文字数 7,218文字

 どんな国でも抱える暗部というモノがある。それは必ずしも同一のモノではないが、どれもこれも「不要なモノ」と断ぜられて、不遇を被っているところは共通するだろう。
 ウェルテは、素晴らしい国だと思う。祖国を思えば雲泥の差で、これからの新時代を担うのは、こうした国々なのだろうと自然と考える程度には。
 けれど、そんな国でも、消せない類いのモノはあるのだ。それはヒトが生きる本能と近いところに存在するものだから、完全に消し去ることは容易ではないだろう。
 もし消し去ることが出来たとして、そんな詰まらないものに用はないわね、と。
 魔女の術の師ならば一蹴するはずだ。彼女は、人間のどうしようもないところを深く愛していて、自嘲しながらも離れられないのだから。
 まだ朝靄の漂う時間、一人旅用の衣装を着込みながら、グウェンドリンは静まり返る街を歩く。そろそろ彼女の目当ては一仕事を終え、ねぐらへと帰る頃だろう。昨日のうちに元締めの大体の場所を見当していたから、まずはそこへ向かってみる。
 果たして、早朝ながらヒトビトの活気が窺える建物に打ち当たった。
 軒先きにぶら下がる印を横目に、堅い木の扉を叩く。次の瞬間、室内にあった声は静まり返り、様子を窺う気配がした。
「……誰だい」
「失礼します、旅の魔女です。何か入り用な物はありませんか」
 路銀が乏しくて、と苦笑混じりに告げると、そうっと扉が細く開かれる。キャスケットを取って会釈をすると、若い女は驚いた風情で目を瞬かせた。
「驚いた。女の子、よね?」
「はい。旅は何かと物騒ですからね」
「何があるの?」
「取り敢えずは、塗り薬から飲み薬まで一通り。この街に材料の仕入れ先があるなら、別途御注文も承ります」
 若い女が奥を振り返ると、誰かが頷いたようだ。彼女は明るい笑顔で大きく扉を開く。
「どうぞ、来てくれて助かるわ」
「有難うございます、お邪魔します」
 屋内には、予想外に様々な年齢層の女たちが揃っていた。一番若いのは隅の方で箒を胸に抱えている少女だろうか。一番奥の帳簿台にいる、年嵩の女が女将だろう。
「何処から来たの?」
「バルフォアです。ウェルテに入ってからは、エフィンジャーからサリスベリーへ抜けて、あ、シャフツベリにも行きましたよ」
 随分遠くから来たのねぇ、と相槌を打って、若い女は帳簿台の女を示した。
「うちの元締めよ」
「初めまして。お慈悲を有難うございます」
「こちらこそ、助かるよ。この街には魔女がいないからね。ここの備蓄と、うちの子ら個別に聞いてやってほしいんだがねぇ」
 わかりました、と頷いて斜掛けにしていた鞄を下ろすと、ふと女将を見遣る。
「この街には、魔女がいないんですか」
「そうだよ。不便ったらありゃしない」
「そうか……。材料、手持ちで足りるといいんですけど」
 女将に呼ばれて薬箱を抱えてやってきた少女が、備蓄にない物を幾つかあげていく。傷薬や化膿止め、熱冷ましに堕胎薬等。凡そ予想通りの品ばかりで、次々と鞄から取り出し並べていくグウェンドリンに、若い女は小さく口笛を吹いた。
「凄いわね。慣れてるの?」
「そうですね、度々こういう場所へ売りに来てるので。怪しいから、他所ではあんまり買ってもらえないんですよね」
 一つため息を落としてみせると、そりゃそうね! と彼女は笑い転げる。
 失礼だよ、と窘めた女将は、ひょいとグウェンドリンの手許を覗き込み、感心した風情で頷いた。
「でも、あんたの仕事は仕上がりが奇麗だね。よく効きそうだ」
「有難うございます」
 注文された備蓄分を全て揃え会計を済ませると、待ってましたとばかりに女たちが周りを取り囲む。
 四方から言われる悩みごとに相槌を打ち、処方をしながら世間話に応じていると、元々話好きらしい彼女たちは滑らかに語り出した。
 曰く、魔女が訪ねてくるのは数年ぶりらしい。
 それでは今までどうしていたのかと問えば、代表者が少し足を伸ばして魔女のいる村まで出掛けていたそうだ。この辺りに魔女はその人物しかいないそうで、女たち曰く「随分偏屈で強欲な婆さん」らしい。
「それ以外は、たまぁにあんたみたいな旅の魔女が立ち寄ってくれるくらい? それも、滅多に来ないけど」
「でもあたし、あんまり歳の変わらない魔女なんて初めて見たわ。どうして魔女になろうとしたの?」
 興味深気に目をきらきらさせて身を乗り出す若い女に、グウェンドリンはこくりと小首を傾げる。
「そうですねぇ、お師様が面白いヒトだったんですよ。小さい頃は普通に遊びに行ってたんですけど、自然と仕事に興味がわいて」
「今は、修行の旅?」
「の、ようなものですね。土地によって、自生してる薬草が違うんですよ。ちょっと興味がわいて、見てみたいなぁって」
「こうやって行商しながら?」
 なかなか伎倆が試されますよ、と笑うと、それは頼もしいと笑い声が起こる。
 この頃の治安はどうですか、と物の序でのように尋ねると、女たちはちょっと視線を交わらせた。
「あれ、あまり宜しくありませんか?」
「最近、おかしな事件が起こっててね。魔女さんも、あんまりこっち歩かない方がいいよ」
「夜中に襲われてるみたいだってんで、商売あがったりなのよね」
「一晩しっぽりやってれば問題ないだろうって、豪気なヒトもいるけどねぇ」
 あんたの贔屓はそうでしょうよ、と仲間に笑い飛ばされて、ぽってりと厚ぼったい唇をした女は、ちょいと肩を竦めてみせる。
「なによォ、ありがたいでしょ」
「んん、少し留まろうかなって考えてたんですけど、移動した方がいいのかな」
 もう少しいてくれると有難いんだけど、と顔を見合わせた女たちは、しかし心配そうに言葉を濁した。
「今のところ、襲われてるのは野郎ばっかりなんだけどさぁ、どうなるかわからないしね」
「でも、みなさんはあまり警戒してませんね。生活の為とはいえ、怖くありませんか?」
「あー、あたしたちはさ、女だから大丈夫だろうって思い込みたいのよねぇ」
 それはあるかも、と別の女が頷いて、少し声を潜める。
「それに死んでるのって、最近居着いた破落戸ばかりだろ? あいつら鼻につく感じで、あんまりねぇ?」
 あんたら死んだ人を悪く言うんじゃないよ、と女将の叱責が飛んで、女たちは一斉に首を竦めた。
「はぁい」
「ごめんなさい」
 口々に応えて、気を取り直したようにグウェンドリンへ向き直る。
「取り敢えずさ、魔女さんも、あんまり長居はしない方がいいよ」
「折角訪ねてくれた人が、巻き込まれたら嫌だもんねぇ」
「御忠告、有難うございます。んん、でもまぁ。ちょっと熱冷ましの手持ちが足りないので……。これは改めてお持ちしますね。それまでは留まりますから」
 あらほんと? と女たちが表情を明るくして、お互いに顔を見合わせる。そうして、各々身を乗り出した。
「だったらさ、うちの近所で魔女の薬が欲しい人もいるかもしれないんだけど」
「うちも、となりの婆ちゃんがちょっと具合悪くしててさ。普段世話になってる人だから、診てもらいたいんだけど、いい?」
「だったらうちのチビも! 熱冷ましだけでいいと思ったけど、序でに診ておくれよ」
「あ、はい。……じゃぁ、どうしようかな。この辺りの魔女が住まわれてる村って、どこですか? 行って帰るのって、時間かかります? 薬種堂もなさそうだから、乏しい材料を少し分けてもらいたいし」
 それなら、と一人が該当する乗合馬車と、村内の地図を描いて差し出してくれる。
 件の村は馬車に乗れば一時間ほどの所にあり、乗合馬車はこの辺りの村をぐるりと巡っているそうだ。今日これから出発する馬車に乗れば、また午後に逆順で戻ってくる馬車で帰ってこられるらしい。
 有難うございます、と丁寧に畳んで鞄に仕舞い込んだグウェンドリンは、鞄を背負い直してぺこりと頭を下げた。
「それでは、また明日、伺います。往診もその時に」
「有難う、気をつけてね」
「助かったよ」
 女たちに見送られてその場を後にしたグウェンドリンは、少し小首を傾げて辺りを見回したのち、乗合馬車の停留所へ向けて歩き出したのだ。

  ◇◆◇

 はぁ疲れた、と。下宿の居間で足を伸ばしたグウェンドリンの前へ、ホットレモンを置きながら、シャノンが「お疲れさま」と労ってくれる。
 外はそろそろ暮色に染まる頃で、今日の夕食は情報収集も兼ねて外に食べに行こうか、という話になっていた。それまでに帰ってこられて幸いである。
 有難くホットレモンに口をつければ、ほんのりと上品な酒の香りもした。向かいの椅子を引いて腰掛けたシャノンは、それで、と切り出す。
「魔女には会えたの?」
「うん、偏屈って話だったけど、そうでもなかったかな。ちょっと話がこ難しいから、取っ付き難く感じてるのかも」
 件の村は風光明美な場所で、豊かな森を背負っていた。
 聞くところによると、この村の産業を支えている森でもあるようで、どうやら魔女がこの村に居を構えたのは、これが理由だったようである。
 周囲の評判も良く、第三の事件当夜は近所のお産に呼び出されていたらしい。
 初産だという若妻は思いの外難産で、明け方近くに漸く珠のような赤子を取り上げ、薬湯で浄めていたそうだ。見事やり遂げた若妻を労い、衰弱した身体に滋養の良い物を与え、昼には帰ったのだという。御蔭で母子共に健康だと笑った夫は、それはそれは有難そうに子細を話してくれた。
 道中に出会ったヒトビトから、諸々話を聞きながら辿り着いた場所には小奇麗な一軒家があって、軒先きには束になった薬草が吊るされていた。裏手には小さな畑もあるようで、そちらでも薬草を栽培しているようだった。
 突然訪ねたグウェンドリンに驚いた様子だったが、事情を話し薬草を所望したところ、快く分けてくれたのである。
「修行の旅だなんて感心だって、ちょっとおまけしてくれたよ。いい薬草が揃っていたし、ちゃんとした魔女みたい。お歳は、エッカートさんくらいかなぁ?」
 帰りの馬車の時間まで、彼女の家でお昼とお茶をご馳走になりながら話をさせてもらったが、彼女が善良な人間だということがわかったのは収穫だろう。
 知識は豊富だが民間療法と薬草に片寄り、よくいる村の薬剤師でしかなかった。
「花売りさんたちの話だと、わたし以外に魔女は来てないらしいよ。そして、この辺り唯一の魔女には犯行は不可能」
「グウェンが予想外に有能だなぁ。それじゃぁ、残るは酒場(タバーン)か」
 人が情報を得る方法は幾つかある。グウェンドリン自身が足で稼ぐ場合、向かうのは売春婦たちの元と、地元人が集う活気のある酒場だ。
 場末へ足を向けないところを見ると、あまりそうした面に触れていない人物。彼女の感覚で物を言うなら、研究室から出てこない学者のような印象を受ける。もしくは、育ちの良い人物だろう。
「そっちは氏族(クラン)が足で稼いでるはずだけど、今のところ、めぼしい情報はない」
「目立つ行動を避けたのかなぁ?」
「ていうか、殊更に聞き込まなくても耳に入ってきた可能性はあるな。花売りたちも嫌ってたんだろう? そういうのを把握できる職、または場所……」
 実際に顔出してみれば雰囲気はわかるな、と頬杖ついて言うシャノンに、グウェンドリンも同意を示す。
「どうやら魔女が来たって宣伝してくれるらしいから、少しばかり物騒な場所に顔を出しても大丈夫そうかな」
「賭場周辺は行かないぞ。あっちは氏族が担当してくれるから」
「うん、行かないよ。世間話序でに安くて美味しい酒場の情報は貰ったから、そっちに行こうよ」
 あっけらかんと返して、グウェンドリンはこくりと小首を傾げる。
 念の為にと護衛についてくれた人狼(ライカンスロープ)の話では、彼女の後を着ける者もなく、今日会ったヒトビトに含みはないように思う。だから、話してくれなかったことは幾らかあるだろうが、彼女たちの話は頭から疑わなくても良さそうだ。信頼関係も、もう少し通えば培われることだろう。得られるものも増えるはず。
 果たしてシャノンは、形容しがたい感情を刹那のぼらせて、ふと苦笑を浮かべた。
「いや、うん。グウェンに関して、いろいろ見誤ってたなぁ」
 ここまでだとは思ってなかった、と零れた一言に、ほんのり口元へ笑みをのせる。
 それはそうだろう、グウェンドリンは魔女なのだ。
 魔女とは清濁合わせ持った者。成りゆきとはいえ魔女として認められ、二つ名までいただいたからには、リシュナーの魔女の弟子として臆しているわけにはいかない。持てる智慧の全てを動員して行動するまでだ。
「そういえば、今日はラドフォード卿はお出かけ?」
 帰宅してみれば、二階はひっそりとしていたのである。早朝出かけた時には、まだ人の気配のようなものはあったような気がするが。
 曖昧に頷いたシャノンは、少しだけ冷めた目で、あらぬ方を見遣った。
「そう何日も空けてられないんじゃないの?」
 これは何かあったな、と察するが、追求せずにそのまま流す。
 多分、あちらが避けているのだろう。これでシャノンは、見透かしたように痛い所を的確に突いてくるから。そこが少し恐ろしいところでもあるし、恥じない生き方をしなければならないな、と背筋を正される部分でもある。
「シャナは、今日は何してたの?」
「んー、まぁいろいろと。そういえば被害者の仲間、あと一人いたってさ。今日から氏族が張り付いてるって」
「それじゃぁ、まだ続くかもしれないんだ?」
 復讐なのかなぁ、とぽつりと呟けば、カップから立ち上る湯気がほわりと広がる。
 加害者は、相手を選んでいるようだ。その時点で、何かしら恨みを抱える者という印象がある。圧倒的な力で押し潰しているところは、いろいろ考慮できそうだ。
 返り打ちに合わないように、それだけ恨みが深い、非力な人物である。
 被害者たちが破落戸であるため、これらで性別や加害者像を図るのは難しそうだけど。
 復讐ねぇ、と呟いて、シャノンは何処か物憂い顔をする。しかしそれもすぐに消えて、彼はグウェンドリンへ向き直った。
「それで、また明日も行くの?」
「うん。最初からそのつもりで、全体にちょっと少なめに持っていったんだけど」
 そうすれば二日連続行けるでしょう、と小首を傾げると、彼は軽く眉を持ち上げる。
「じゃぁ、在庫はあるんだ?」
「でも宣伝してくれるって言ってたから、そっちは心許なくて。魔女も訪ねたかったから、丁度いいかなって」
「グウェンは、本当の意味で賢い女(ウェネーフィカ)だねぇ」
 感心した風情で古い言葉を口にして、にんまりと笑った。
 こういうところが垣間見えるたびに、不思議な人だな、と思う。フェイムが「再会して驚いた」と言っていたくらいだから、きっと興味の向くまま、いろいろ手を出していたのだろう。身近に魔女がいたのでなく、当人が少し齧ったのだとしても、今更驚かない。
 交友が広いのも、その表れのような気がするのだ。そんな人物と知り合えたのは、おそらく幸運なのだろう。こうして面倒みてくれるのも、当人の人柄もあるだろうけど、後輩として気にかけてくれているのだと思えば、何となく納得できる。
 ホットレモンを飲み干して、満足げに吐息したグウェンドリンは、時計を見遣って腰を浮かせた。
「そろそろ出ようか。お腹空いてきたし」
「あー、そだね。じゃ、案内宜しく」
 任されました、と頷いて、カップを片付ける。そうして寝室へ入ると、チェストに並べていた薬剤を幾つか、肩掛け鞄に放り込んだ。今回の自分は「旅の魔女」なのだから、それらしく振る舞わなくてはならない。
 宵のマクニースは、シャフツベリとはまた違った活気のある街だ。ラドフォードの玄関口の一つということもあり、様々なヒトビトが行き交っている。
 教えられた酒場は、労働者階級の地元民が多く顔を出す場所のようで、通りを一本入った途端に随分と活気の種類が変わった。
 鼻先にふわりと空腹を誘うにおいが漂って、陽気な笑い声が耳に届く。間もなく見えた店内を覗くと、雰囲気は良さそうだ。まだ込み合う時間には早いのか、適度に混雑している。
「んん、これは当たりっぽい」
 ざっと店内を一瞥したシャノンが呟いて、気軽に足を踏み入れた。その後に続くと、くるくると働いていた女給が振り向く。
「何人だい?」
「二人」
 じゃぁそっち、と顎で示された隅の席へ辿り着くと、間もなく女給がやってきた。
「はい、お待たせ兄さんたち。御注文は?」
「お勧めは?」
「そうねぇ、今日はリゾットかな? プリジェンの新米が入ってきたとかで。今年の茸は良い味してるから、茸のリゾットが一番お勧め。変わり種だとナッツを入れて、少し甘めにしたのとか?」
 こくりと小首を傾げて思案しながら上げられる品目に、グウェンドリンが小さく手をあげた。
「わたし、ナッツのリゾット食べたい」
「じゃぁ、俺は茸にするかなぁ。あと、ここの名物料理って何?」
 二人で摘めそうならそれも、と付け加えるシャノンに、女給はにんまり笑う。
「そりゃ、鹿の香草焼きね! うちに卸してくれてる猟師の伎倆がいいから、臭みもなくて美味しいよ。付け合わせに季節の野菜も焼いてるから、二人で摘むにはいいんじゃない?」
「じゃ、それで」
「畏まりました!」
 少々お待ちくださぁい、と女給が踵を返すのを見送って、グウェンドリンは首を傾げる。
「シャナ、飲まないの?」
「んー、今日はね」
 ちょっとやることがあるから、と笑った彼は、僅かに目許を緩ませた。
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