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文字数 1,838文字
「君はあまり驚かないね」
まだ少女と言ってもいい年頃の主人が言う。
「何に?」
考えもせずに訊き返した後で、普通の人なら奇異に思うようなことならいくらでもあることに気付く。例えば宿の一階にあるこの喫茶室に集う住民たちの見慣れない服装あるいは肌の彩色、ピアスや木の葉や小石の飾り、椅子という概念を知らないかのような寛ぎ方。例えば私の前で湯気を立てている泥水のようなほのかに甘い飲み物。例えば作りかけの人形のように一切の体毛の無い店主の顔。
「ここは地球人の領地じゃない」
主人のイナミは私の隣に腰を下ろす。フリルで覆われたスカートがふわりと広がって丸太のスツールを隠した。
「そうでしょうね」
ここの住民は地球の法則に抗おうとしているように見える。宇宙人の島だというのも単なる噂とは思えない。
ぐつぐつと鍋が煮えるような音がする。室内を一通り見まわして、それが少女の喉から漏れる笑い声だと気付く。
「君のその様子じゃ、人間界ではさぞ息苦しかっただろう。実に良いね。この島は君のような存在に開かれている」
イナミは芝居がかった仕草で両腕を開いた。居合わせた住民たちの視線が彼に集まる。それから私に。
カラカラと乾いた木の音をさせながら、蓑虫のように枝を纏った若者が近付いてきた。
「新しいお仲間ですか?」
若者は気さくに声をかけ、私の向かいに座った。
「その人はシーさんの客だ。丁重に扱えよ」
イナミが毛の無い眉をひそめたのが微かな凹凸でわかった。
「彫刻師のヒサキです。そちらはこの島の方?」
「あー、まぁ、半分そうっすかね。大学の夏休み期間中だけ、お試し期間みたいな感じで滞在させてもらってて。ナチャって呼んでください」
入口に視線を向けた若者はどこか焦ったように愛想笑いをしてそそくさと元の席に戻っていった。入れ替わりにシーさんが姿を現した。
「お待たせしました。ここは気に入っていただけましたか?」
シーさんは抱えていた木箱をテーブルに置き、先ほどまでナチャが座っていた席に着いた。
「ええ。この島は独特の開放感がある。居心地は良いですよ」
「それは良かった。私たちはここに聖域を作りたいんですよ。臍の緒がこの星に繋がれていない私たちが、擬態する必要に迫られず、安心して自分自身でいられる場所を。あなたも心のままに過ごしていただいて構いません」
「島の者たちの生き方を否定しない限りはな」
イナミが口を挟む。
「実現できるかは別として、何を望もうが何を感じようがその想いは尊重される。それが聖域の絶対条件だ。来賓も例外ではない」
「宇宙から来たあなた方が安心して暮らせるように?」
睫毛の無い目が面白がるように細められる。
「宇宙から来たと言われると語弊があるかもしれないな。我々は地球で生まれた。人間の身体をもって。だが魂はこの星に属していない。そう感じる。わかるんだ。証拠なんて無くたって」
滔々と語るイナミを横目にシーさんが俯く。他の島民たちも全体に何となくそわついている。理解を求めながら裏切られ続けてきた者たちの不安が空気をさざめかせているのがわかってしまう。
「この世界に属していない感じなら、私にも覚えがあります」
例えばサイズの合う靴が見つからないように。私に合うように設計されたものはどこにも無いのだと思い知らされる。五本指の手袋に、細かく切断された一日の長さに、共感を当然に期待してくる視線に。
帰りたいと願ってしまう。帰るべき場所もわからないままに。
店内の緊張が緩み、小さな談笑の声が戻ってくる。私は敵ではないと認識してもらえたようだ。
シーさんもまた気の抜けた顔を上げた。
「ヒサキさんもご同胞かもしれませんね。いや、きっとそうですよ。最初からそんな気がして——」
「それくらいにしておけ。本人にしかわからないことだ」
身を乗り出したシーさんを制したイナミは、テーブルの上の古びた木箱を指して「それは?」と訊く。
「つい興奮してしまって」と照れながらシーさんは木箱の蓋を開け、柔らかそうな布に包まれていた中身を取り出した。
数個の滑らかな白い塊。平たいものも細長いものもある。一つ一つは手の平に収まるくらいの大きさだ。
「ヒサキさんにお願いしたい彫刻の素材です。条件はこれを使っていただくことだけ。仕上がりの形も時期も全てお任せします」
一際大きな塊を手に取る。石や金属よりは軽く、木材よりは重い。無機質でありながら温もりを感じる。
この質感で思い当たる素材は一つだけ。
動物の骨だ。
まだ少女と言ってもいい年頃の主人が言う。
「何に?」
考えもせずに訊き返した後で、普通の人なら奇異に思うようなことならいくらでもあることに気付く。例えば宿の一階にあるこの喫茶室に集う住民たちの見慣れない服装あるいは肌の彩色、ピアスや木の葉や小石の飾り、椅子という概念を知らないかのような寛ぎ方。例えば私の前で湯気を立てている泥水のようなほのかに甘い飲み物。例えば作りかけの人形のように一切の体毛の無い店主の顔。
「ここは地球人の領地じゃない」
主人のイナミは私の隣に腰を下ろす。フリルで覆われたスカートがふわりと広がって丸太のスツールを隠した。
「そうでしょうね」
ここの住民は地球の法則に抗おうとしているように見える。宇宙人の島だというのも単なる噂とは思えない。
ぐつぐつと鍋が煮えるような音がする。室内を一通り見まわして、それが少女の喉から漏れる笑い声だと気付く。
「君のその様子じゃ、人間界ではさぞ息苦しかっただろう。実に良いね。この島は君のような存在に開かれている」
イナミは芝居がかった仕草で両腕を開いた。居合わせた住民たちの視線が彼に集まる。それから私に。
カラカラと乾いた木の音をさせながら、蓑虫のように枝を纏った若者が近付いてきた。
「新しいお仲間ですか?」
若者は気さくに声をかけ、私の向かいに座った。
「その人はシーさんの客だ。丁重に扱えよ」
イナミが毛の無い眉をひそめたのが微かな凹凸でわかった。
「彫刻師のヒサキです。そちらはこの島の方?」
「あー、まぁ、半分そうっすかね。大学の夏休み期間中だけ、お試し期間みたいな感じで滞在させてもらってて。ナチャって呼んでください」
入口に視線を向けた若者はどこか焦ったように愛想笑いをしてそそくさと元の席に戻っていった。入れ替わりにシーさんが姿を現した。
「お待たせしました。ここは気に入っていただけましたか?」
シーさんは抱えていた木箱をテーブルに置き、先ほどまでナチャが座っていた席に着いた。
「ええ。この島は独特の開放感がある。居心地は良いですよ」
「それは良かった。私たちはここに聖域を作りたいんですよ。臍の緒がこの星に繋がれていない私たちが、擬態する必要に迫られず、安心して自分自身でいられる場所を。あなたも心のままに過ごしていただいて構いません」
「島の者たちの生き方を否定しない限りはな」
イナミが口を挟む。
「実現できるかは別として、何を望もうが何を感じようがその想いは尊重される。それが聖域の絶対条件だ。来賓も例外ではない」
「宇宙から来たあなた方が安心して暮らせるように?」
睫毛の無い目が面白がるように細められる。
「宇宙から来たと言われると語弊があるかもしれないな。我々は地球で生まれた。人間の身体をもって。だが魂はこの星に属していない。そう感じる。わかるんだ。証拠なんて無くたって」
滔々と語るイナミを横目にシーさんが俯く。他の島民たちも全体に何となくそわついている。理解を求めながら裏切られ続けてきた者たちの不安が空気をさざめかせているのがわかってしまう。
「この世界に属していない感じなら、私にも覚えがあります」
例えばサイズの合う靴が見つからないように。私に合うように設計されたものはどこにも無いのだと思い知らされる。五本指の手袋に、細かく切断された一日の長さに、共感を当然に期待してくる視線に。
帰りたいと願ってしまう。帰るべき場所もわからないままに。
店内の緊張が緩み、小さな談笑の声が戻ってくる。私は敵ではないと認識してもらえたようだ。
シーさんもまた気の抜けた顔を上げた。
「ヒサキさんもご同胞かもしれませんね。いや、きっとそうですよ。最初からそんな気がして——」
「それくらいにしておけ。本人にしかわからないことだ」
身を乗り出したシーさんを制したイナミは、テーブルの上の古びた木箱を指して「それは?」と訊く。
「つい興奮してしまって」と照れながらシーさんは木箱の蓋を開け、柔らかそうな布に包まれていた中身を取り出した。
数個の滑らかな白い塊。平たいものも細長いものもある。一つ一つは手の平に収まるくらいの大きさだ。
「ヒサキさんにお願いしたい彫刻の素材です。条件はこれを使っていただくことだけ。仕上がりの形も時期も全てお任せします」
一際大きな塊を手に取る。石や金属よりは軽く、木材よりは重い。無機質でありながら温もりを感じる。
この質感で思い当たる素材は一つだけ。
動物の骨だ。