七、消却爆弾

文字数 2,697文字

 回収した消却爆弾の分析が終わり、ヘイズは受け取った資料を消却事件対策本部の隅で見返していた。通常の時限爆弾と同じく、消却爆弾も電力が通っている回路を遮断すれば起爆を防げるようだ。特に凍結が一番効果的らしい。
 これで消却を未然に防ぐ方法は分かった。被害拡大も食い止められるだろう。しかし今まで広範囲の消却を許したことを、民衆は許さないかもしれない。あの少女たちのように、「白紙郷」へ立ち向かおうとしている者もいるという。危険を案じた警察が追っていたが、消却されたのか続報は耳に入っていない。
 資料の紙束を机に置き、ヘイズは溜息を漏らした。今朝指示した、町に向けて避難を促す放送は、軍反対派の放送車襲撃で中断されたと聞いた。廃軍を掲げて大魔法使い・インディが蜂起して十八年、いまだに人々の間で軍への反発は根強い。
 ヘイズは敢えて治さなかった右頬の傷に触れた。あの大乱を鎮圧した際に受けたものだ。インディはかつて徴兵に従事し、その中で軍への不満を得て大乱を起こしたという。軍の在り方に思うところがあるのは、ヘイズも同様だった。しかし内部を変えようとしても、上層部が厚い壁として立ちはだかる。何度か改革案を出してきたが、動きは芳しくない。
 もし軍がしっかりと役目を果たしていれば、一般人を消却爆弾へ立ち向かわせる危険を避けられただろう。宿の前で起爆を止めた青髪の少女を思い出し、ヘイズは未熟な己を恥じる。避難している娘と恐らく同年代、まだ義務教育も終えていないはずの彼女が戦う事態は避けたい。いくら個人が武器を持つ時代とはいえ、戦闘は軍の役目であるべきだ。
「ヘイズ中佐、『虹筆』についてお知りになりたいとのことですが」
 戸を叩く音の後に、最近ほぼ毎日聞く声がする。ヘイズが応じると、頼りにしている神話学者が入ってきた。あの町で耳にした「虹筆」とは何なるか、エティハへ尋ねる。
「神話においては、創造神・イホノが所持した筆とされています。消却の際にも、それによって全てが復元されました」
 元は絵画・彫刻を趣味としたイホノが父から与えられた「虹筆」は、空想を具現化するものであった。それを利用してイホノは島――後のライニアを作り、生まれた海を離れて島で暮らそうとした。その思惑に反発した女神・シルアは恨みと憎しみの女神・ルーフレと共に「虹筆」を奪い、ルーフレの持つ強い負の感情を力に筆を悪用する。こうして島全土が消却されたが、紆余曲折を経てルーフレが改心した末に「虹筆」はイホノへ戻り、島も元通りとなった。
「『虹筆』は今も、イホノの住むイホノ湖にあります。あまり知られていませんが、石造りの祠に収められているのです」
「それは本当に、神話時代に作られたものなのですか? 後世の人々が想像で作ったものではなく?」
 ヘイズの問いに、エティハは茶色の目を光らせた。神話が虚構と断定された今でも、祠に「虹筆」があると固く信じる人はいる。元は想像上のものであった魔法が具現化するこの世界なら、人々の思いから神話に登場する道具が本当に形作られていてもおかしくはない。そして神話通りの働きを為してくれるだろう。そう言い切るエティハに、ヘイズは感嘆の息を漏らした。自分の周りでこれほど神話に詳しい者など、どこにもいなかった。
「エティハ教授は、昔から神話に興味があったのですか?」
「割と幼いときからでしょうか。私はどうも魔術を使うのが苦手でして、それを解消するべく神話を学び始めたのですよ」
 エティハの顔から一瞬、表情が消えた。神話を知ることが魔術の強化に繋がるのか、ヘイズは首を捻る。加えてエティハが本格的に神話を学ぶようになったのは二十二歳というのが気になった。大学で勉強をするなら、普通は十八で入るのだが。
「それまでは働いていたのですよ。あそこでも色々と知ることは出来ましたがね」
 彼の家計は苦しかったのだろうと、ヘイズは想像した。わざわざ自分で学費を稼いでまで、深い知識を得ようとしたのか。大学には入らず高等教育を受けなかったヘイズにしてみれば、尊敬するものであった。一方でエティハはどこで働いていたのか、尋ねようとした疑問はすぐに遮られる。
「しかし中佐は、どちらで『虹筆』をお聞きになられたのですか?」
 その場所を教え、ついでにミュスの一人らしき人物から聞いたとも明かす。ライニアに住むどの人種よりも色白だと思われるあの民族は、楽器を用いて魔術を操るとヘイズは聞いていた。町にいたあの男も、所持していた笛を使うのだろう。彼は民族の中でも、過激な思想を持っていると警察や軍でも警戒されている。次に会った時に備え、ヘイズは部隊に特殊な指示を出そうと決めた。
 エティハに向き直り、ヘイズは今日来てくれたことへ礼を述べた。消却爆弾の解析は順調に進んでいると報告する。
「特に、勇敢にも爆弾の起動を止めた市民がいました。彼女のおかげで、部下の手を多く煩わせずに済みました」
 そう話すと、それまで左右ばらばらを向いていたエティハの両目が、こちらの一点に定まった。彼は声を震わせ、ヘイズにゆっくりと詰め寄ってくる。
「……消却爆弾が、動かなかったのですか? 誰です、止めた者は!」
 落ち着くようエティハに言い聞かせ、ヘイズは机の引き出しを探る。少女を聴取した部下によって作られた資料には、「レン」の名があった。ライニアではあまり聞かない、東方風の響きだ。当時の状況を語りながら、ヘイズは少女の力強く輝く緑の瞳を思い出していた。
「あり得ないはずです。通常の攻撃では、外部から回路を遮断できるはずがない……!」
 ヘイズが話を終えるなり、エティハは早口でまくし立てた。その場で足踏みをし、何かに焦っているようである。彼は消却爆弾の詳細を知っているのか。もしそうなら今後の対策に役立てたいと考えたが、ヘイズが問う前にエティハは足を速めて去っていった。挨拶もそこそこに消えた教授は、神話自体だけでなく「白紙郷」、そして消却爆弾に対しても造詣が深いのかもしれない。推測が一つの仮説を生み、ヘイズは固まった。
 このままエティハと交流を重ねて良いものか。彼がもたらす知識は、確実に事件の解明、収束へ向けて役に立っている。だが彼にも、こちらの動きによって有利になることがあれば――。
 ヘイズは机へ戻り、そこに手を突いて前を向いた。仮に向こうがこちらを出し抜こうとしているなら、自分たちもそうするまでだ。ひとまず事後処理のためにも、「虹筆」は必要不可欠となる。イホノ湖で回収した後、事態が収まり次第使用する――立てた計画を、ヘイズは何度も脳に反復させた。
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