11 池袋エレジー

文字数 1,173文字

「ねえ、地元どこなの?」
まーちゃんは僕を放置してコーヒーを買いに行くと、隣に腰掛けて、ズルズルとカフェオレを啜った。僕は渡されたアイスコーヒーを、ありがと、と言って飲んだ。
「無いです。」
「都内出身なの?」
答えに窮してストローに口を付けると、まあ、言いたくないならいいけど、とまーちゃんは諦めた。こういう時、どう言えばいいかを忘れてしまった。日に日に、インストールされた記憶を失っていくような気がした。それは、僕が星に見離され、地球人も殺せないような役立たずと認識されているのかもしれない。
「私の家、遠いんだよ。来てもいいけど。」
その前に煙草吸おう、とまーちゃんは立ち上がった。

巨大な墓標のようなタワーが何個も立っている。首都高の轟音が僕達の会話を遮り、僕は何度も聞き返した。何て人間たちの儚い営みなんだろう。
小さな土地の中で、無数のエネルギーが渦巻いている。
まーちゃんの家は、池袋駅から少し遠いアパートだった。
白い壁に囲われた四角の部屋の中で、殺す気もない人間に導かれて寛いでいる。
外から、バイクの轟音とサイレンが響いた。
耳を刺す音の中に、微かに指令が届いた気がして、僕は思わず窓を開けた。
「あ、煙草吸おうか。」
まーちゃんがライターを持ってきてくれた。埃臭い空気の中、灯を点す。
「今日は私仕事無いからさ、夕飯食べて動画観て寝ようと思ってた。」
「仕事ってどんなことをするんですか。」
大声を上げながら路地を歩く若い男女を見下ろしながら、何となく問いかける。
「男の人と、そういうことをして稼ぐ仕事。」
まーちゃんは、威勢よく煙を吐き出した。眼下の街に吹き掛けるように。
「そうなんですか。」
僕も真似して、輪っかの煙を吐き出す。
「うわ、意外と器用なんだね。」
これは、確かボスが煙草を教えてくれた時に、一緒に教わった技だ。地球では少し褒めてもらえると。もう、ボスの輪郭は曖昧だった。
調子に乗ってもう一度やろうとすると、頬に柔らかいものが当たった。まーちゃんの唇は、少しだけ荒れていて、熱い。顔を向けると、そのまま唇を合わせた。
「まーちゃん、殺してもいいですか。」
何だかわからないけれど、殺さなければいけない気がした。そうしないと、僕が僕ではなくなる予感を無視できなかった。
まーちゃんは感情の無い瞳で僕を見ていたが、すぐに面白そうな表情になった。
「いいよ。殺してみなよ。」
僕は、その首筋に指を這わせた。そっと力を入れる。まーちゃんは目を閉じた。捲れた皮から真っ赤なものが滲んだ唇は、微かに開いている。
僕はそっと手を離した。「まだやるな」。そういう指令だったと思う。久しぶりに届いた指令だったから、僕はちゃんと聞き取れなかったかもしれない。
「殺さないんだ。」
にやりと笑って、僕の口に自分の唇を合わせた。ルージュの落ちたまーちゃんの唇は、そのまま食べられそうだった。



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