15話 最終課題の招来獣

文字数 3,286文字

 工房長の言葉に落胆はしたものの、今さら僕に立ち止まる気なんてない。激しく移り変わる時代の流れも、この時だけはそんな僕に味方をしてくれた。

 工房生活から五年目、招来術(しょうらいじゅつ)の演習を重ねた僕が十歳になってすぐの春のこと。
「シウル君、そろそろ最終課題の構想に入ってみたらどうかね?」
 僕は演習の先生から招来術師(しょうらいじゅつし)になるための最終課題、工房長に提出する招来獣(しょうらいじゅう)の制作構想を勧められた。

「良いんですか、先生?」
「いやまあ、本当は君の歳で最終課題に入るのは異例なんだがね。正直に言うと、もう君に教えることは何もないんだ」
 君は何でも予想以上にこなしてしまうからなあ、と金の記章を襟元につけた先生は苦笑混じりに言った。
「それに、優秀な人材はすぐにでも招来術師にしろって上からお達しがあったようだから。まあ、考えてみてほしい」
「……工房長さまは、何か言ってましたか?」
 僕が問いかけると先生はきょとんと首をかしげた。
「いいや、どうしてだい?」
「いえ、だったら良いんです」
 首を振った僕に、先生はそうそうと言葉を続けた。
「最終課題については、構想ができあがったら工房長に直接渡してほしい。予算の相談もそこでするから」
 苦い思いを隠して僕は頷いた。

 銀の花の先輩方を見たところ、最終課題は最低でも二、三年は時間をかけるもののようだった。
 創りたい招来獣を自分で一から考えて、自作の回路図を引き、先生方にも相談して試行錯誤を繰り返すのだ。それくらいの期間は必要なのだろう。
 けれど僕にはその段階に入る前にまず、あの工房長を説得することの方が深刻な課題だった。

 あれから工房長とは一度も話していない。
 一年前の応接室での会話は、きっと真面目な工房長の精いっぱいの優しさだったはずだ。本当ならあんなこと、僕に伝えなくても良かったはずなのだから。

 自室に戻った僕は部屋の中を見回す。
 午後の日差しが入る部屋は、春とはいえ少しだけ肌寒い。工房入りした当時はがらんとしていた部屋も、今ではハルビオも持て余すほどのごちゃごちゃした空間に変わっていた。
 演習用に引いた大量の設計図と回路図、それに何冊にも重ねられたスケッチブックと画材類が勉強机の脇で山になっている。
 自分で描いた図面が多い分、部屋に本はあまり置かれていない。つぼみの頃の基礎授業で使った教本が何冊かと、トフカ語で書かれたオットーの神話の本が一冊あるだけだ。

 僕は書きためていた設計図の山の中からいくつかを机の上に広げた。何枚もある図面のうち、一番大切な一枚をじっくりと眺めると、僕はそれを丸めてしまい直した。
 これは、金の記章を得るまで使う気はない。
 絶対に成功するという自信を持って初めて、この設計図は使いたかった。
 僕は残りの図面を見比べる。
 あの工房長に金の花を認めさせるだけの作品、そして僕の夢に繋げる試作にもなる招来獣の構想……。
 やがて僕は一組の図面を選び出した。


 翌日、僕は選んだ設計図と回路図を持って一年ぶりに工房長のいる応接室を訪れた。
 最終課題の提案と聞いて表情を曇らせた彼は、しかし僕の広げた回路図を見るとわずかに目の色を変えた。
「異なる二つの形態を持った招来獣?」
「はい」
 頷いた僕は、一晩かけて練習してきた説明をゆっくりと口にした。

「一つの四精石(しせいせき)を核にして、それを軸に二種類の回路を重ね合わせます。この回路図は、キツネモドキとセッコウバトの二種類の形態をとれる招来獣を考えました」

 それはあの降翼祭(こうよくさい)の日、白い鳩が人の姿に変わる演出から思いついたものだった。
 まるで変身するように、何種類もの形態を使いこなす招来獣。様々な動物の特徴を混ぜ合わせた招来獣は多く創られているけれど、形態変化(けいたいへんか)をする招来獣の回路図はまだ誰も創ったことのない新しい様式だ。

「ふむ……」
 工房長は身を乗りだすと、机の上に広げた回路図を真剣な目で追いはじめた。
「重ねる形態をキツネモドキとセッコウバトの二体にした理由は?」
「複雑な生き物にすれば安定性に欠けますし、予算も多くかかります。僕が創ってみたいのは複数形態を持つ招来獣という仕組みの方だったので、回路図が比較的簡単なこの二体を選びました」

 工房長は僕の答えを聞いて熟考するように目を閉じた。
 しめた、と思った。
 工房の管理が主な仕事の工房長だって、一人の招来術師だ。目新しい回路図に、未知の可能性に惹かれないわけがない。そして彼が公平で誠実な人であることを僕はよく知っている。

「シウル・フィーリス」
 工房長が目を開いてこちらを見た。
 僕はぐっと姿勢を正す。
「君は、この招来獣がどの程度、実現可能だと考えている?」
「工房長さま」
 のぞき込まれた濃茶(こいちゃ)の瞳を真っ直ぐに見返した。
「僕は、自分ができないと思うようなものを最終課題には選びません。この回路様式は十分に実現可能だと思ったからこそ、今日ここに持ってきたのです」
 それに、と僕はからからに乾いた喉を落ち着かせるために唾をのんだ。

「僕は、招来術師になってどうしても創りたいものがあります」

 工房長が大きく目を見開いた。
 ここは、絶対に引くわけにはいかない。
 僕がどれだけ招来術師になりたいのか。その先にどれだけ焦がれているものがあるのか。彼の迷いを超えるだけの熱意を伝えなければならなかった。
二種形態(にしゅけいたい)の招来獣、これが創れないようなら僕の夢も叶うはずがないと思っています。お願いします、工房長さま」

 回路図を広げた机を挟んでしばらくの間、僕と彼は無言のまま見つめ合った。
「……そう、か。そうだったな」
 やがて、工房長は小さく息を吐いた。
「君は四年前から、覚悟を決めてこの工房に来ていた。私の認識が甘かった、こんな日が来るのはもっと先のことだろうと考えていたのだ」

 もう一度だけ目の前に置かれた図面を眺めると、工房長は静かな声音で尋ねた。
「君は、この招来獣を創るのにどれだけの期間がかかると考える?」
 僕は少し目を伏せた後で答えた。
「回路図はほぼ完成しています。四精石の用意さえできれば半年か、多く見積もっても一年くらいで完成できると思います」
「では『君が創りたいと考えている』招来獣では?」

 工房長は一体何を聞きたいのだろう?
 少し戸惑ったけれど、ここは正確に答えるべきだと思った。僕は前の質問よりも時間をかけて考える。

 毎年義父上に贈ってもらっている四精石は、今のところ全部で五つ。これだけでもかなり上等な招来獣が創れるはずだけど、……まだ足りない。
 それだけじゃない。
 描き出した設計図と回路図だってまだまだ改良の余地がある。トフカ語の構築にだって全く手をつけていない。肝心なイメージの訓練も行ってないし、一つずつ挙げていけばやらなければならないことは山積みだ。

「……少なくとも、三年はかかるかと思います」
 あるいはそれ以上の可能性も。そう続けた僕に工房長は小さく頷いた。

「そこまで目処が立っているのであれば、シウル・フィーリス。君に金の花を与えるのに、三年間だけ猶予をくれないだろうか?」
「え?」
 見上げた彼の顔には諦めたような、しかしどこか吹っ切れたような笑みが浮かんでいた。
「君には不自由な思いをさせてしまうが。三年後、君は最終課題でこの二種形態の招来獣を創りなさい。それまでの期間は『君が創りたいと考えている』招来獣の構想にでも当ててくれ」

 僕は工房長の言葉をゆっくりと反芻(はんすう)する。
 それは、つまり……。

「僕を、招来術師として認めてくださるのですか?」
「無論、最終課題の出来次第だが。きっと君にはできてしまうのだろう」
 工房長は苦笑しながら黒いひげに触れた。
「君を待たせる分、工房長としての責務は果たす。招来術師となった君に万一の不都合が起こらないように手を尽くそう。……ロアンとも、元々そういう約束だったしな」

 聞いた言葉を、僕はすぐには信じられなかった。
 やがてだんだんと彼の言葉が染みこんできて、乾ききった喉元にまでせり上がってきた時。
 僕は弾かれたように工房長に向かって頭を下げた。
「……あ、ありがとうございます、工房長さまっ!」
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