃が、リナリアの胸へ滑り込んだ。極力、苦痛を与えないよう、素早く終わらせる。
 驚愕の表情をはりつけて、リナリアは事切れた。まだ温みのある亡骸を、静かに横たえる。

「…………」

 ジュリアンは手を伸ばし、少女の目蓋を閉じさせた。その時、不思議な出来事が起きた。突然、リナリアの遺体が、煙のように消えたのである。

「なんだと!?」

 事態が飲み込めず、たじろいでいると、強烈な眩暈(めまい)に襲われた。視界が白く塗りつぶされて、ふっと意識が途切れてしまった。



 朝日のまぶしさに目を覚ますと、ジュリアンは天涯つきの寝台で、夜着姿で寝そべっていた。

「ここは、俺の部屋か?」

 フルール城の自室であった。洗面の湯を運んできた召し使いに日付を確認する。どうやら、夜会の翌日であるらしい。
 前夜に同行させた腹心を呼び寄せて、何があったか話を聞いてみた。しかし、返ってきたのは、納得いかない言葉であった。

「昨晩、殿下は外出されておりません。普段通りに就寝されたではありませんか。いかがされましたか?」
「……いや、なんでもない。すまないが、使いに出てくれるか。調べて欲しい件がある」

 リナリアの安否を、部下に確認に向かわせる。この手で殺めたはずの令嬢は、怪我ひとつなく生きていた。ジュリアンと同様、普段と変わらず生活しているという。
 悪い夢でも見たのだろうか。腑に堕ちない気持ちで、ジュリアンは改めて、暗殺計画を練るしかなかった。

 一週間後、ジュリアンは再び、リナリアを襲撃した。今度は野盗を装い、移動中の彼女を狙う。護衛たちを殲滅し、馬車から引きずり出すと、無力な彼女へ剣を向けた。

「お前は何も悪くない。だが、俺のために死んでくれっ!」
「ああ、殿下……」

 身を震わせて、涙をこぼすリナリアへ、ジュリアンの剣が一閃する。
 青空に朱の軌道を描き、可憐な頭が飛ばされた。首を失った痩身は、呆気なく地べたへくずおれる。しかし……。

「なっ!?」

 信じがたいことに、またしてもリナリアの遺体が掻き消えたのだ。強烈な眩暈を覚え、意識が途切れる。
 翌朝、ジュリアンは寝台で目を覚ました。誰に尋ねても、前日のジュリアンは通常通り過ごしていたと、口を揃えて返事をする。

 リナリアはまだ生きていた。暗殺の事実が無くなって、かわりばえしない日常へと、一日が塗り替えられていたのである。

「どういうことだ。俺の頭が、おかしくなってしまったのか?」

 奇襲しては、翌朝になるという不可解な現象。困惑するジュリアンは、どうにも薄気味悪くなり、しばらく公務に明け暮れた。

 仕立屋から、愛人クレオメのドレスができたと連絡があったが、逢い引きする気も起きなかった。贈り物の手配をした程度で、行動を起こす気力が出ないまま、毎日を過ごす。

 部下たちは、ジュリアンの足が愛人の屋敷から遠退いたことを、素直に喜んでいた。クレオメの前夫の死を、不審に思っている者が多い。これまでも、愛人なら他の女にしてはどうかと勧められることがあった。

 ジュリアンは、クレオメを愛していない。だが、今まで付き合った女性たちより気に入っていた。彼女はリナリアと同じ年齢の時、祖父ほどの老人と無理矢理、結婚させられた過去がある。売り飛ばされたも同然の結婚だったと、彼女は家族を恨んでいた。

 心のどこかに、鬱屈を抱えてきたジュリアンは、クレオメといると気が楽だったのだ。



 夏至祭まで、あと十日。ジュリアンの元へ、リナリアから手紙が届いた。直接会って、話がしたいと書いてある。
殿()()()()()()()()()()()について、お教え致します』と。

「う、うわぁ!」

 ジュリアンは、悲鳴を上げた。殺したはずの婚約者が生き返る、一連の恐ろしい怪異は、夢や幻ではなかったのだ。
 発作的に手紙を破り捨てようとしたが、なんとか寸前で踏みとどまる。

「会いたいだと。まさか、俺へ報復するつもりか? 神子どころか、まるで魔女だな……!」

 強張った手でペンを取り、リナリアへ返事を書いた。ちょうど予定が空いていた翌日を指定して、お待ちしていると綴ったのである。

 これまで起こった謎の現象には、リナリアが関係していると考えるべきだろう。復讐を警戒したジュリアンは、警備が万全なフルール城へ婚約者を呼び寄せた。





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登場人物紹介

【ジュリアン】

美貌の第二王子(21歳)。婚約者のリナリアが邪魔になり、暗殺を試みるが失敗続き。とんでもない怪異に巻き込まれてしまい、心身ともにボコボコになり、生き方を見直すはめに。

【リナリア】

ジュリアンの婚約者(14歳)。父や継母に疎まれ、神子でありながら能力が開花せず冷遇されてきた。一途に想いをよせていたジュリアンから裏切られる。

【クレオメ】

ジュリアンの愛人(20歳)。かつて、家族から売り飛ばされるように、裕福な老人へ嫁がされた過去がある。現在は未亡人。ジュリアンとの結婚を夢見ており、諦めきれない。

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