8 豪雨とルージュ

文字数 1,185文字

「テレビとか観る?」
答える前に、まーちゃんはテレビを点ける。水色やオレンジ色の原色の中で、人々が騒々しくはしゃいでいる。
まーちゃんは少しそれを見届けてケタケタ笑った。そして突っ立ってる僕を見てそれ以上に笑った。
「座りなよ。」
「はい。」
どうしようか。いつ殺そうか。殺しても鍵がない事実は残る。明日は星と連絡がつくだろうか。
無防備にソファーに寄りかかる女を見る。赤い髪が、真っ赤なビロードに溶け込んでいる。
「で、どこでどうして鍵を無くしたか思い出した?」
「芝浦ふ頭で、無くしたと思う。」
「なんであんなところ行ったの?芝浦に何かある?芝浦に用とかある?」
それは言い過ぎか、と言ってケラケラ笑う。僕も釣られて笑みを浮かべた。
「うわ、貴方笑顔珍しいね。」
「変ですか?」
「いや、笑っておきな。」
すぐ表情を戻した僕を面白そうな顔で見つめる。
「仕事とか?」
「はい。仕事でした。」
「じゃあ、仕事先にあるんじゃない?」
僕はヌラヌラと黒い海を思い出した。遠く点在する灯りが、地球への道程と似ている、とぼんやり思っていた。殺した人間がどんなだったのかもわからないが、その景色だけ覚えている。それ以外は何も覚えていない街だ。
「明日も芝浦で仕事?」
「いえ、もう芝浦ふ頭に行くことはないです。」
「詰んでるね。」
まーちゃんは、鞄からペットボトルを取り出して飲んだ。
「あ、コーヒー入れましょうか?」
「いいよ、いいよ、コーヒー飲みすぎだよ。」
まーちゃんは楽しげに言うと、
「ねえ、ここで童貞捨てるのもあれだよね?」
と顔を覗き込んできた。
「いえ、別に。」
どちらでもいい、と言いかけた唇を塞がれる。そのまま、されるがままキスをされていた。
こういう時、どうすればよかったか。ボスの顔をもう思い出せなかった。
「眠くなっちゃったから、そのまま添い寝してよ。」
唇を離すと、何事もなかったようにまーちゃんは言って、シャワールームに消えた。

常夜灯で照らされたシーツは、青白く光っている。隣で寝息を立てているまーちゃんからは、バスローブの下から自分と同じ石鹸の匂いがする。
白い首筋を見る。そっと頸動脈を押さえる。間抜けな寝息が聞こえた。そのまま、白い左胸は何も遮るものはなく、心臓を撃ち抜ける。まーちゃんは少し口を開けていた。僕はそのままシーツに埋もれた。

「雨だよ。最悪。」
目覚めるとまーちゃんは身支度をしていた。寝癖をそこそこに直して、真っ赤なリップを渇いた唇に塗りつけた。
「すごい雨。シャワーみたい。」
窓の外を眺めると、初めて見る嵐だった。
「チェックアウトまでに止むと思うよ。私仕事あるからもう行くけどさ。」
「僕も行きます。」
まーちゃんは僕をしげしげと見て、笑うと
「寝癖、直した方がいいよ。」
と言って、
「帰る時は、この鍵を受付で渡してね。11時までにね。」
透明な棒のついた鍵を託すと、まーちゃんはそそくさと去ってしまった。
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