12 苦渋のパンケーキ

文字数 850文字

「殺せ」
隣でまーちゃんはふかふかの布団に包まれて眠っている。僕はそっと暖かい身体にすり寄る。
『殺せ』
頭の中に響いているのは、星からの指令なのか、自分が呟く声なのか、わからなくなってきた。
遠く真っ赤なサイレンが鳴る。轟音のようなエンジンが響く。池袋は賑やかだ。すべてを無視してまーちゃんは平和に眠っている。たくさんの気配の中で、僕だけが単体で放り出されている。
きっと、地球の裏側では僕と同じ星の誰かがたくさん人を殺しているかもしれない。そう思ってみても気は晴れないし、頭の中の声の主も判然としなかった。

『味方』
ふと、声が聞こえた。それは地球の、渋谷の記憶だった。
「マスター。」
僕は、紫煙に満ちた地下の店を思い出す。
僕に向けられた、名も知らぬマスターの口の動きが、唯一の救いに思えた。
「おはよう。」
まーちゃんが目やにの付いた瞼を開いた。キラキラとした瞳が空をさ迷う。
覚醒しないまま、ベッドテーブルに手を伸ばし、煙草を探る。
「まーちゃん」
「ん?」
まーちゃんは灯を点けて、ようやく目覚めたようだった。
「あの、喫茶店行きたい。」
僕はようやく言葉を紡いだ。
「喫茶店?このへんいっぱいあるよ。煙草吸えるところも。」
「渋谷の。」
「ああ、あそこか。気に入った?」
まーちゃんは死んでしまうのではないかと思うくらい、勢いよく煙を吐き出した。
「いいじゃん。パンケーキでブランチにしようよ。」
まーちゃんはにやりと笑った。僕のお腹はグルルと鳴る。

褐色の柔らかな円は重なり、クリーム色のたっぷりのバターとヌラヌラと粘液のような蜜に冒されている。
「ここのパンケーキ、美味しいよ。」
そう言いながらパンケーキには手を付けずマルボロを手に取った。
僕はそっと生地にナイフを入れる。皮膚よりも柔らかなそれは、僕の口に入ると、蜜と卵の甘味で僕の頭を弱らせた。
「パンケーキ食べると、もう全部どうでもいいかな、と思います。」
僕は一度ナイフを置いて言葉を絞り出した。
「そんな長い言葉喋れたんだね。」
そう言うと、まーちゃんは久しぶりにケラケラと笑った。


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