第16話

文字数 937文字





 さて。ロマン主義の問題点は、個人の主観性の際限なき肥大化。これをドイツの政治哲学者、カール・シュミットは個人個人の主観性が想像力によって自らを絶対的なものへと展開していくための起因にすぎない、と言った。これを「主観主義的な機会主義」と言ったカール・シュミットは、この『ロマン主義』を、なんらかの「決断」を迫るものとの真剣な対立が存在しない、つまり「決断をしない」振る舞いなのだと断じたのだった。

 そこで出したのが『決断主義』と呼ばれることになる考え方だったのである。しかし、批判者たちによって、シュミットの『決断主義』はそれ自体が、その都度に、状況に応じて身を合わせるだけのロマン主義的な機会主義だろう、と指摘されてしまったのだった。

『ロマン主義』がダメなので出した『決断主義』だったが、シュミットの考える『主権理論』は、最悪な帰結を招いた。その挫折から戦後、主権権力について考察をしたシュミットだったが、出てきたのはペシミスティックにも映るパラドクスだったのであった。

 先の大戦の前の話になるけど、いわゆる『個人主義』の時代は失われてしまった、とカール・シュミットは、言う。個人主義とは、個人が「直接的」に理念を実現する生き方のことを指す。

 現代とは個人の理念が直接的に関係することを許さない『間接性の時代』だ、と。じゃあ、理念の実現をするには、どう生きていけばいいか、というとき、個人は国家の規範体系を通じて法理念の献身を行えばいい、とシュミットは考えた。

 つまり、個人がその「価値と尊厳」を得るためには、法実現の主体としての国家に献身すること。そのようにすべきだと『反個人主義』的な時代批判を行ったのである。

「ロマン主義」とは、シュミットの定義によれば、外界にあるすべてのものが、主観性が想像力によって自らを絶対的なものに展開していくための起因にすぎないものだ、とする考え方。言い換えれば、客観的なものはなんであれ、「個人」が世界を詩化し、芸術作品に仕上げるための単なるきっかけに切り下げられる、とする考え方。

 そのような「ロマン主義」=「自由主義」は「決断をしない」。決断をするためには、前述のように、国家への献身を行え、決断をしていくんだ、と言ったわけである。


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