1、過去からの魔手

文字数 2,087文字

武蔵野の面影が残る東京郊外の小さな街。

駅から続く商店街が住宅街へと変わる境目に、小さな花屋がある。季節は春。色とりどりの花が店内をにぎやかに彩っている。

店内では、若い花売りの女性がラッピングペーパーとリボンの準備に余念がない。他に店員はいない。

カランコロン、カランコロン、と店の入り口のカウベルが鳴り、四十代前半くらいの男性が入ってくる。

花売りの女性が顔いっぱいを笑顔にして男性を迎える。

奈良崎さん、いらっしゃいませ。
こんにちは。妻に花束を贈る日です。予算2,000円で、あなたにお任せします。
今日も、私のチョイスでよろしいのですか?
もちろんです。妻に、あなたに選んでもらっていると白状したら、「道理でセンスが良すぎると思った」と言われました。「素敵なセンスの店員さんによろしく」と、妻から伝言です。
うわ、ありがとうございます。奥様のために、腕によりをかけて選びます。
花売りの女性が店内をくまなく見わたし、これと思う花を手に取る。

やがて、綺麗にラッピングされリボンがかけられた花束が出来上がる。

おぅ、これは綺麗だ! 妻の喜ぶ顔が目に浮かびます。いつも、ありがとう。
こちらこそ、いつもお寄りいただき、ありがとうございます。

また、お越しください。

もちろん。また、来週来させてもらいます。ありがとう。
花束を手に、男性がドアノブに手をかける。

肩越しに花売りの女性に笑顔を送る。微笑み返す女性。

花売りの女性は包装紙とリボンの支度に戻る。
(心の中で)奈良崎さんが毎週顔を出してくださるおかげで、私がどれだけ安心できることか。いつも見守ってくださって、ありがとうございます。
2、3分して、入り口のカウベルがカランコロンと音を立てる。

花売りの女性は手を止めて入り口に顔を向ける。

いらっしゃいませ。
長身の男性と小柄な女性が入ってくる。

男性の顔を見て、花売りの女性が息を飲む。

…………
おや、サイア姫、まさか私をお忘れとは?
覚えているから、驚いているのです。姉上の第二秘書官であるケン・タウリ、あなたが、なぜここにいるのです?
男性は、花売りの女性の問いには答えず、花を眺めながら狭い店内を一巡する。
アラハルト公国の筆頭巫女候補でいらしたサイア・マロエ姫が異国の田舎町で花売りをしていらっしゃるとは……なんと、嘆かわしい。
そうかい? あたしには、とてもお似合いに見えるけどね。
あなたは、どなたですか?
あたしかい? あたしは、ハグレ巫女のリン・クレトス。ハグレちゃいるが、呪力ならアラハルト公国筆頭巫女のキリア・マロエにも負けない。
ハグレ巫女? 
アラハルト公国巫女会議から追放された巫女とその末裔たちのことです。
そのような方たちがいらしたのですか?
さすが、お姫様。「そのような方たちがいらした」ときたもんだ。そうだよ。ハグレ巫女様たちが、公国の中だけで30人くらい、いらっしゃるはずだ。
他にも、国外逃亡した者が10名ほどいると言われています。
あなた達は、どうやってここを見つけたのです?
それは済んだ事。姫には未来をお考えいただきたい。アラハルトの民のため、公国にお戻りいただきます。
今の私がアラハルトの皆のために出来ることは、何もありません。
あんた、自分の姉さんのキリア・マロエに呪力を封印されたんだって? 悔しくないのかい?
悔しいどころか、ほっとしています。私には自分の呪力が重荷でした。国民会議が姉を公国の筆頭巫女に選び姉が私の呪力を封印してくれたおかげで、私は重荷を下ろすことができました。
しかし、姫は国民会議が用意した隠遁所に入らず、国外に脱出なさった。
日本について学びたいという思いがつのり、慣例を破ってしまったのです。
学ぶだけなら隠遁所でもできたはず。国民会議には、姫がお求めになれば最高の研究者を隠遁所に派遣する義務がある。
私は、日本で暮らし、この国の人々と直に接したかったのです。
お姫さん、あんたバカ正直だな。顔に「ウソついてます」って描いてある。

秘書官殿、事情聴取は後回しだ。お姫様をここから連れ出すぞ。他の客が来たら、面倒だ。

入り口のカウベルが鳴り、若い母親と幼女が入ってきた。

近くに住む坂田さん母娘だ。

ちっ、来ちまった。
リン・クレトスが母子をきっとにらみつける。

リンから放たれた呪力が空気を揺るがせ母子に迫るのが、サイアには見える。

ダメ! この人たちを傷つけないで!
サイアは母子の前に飛び出して呪力を受け止めようとする。

しかし、リンの呪力が親子に達するのが一瞬早かった。二人は、店内に一歩足を踏み入れた姿のまま彫像のように凍り付いた。

リンさん、この人たちに何をしたのです!
安心しな。そいつらの時間をちょっと止めただけだ。3分で動き出す。

おい、秘書官殿、急いでずらかるぞ。

姫、失礼します。
ケン・タウリ秘書官がの背後に近づき、ピストル型の注射器を首に突き立てる。
身体の芯が抜けたようにくにゃっと崩れるサイアをケン・タウリ秘書官とハグレ巫女のリン・クレトスが両側から抱き留め、店の外に停めてあるワンボックスカーに運び込む。

ケンが運転席、リンがと助手席に飛び込み、ケンが車を発進させた。

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登場人物紹介

サイア・マロエ


自らの強すぎる呪力を恐れ、祖国アラハルト公国を離れ流浪の身にある巫女。

アラハルト公国筆頭巫女キリア・マロエは、二卵性双生児の姉にあたる。

平和な日々と温かい他者とのつながりを何よりも大切に思っている。

キリア・マロエ


サイア・マロエの二卵性双生児の姉。アラハルト公国国民会議によって公国筆頭巫女に選ばれ、クィン・ナン総理大臣を補佐する。筆頭巫女就任時に筆頭巫女の座を争った妹サイアの呪力を封印したが、完全に封じきれなかったのではないかと不安を抱き続けている。

クィン・ナン


アラハルト公国の若き総理大臣。内政では正体不明の疫病の流行、外交では近隣大国の圧力に脅かされ、難しい政治の舵取りを強いられる。

サイア、キリアの姉妹とは幼馴染。

リン・クレトス


アラハルト公国で、巫女が所属すべきとされる公国巫女会議に属さないハグレ巫女。母親の代に巫女会議から追放された。巫女会議所属の強力な巫女たちに劣らない強力な呪力を持ち、巫女会議への復讐の機会をうかがっている。

ケン・タウリ


キリア・マロエの第二秘書官。本来キリアを全面的に支持すべき立場にも関わらず、サイアをアラハルト公国に連れ戻そうとする。

カレラ・ウィン


アラハルト公国巫女会議の掟に反し死刑を課せられたが、武器商人エル・リケルメに救い出され殺し屋となる。

アラハルト公国を巡る大国の駆け引きに乗じようとするリケルメの命を受け、神出鬼没の動きを見せる。

レン・カレッタ


通常あり得ないとされている父方の遺伝で呪力を得た特異な巫女。アラハルト公国を逃れたハグレ巫女たちの秘密組織リベルタのリーダー。アラハルト公国巫女会議を倒すためなら、誰と手を組むことも厭わないマキャベリスト。特異な生まれゆえに仲間から恐れられかつ軽蔑される複雑な立場にある。

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