後日談

文字数 2,687文字

 冬を目前とした運河は、寒々しい風景をしている。ウェルテの交通手段の一つである蒸気船に乗り込んで、レアンドラ・クロティルド・イグレシア・サリナス・アッシュベリ卿は、一路シャフツベリを目指していた。見た目こそは十八、九の淑女(レディ)であるが、彼女こそがウェルテ国に二人存在する侯爵の片割れ、南方守護の白竜その人である。
 普段から交流はある方なのだが、わざわざ出かけることは少ない。今回は、たまたま帰った実家で、オルディアレス家より頼まれごとを引き受けたのだ。
 彼女の母方であるサリナス家は、オルディアレスに連なる名家である。
 イグレシア家随一の白皙の美貌を誇る跡取りが、とある時に一人の乙女へ恋をした。それが黒竜で、しかも年上だったことに諸々問題があったらしいが、最後は彼が想いを押し切ったのだ。未だに麗しく仲睦まじい両親は、イグレシア家の子供たちにとっては自慢の一つである。
 従って、彼女は黒竜と白竜の混血という珍しい血統ながら、見た目は見事に父似の優美な白竜族の特徴を有していた。……武芸に秀でたのは黒竜族の血だろう。多分。
 そうして、遠路遥々シャフツベリはオルグレンの地を踏んだ彼女は、颯爽と領城を尋ねたのであった。
 たった一人で。
「……レアンドラ」
 目の前で、頭痛を堪えるように眉間にしわを刻んだフィデルが、大仰にため息を落とす。その斜め後ろには、彼の従者(ヴァレット)であり気心の知れた幼馴染みでもあるロヘリオ・カストロが無表情に控えていたが、おそらく内心ため息でもついているのだろう。
「おまえは、どうして何処へでも一人で出かけるんだ」
「フィデルに言われたくないわ」
 軽くむくれて応じる彼女も、幼い頃からオルディアレス家に出入りしている、幼馴染みという奴だ。早々に成人して実家を出たフィデルにとっては、家族よりも近しく、親しい人たちと言えるかもしれない。子供の頃は、一番年嵩だったレアンドラの兄と従者に、面倒を見てもらっていたのだった。
 その当時から、従者は現在と同様に慇懃ではあったが。
「ルシオは元気だったかい?」
「兄は相変わらずよ、娘の子守りででれでれしてたわ。そもそも、お使いする羽目になったのは、フィデル兄様の所為なんですからね!」
 何百年帰ってないのよ、と。懐かしい呼び方で窘めて、柔らかそうな亜麻色の髪を、肩の上で奇麗に巻いた華奢な淑女は、ふっくらした唇を不本意そうに尖らせた。
 空色の煌めく瞳といい、ふわふわと可愛らしいドレスといい、見た目は夢見る年頃の乙女であるが、これで白竜族随一の剣士である。建国の折は獅子奮迅と称される活躍を見せ、満場一致で爵位を獲得した戦乙女だ。実際、当時は勝利の女神と噂されたこともある。
「兄様の結婚式にも、義姉が赤ちゃん生んだ時も、うちには来たのに!」
「……何百年だったかな」
「ざっと千年ほど」
 振り向く主人へ、しれっと告げた従者は、そのまま軽く眉根を寄せた。
「定時連絡はしておりましたよ、一応。二百年ほど前、イグレシア家の跳ねっ返りを宜しく頼むと、殿から言付かっておりましたが」
「あぁ。それが一番最近の報告だったかな。そもそも、どうして諸国漫遊の旅から突然、宗教戦争へ首を突っ込んできたのか、未だに経緯がよく解らない」
「序でにフィデルの様子を見てこいって、大殿様から言われたの!」
 まさかそのまま参戦されるとは大殿も思っていなかったでしょうね、と従者がため息を落とす。なによう、と不服そうに頬を膨らませたレアンドラは、ふと気付いた風情で目を瞬かせた。
「そういえば、今日はましな格好してるのね。いつもは地味にも程があるくせに」
 失敬な、と軽く眉をひそめるフィデルを他所に、しれっと従者が言葉を添える。
「若のテーラーが反旗を翻したんですよ」
「あら、とうとう? 遅いくらいよね」
 嬉々として身を乗り出して、レアンドラは大仰にため息を落とした。
「本当にもう、黒竜の中でも特に美しいと言われてた若様が、これじゃぁねぇ」
「いいじゃないか、実用第一で。大体、陛下より目立ってどうする」
「勿体無いって言ってるの! どうしてそう、与えられたモノを蔑ろにできるの?! その黒髪、羨ましいったらないわ! わたしも、母様や姉様みたいな黒髪がよかったのに!」
 悔し気に拳を握るレアンドラに吹き出して、従者が「失礼しました」と顔を背ける。くつくつと肩を震わせるさまに、フィデルが呆れた風情で視線を寄越した。
「おまえは、そんなに私が扱き下ろされるさまが楽しいのか」
「いえいえ、同じような説教を近頃されていたな、と」
 気が合いそうですね、と付け加えられて、フィデルは微妙そうな表情を浮かべる。
「なぁに? なんのこと?」
 こくりと小首を傾げたレアンドラに、フィデルは軽く肩を竦めてみせた。
「私の友人だよ。仕立て屋でね、最近城下に工房を開いたんだ」
「本日の若のお召し物は、かの方が起こした図案を元にされております。しかし、オクロウリー殿にこれほど面白みのない図案を書かせるのも、若だけでございましょうね」
 身の程を知っていると言ってくれ、と投げやりに応じて、大体、と苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
「私に、シャナこそ似合いそうな代物が似合うはずないだろう」
「そんなことはございませんよ、若。着飾れば相応に」
「やめてくれ」
「うん? え、そのお友達って女性なの?」
 ますます首を傾げたレアンドラに、男二人は同時にかぶりを振った。
「いや、男だよ」
「あ、なんだ。愛称? そう言えばそうね、フィデルって女性を名で呼んだりしないもの」
 例外は極一部、一族の女たちと英雄王、現ウェルテ王家の殿下くらいだ。実のところ、友人の愛娘や、領城に勤める使用人(メイド)たちもその例外に当たるのだが、流石にレアンドラもそこまで把握していない。
「ふぅん、リオも認めるような伎倆なの。ねぇ、その工房何処にあるの?」
 帰りに覗いてみるわ、と表情を明るくする彼女は、残念ながら店主が現在留守にしているのだと聞いて、肩を落としたのだった。
 それでも、飾り窓のトルソーは一見の価値はあると、帰りがけに従者から耳打ちされて立ち寄った彼女が、後日勇んで突撃するのは、また別の話。
 更に後日、その飛び込みの客の正体を従者から聞いたシャノンは、人知れず頭を抱えたのち、領主付きテーラーたちへ図案集第二弾を慎んで進呈したのだった。
 仕返しではない、と当人は言い張っている。

〈了〉
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