一、異端のライニア人

文字数 4,757文字

 年度末に配られるものより簡略的に寸評が記された通知表を開き、レンはまず座学の成績を確認した。苦手な科目はともかく、概ね評価は高い方だ。続いて体育、武器実践の欄を見、残る一つの項目を飛ばして課外活動の方へ目を向ける。銃術部での活動を褒められる中で笑みを堪え、問題の「魔術実技」欄を探す。そして予想通りの結果に、情けない声を上げそうになって抑える。周りの様子を気にしつつ軽くうなだれると、胸の下までまっすぐに伸びた青い髪が重みで下がる。
「レンちゃん、どうしたの? また魔術のこと?」
 隣の席にいたリリがこちらへ身を乗り出してきたので、レンは慌てて二つ折りの紙を閉じた。しかし知られたくなかった内容は、この幼なじみも鋭く見抜いたようだ。
「あいかわらず魔術の成績はあまりよくないよね。なんでだろう……」
「まぁまぁ、これから伸びるかもしれないし」
 軽く髪を掻き上げてから、レンは通知表を鞄に仕舞う。友には気丈に振る舞ってみせたが、さすがに親の反応は気になる。楽しみな春休みを前に、また彼らの溜息を聞くだろう。
 国民の誰もが「魔術」――体系的に整理された特殊な技を使えるとされるライニア国の中で、レンは浮いた存在だと自身でも理解していた。無から元素を組み合わせてものを作り出す基本中の基本、「錬成」魔術さえ成功したことがないのだ。授業では一度も魔術を使えた試しがなく、おかげで今学期の成績も最低の評価だった。十一歳から五年間通うことになっている中等学校の生徒にしては、他と比べて遅れている方だ。
 そして魔術はおろか、レンはやはりライニアのほぼ全員が有する「魔法」をも扱えなかった。こちらはリリも発現していないようだから、まだ周囲との違和を感じることは少ない。そもそも魔法を構成する価値観とやらが、中等四年生である十四歳程度の年齢で固まるものか。軽い疑いと反発を力に変え、いつか何とかなるだろうと気長に「魔法使い」となるのを待っているのが、レンの常であった。
 学校を出てすぐ、レンはすっかり通知表の存在を忘れ去った。隣を歩いていたリリを追い抜き、傘もいらない霧雨の中、軽い足取りで花壇の並ぶ道を行く。空こそ重苦しい灰色の雲が覆っているが、春の訪れを告げる花たちが咲いているのを見ると気分が上がるものだ。煉瓦造りの家が多く建つこの辺りは、絵本に出てくる世界のようだと国内外で評判らしい。
「待ってよ、レンちゃん。置いていかないで」
 リリの声に慌てて振り向き、彼女が来るのを待つ。濃いめの緑をした内巻きの髪が、彼女の動きに合わせて跳ねる。色白の肌に目立つ赤い瞳が、今日はより一層不安を隠しているようだった。レンのことを「いつも前向き」と言い、リリは溜息をつく。
「レンちゃんは怖くないの? 成績で怒られるとか、この前来た……えっと、いろんなものを消している、なんとかって団体とか」
「『白紙郷』だっけ? ……確かに、気にはなるよ」
 怪しい組織が特殊な爆弾を使い、建物や人を文字通り「消し」ながら南下しているとの報道は、レンもよく聞いていた。ライニア中部にあるこの湖水地方も、そろそろ「消却」されるのではないかと大人たちは懸念しているらしい。もし現実になれば、一体これからの生活はどうなってしまうのか。鼓動の速まる胸を叩き、レンは少し臆病な友人の肩に手を置く。
「さすがに危ないってなったら、逃げれば良い。それまでは大丈夫だって」
 彼女を何とか落ち着かせようとしつつ、レンは歩き続けた。怖がる様子を見せてはかっこ悪いと思って。
 しばらく進んでいき、店や家の並び立つ区域から木々に囲まれた草地に移った時だった。家へ通じるこの道は普段静かだが、今日は聞き慣れない女の声がする。何を言っているか分からず、レンは思わずそちらへ向かった。リリが寄り道を咎めるが、ここで引き返しては謎が残るだけだ。
 そして村でも有数な巨木の下で、女が自分より幼そうな少年に詰め寄っているのを見、レンは足を止めた。女の方はこの世界でも東方の出身だろうか、やや黄色がかった濃い肌色をしている。長袖から伸びている手には包帯が巻かれ、長いズボンと腰に巻いた布の間に刀を差していた。下にかけて暗くなっていく紫色の髪は、まとめないまま膝下まで伸びている。あれで武器を振り回せるのかと思いかけて、レンは刀の柄に手をやった女に叫んだ。
「ちょっと、あんた! その子に何をしようっていうの?」
 後ろでリリが止めようと追い掛けてくるのも構わず、レンは走る。こちらを見やった女は息をつき、刀から手を離した。
「この愚か者を、戒めてやろうとしただけよ」
 低い声で吐き捨てる女は、前に立つ少年を睨む。対する少年は小さい歩幅で後ずさり、困ったようにレンへ目をやり、口を開けたり閉じたりしていた。うなじの上で切られた髪は、毛先にかけて黒から藍色へと色を変えて染まっている。その体全体が、よく見ると周りを淡い青色の粒子で覆われている。肩から背にかけて小さめの鞄を背負い、垂れ目の中にある紺色の瞳を潤ませる彼は、女の言う「愚か者」には見えない。
「そんなひどい言い方しなくても良いでしょう! どこが愚かなんて――」
「身一つで『白紙郷』の団員と戦おうとしたのよ?」
 ここ最近よく聞く単語に、レンは一瞬息が詰まる。女曰く、少年は「白紙郷」が消却に使う「消却爆弾(しょうきゃくばくだん)」を設置する人を目撃し、後を追った。そのまま彼が「白紙郷」団員と思しき者と戦闘に入りそうになったところに、女が介入したそうだ。
「こんなが子供が『白紙郷』と対峙するなど、馬鹿らしい。だから止めようとしたまでよ」
「でも武器で脅すのはどうなの?」
 女に言い返し、レンは近くに見慣れない不審物がないか探る。幸い、消却爆弾なるものはなさそうだった。あの少年が脅威から救ってくれたのだと考え、彼に目を向ける。
「ありがとう、そこのきみ。この村を助けようとしてくれたんだね?」
 返事ともつかないか細い声が、レンに応じた。そこに女が割って入る。
「彼はただ、『白紙郷』と戦いたかっただけよ。全く呆れるわ。自分の技量も知らないで、あんな敵に立ち向かうなんて。何て愚かなのかしら」
 それから女は、自分だけが理解できていれば良いとでもいうような長話を始めた。流暢なライニア語だが、この国で育ったのだろうか。その姿に自分と似たものを覚えながら、レンはゆっくり移動を始めた。女は何やら人間がどうのと語っているが、レンにはよく分からない。退屈なそれを聞き流し、万一に備えてレンは少年を庇うように彼の前へ足を動かしていった。
「――そう、これが人間の生んだ世界の結果よ」
 レンが立ち止まるなり、話を終えた女が刀を抜いた。そのまままっすぐ刃先が向けられ、ただ息を呑む。今にも喉を貫きそうなそれに、何もやり返すことが出来ない。
「大乱があったでしょう。あれこそ、愚かさの極みよ。変えられないのに世を変えようとして、挙句により悪い方向へ傾けていった。首謀者の大魔法使いは、何も先が見えていなかったのかしら?」
 女の言い分が、次第にレンの静かな怒りを増していった。自身が尊敬する魔法使いが、悪く言われている。彼はただでさえ厳しい状況にいるだろうに、これ以上傷付けられてはあんまりだ。そんな不満をぶつけようとしても、上手く言葉が見つからない。
 武器を持っていないのかと問うた女に、レンは頷いた。一定の年齢を過ぎたら武器の所持を義務付けているこの国だが、常に持ち歩くかは個人の自由となっている。レンもリリも鞄のかさばりを嫌がって、武器専攻の授業がある日以外は得物を家に置いてきていた。
「武器がないのなら……そうね、魔法なり魔術なりで反撃してみなさい。私に不満があればだけれども」
 突然の挑発に、レンは歯ぎしりをする。今は持っていない銃を撃つための弾さえ、自力で作りだせないのだ。攻撃用の魔術など、手順は分かっているものの実践に移せない。女から冷ややかに睨まれていると、体が固まったかのように動かせなくなる。
「すみません! お話中にレンちゃんが勝手なことをしてしまって!」
 慌てて自身の前へ入ったリリに、レンは我に返った。友はあれこれ言って、自分を許してくれるよう女に頼んでいる。初めは唇を引き結んでいた女も、やがて折れたのかこちらへ背を向けた。
「時間の無駄だわ。今日は見逃してあげましょう。どうやら私の死に場所は、別にあるみたいね」
 長い髪を揺らし、女は武器を仕舞って遠ざかる。その後ろ姿を呆然と見ていたレンは、少年に礼を言われているとしばらく気付けなかった。リリの言葉で、ようやく彼へ向き直る。レンよりいくらか背の低い男は、いくらか小さい高めの声で尋ねてきた。
「あの、先ほどはわざと魔法を使わなかったんですか? やり返されたら危ないと思ったとか……」
「うん、その通――」
「レンちゃん、まだ魔術も使えないんです」
 強がろうとした言葉は、リリの話す真実に隠された。こうして正直に明かされると気分が悪い。そんなレンの気持ちも知らないように、少年は一瞬大声を出してから謝った。彼の反応も当然だろう。誰もが「魔術師」である国の中で、異常な存在なのだ。それを改めて痛感しつつ、心を表には出すまいとレンは努める。
「今使えないだけってのもあるだろうし、きみが気にしなくて良い。ところで見ない顔だけど、どこから来た?」
 この村よりずっと南にある首都の名を答え、少年は旅をしている者だと明かす。旅にしては荷物が小さい気がしたが、案外長旅にはそちらの方が適しているのかもしれない。今後の無事を祈り、レンは少年と別れた。
 再びリリと道を行き、やがて自宅を視界に捉える。そんな中、少年にかっこいいところを見せられなかったとレンは軽く悔やんだ。ほとんど女に押されっぱなしで、反撃さえ出来なかった。下唇を軽く噛み、すぐに首を振る。いつまでも悩んでいても仕方がない。気持ちを切り替え、帰っていくリリを見送ってレンは家に入った。
 両親は近所で経営する喫茶店にいて、夕方まで戻りそうにない。玄関から廊下を抜け、二階の自室に鞄を置いてレンはベッドへ倒れ込む。それからふと思い立って起き上がり、部屋の角にある本棚からいくつか本を取り出した。親が見つけないよう奥に仕舞い込んだ一冊を取り、ベッドに腰掛ける。そして中に挟まっていた紙をさっと広げた。
 大きな写真の下に名前と「罪」が記されているこの手配書を、隠し持って何年になるだろうか。人相が悪そうに見えるのは、彼が「犯罪者」だと上が見せたいがために違いない。昔は誰もが「大魔法使い」として尊敬していたはずなのに、今やすっかり評判が変わってしまった――レン自身は大魔法使いであったころの彼を知らないが。
 さすがに彼のように、国を大きく変えたいと思ったことはない。だが、少しでも「かっこいい」人間になれれば。レンは何気なく、「錬成」魔術を行う姿勢に入った。まず右手を広げ、手の上に意識を集中させる。それから軽く拳を握り、元素が手中に集まる想像をして力を込めていく。あとは手のひらに銃弾が載っている――はずだったが、レンは何も手にしていなかった。
 背を布団に預け、レンは笑い声を立てる。あの大魔法使いには憧れる。しかし彼のような仰々しいことをするつもりはない。ただ生き方の上で、人生の手本にしようと思うだけだ。少なくとも魔法も魔術も使えない今は、そう考えている。
 時計を見ると、日課である「お茶とお菓子の時間」が近かった。きっと両親が、喫茶店で何か用意してくれているだろう。レンはふと通知表の入った鞄を見やり、そのまま何も持たずに部屋を出ていった。成績に関する言い訳は、後でじっくり練ることにして。
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