16話 そうだ、聖都に行こう!

文字数 2,836文字

 僕と工房長が結んだ約束は、他の工房生たちに配慮して秘密にすることになった。僕はここから三年間、表向きには最終課題に取りかかったことにして過ごしてゆくことになる。

 ただ、五年の間ずっと期待してくれていた義父上(ちちうえ)にだけは、工房長に許可を取って本当のことを告げた。
 彼は思いのほか喜んでくれたようで、
「ロアン様が、シウル様と共に聖都クウェンティスへ合格祝いの旅行をしたいそうです。……本当に、近年(まれ)に見るほどの上機嫌で」
と、報告に行ったハルビオが呆れるほどの提案をしてきたのだった。
「はあ、旅行……」
 ぽかんとした僕は、有無を言うこともできずに聖都行きの馬車に乗せられたのだった。

 聖都クウェンティスは、メルイーシャ領の中にあるフェーダ教の大聖堂を中心とした一つの大きな都市だ。ここから東西南北に伸びてクウェン九領地を結ぶ道はフェーダの街道と呼ばれ、多くの人と物が行き来する。
 メルイーシャの工房から聖都までは馬車で半日もかからずに着いた。工房のある町から遠出をすることもめったにない僕は、新鮮な気分で外の町の空気を吸ったのだった。

 地上に築かれた『白亜の浮城(フェル・アダン)』と称されるとおり、クウェンティスはまず町並みが白くてきれいだった。外壁の内側に沿って背の高い塔のような建物がいくつかあったけど、一番高いものはクレナ大聖堂に備えられた鐘塔(しょうとう)らしい。たしかに町のどこにいても目立っていた。

「……シウル君!」
 ハルビオと一緒に待ち合わせの宿の前まで行くと、軽く手を上げた義父上と目が合った。
 くせのある赤い髪は少し伸ばしてリボンで結び、紺色の帽子をかぶっている。着ている上着もお揃いの色だ。
 こうして見ると、義父上は聖都の町並みに見劣りしないとてもお洒落(しゃれ)な人だった。

「四年ぶりかな、ずいぶんと大きくなったねえ!」
「お久しぶりです。義父上は少しだけ背が縮みましたか?」
「あはっ、言うねえシウル君!」
 たしかにハルビオの言うとおり、義父上はとても上機嫌だった。枯れ葉色の瞳は昔よりも近くに感じられて、けれどそこに映る光は最後に会った時とまるで変わっていない。
「招来術師になれるんだってね。本当におめでとう、シウル君」
 軽く抱擁(ほうよう)を交わした肩越しに義父上が囁く。
 自分の成功をこんなに喜んでくれる人がいるなんて何だか不思議で、僕も少しだけ気分がふわふわした。
「ありがとうございます、義父上」

 聖都まで呼び出されて何をするのかと思ったけど、そこまで特別なことはなかった。義父上と一緒にお茶を飲んで、話をして、クウェンティスの町を散歩をしたくらいだ。
「シウル君、もっとビスケットを食べなよ。好きでしょ?」
 お茶の席でにこにこと焼き菓子を勧めてくる義父上に苦笑する。
 本当は、ビスケットが好きなのはずっと義父上(このひと)の方なのに。遠くに控えているハルビオの方を見たら、彼は無表情のままそっと目を逸らしていた。

 それから、陽が沈まない内にクウェンティスの町並みを堪能しようと、僕と義父上は連れ立って外に出た。
 フェーダの総本山であるクレナ大聖堂までの道は広く整っていて、歩きやすくてとてもきれいだった。夕焼けの近づく空の下、春の最中(さなか)とはいえ夕方の空気は少しだけ冷たい。

 小さくくしゃみをした僕を見て、義父上が巻いていた薄手のマフラーを外した。
「シウル君、これ使って」
「あ、ありがとうございます、義父上」
 工房の制服の上から巻かれる、滑らかな触り心地の白いマフラー。それは外したばかりの義父上のぬくもりと、ほのかにスズランの爽やかな香りがした。

 特に何かを話すこともなく、僕と義父上は道を歩く。
 よく手入れされた花壇の中で色とりどりの花が咲いていた。赤ん坊を抱えた母親や、杖をつきながら寄り添って歩く老夫婦。引かれた水路の流れに目を向けると、水鳥が長い脚を浸して水面を眺めているのが見えた。
 穏やかで暖かい風景が、クウェンティスの白い道にはあふれていた。
 その景色を見ている内に、何故かふと、僕の中にこみ上げるような気持ちが湧き上がってきた。

 僕はいつか、あの人とも、こんな風に道を歩くことができるだろうか。

 思えば、あの人と外を歩いたことは一度もない。あの人との思い出は全て、あの懐かしい書室で過ごした日々だけだった。
 今だったら、僕があの人の手を引いて外に誘い出せるかもしれない。
 一緒に降翼祭(こうよくさい)に行ったり。
 町に画材を買いに行ったり。
 たまにこんな風に遠出をして違う町の景色を見たり。

 鮮やかな日に照らされた白亜の町並みは、僕の心の中から、そんなきれいな夢をすくい出してくれたような気がした。

「……シウル君」
 ふと側で声がかけられた。
 顔を上げると、とても穏やかで優しい顔をした義父上と目が合った。

「招来術師になれるの、幸せ?」

 どうして今、そんなことを聞かれたのか。ちょっと不思議だったけれど、僕は迷うことなく頷いた。
「はい」
「そっか」
「義父上のおかげです。本当に、ありがとうございます」

 あの時、ルールなんてあってないような彼が気まぐれを起こしてくれたから。ハルビオを僕の側につけて、あの生真面目な工房長を説き伏せてくれたから。
 だから僕は招来術師になることができるのだ。

「お礼を言うのは僕の方だよ」
 首を振った義父上が眩しそうに目を細めた。
「君から手紙をもらう四年間は、本当に面白かった。ハルビオもカザンも最高だったけど、こんなにも退屈を忘れさせてくれたのは君が初めて。……本当に、終わってしまうのが惜しいくらい」
「義父上?」

 僕から目を逸らすと、義父上はクレナ大聖堂の方を向いて腕を大きく上に伸ばした。
「ああ、メルイーシャに帰ったら別の面白いものを探さないとなぁ。僕、退屈するのが死ぬほど嫌いなんだ。君も知ってるでしょ?」
 そうして振り返った彼の顔は、普段どおりのいたずらっぽい笑顔に戻っていた。
「まあでも、あと三年は猶予があるみたいだし。それまではよろしくね、シウル君」

 その言葉を聞いて、僕は何となく、義父上が今回の旅行を計画した理由が分かったような気がした。

 きっと義父上は、これを僕と会う最後にするつもりだ。

 シウル・フィーリスを生きてゆく僕には、招来術師になってもその先の道が続いているけれど。彼は、僕が金の花を咲かせる瞬間が面白さの最高潮(クライマックス)だと決めたのだ。
「その先」なんて、どんなに名残惜しくても、余計な部分だから見る気がないのだ。
 それは同時に、夢を叶えた僕に恩という負担をかけないための気遣いでもあるのだと思う。そんな複雑怪奇な義父上の心情を推し量れるくらいには、僕は彼と気の合う義父子(おやこ)を演じ続けてきた。

 何と言って良いのかも分からなくて、僕は義父上の手を取った。枯れ葉色の目がきょとんと見開かれると、義父上は小さく笑って僕の手を握り返してきた。

「帰ろうか、シウル君」
「はい、義父上」

 頷いた時、ちょうど大聖堂の鐘が鳴る。
 夕焼けに染まる町の中で僕たちは内緒話をするようにそっと笑い合った。
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