第1話

文字数 1,057文字

 以前、東京に住んでいる時には感じなかったが、山形県人は郷土愛が強い。
 【郷土愛】とは、自分が生まれ育った故郷に対する愛情、愛着。(goo 辞書から引用)である。
 東京に住んでいる山形県出身者は東京では標準語を話す。
 それに対して、東京在住の関西人は関西弁で押し通す。約10年前、当院に勤務していた関西出身の心臓血管外科医は、山形県庄内に住んでいても関西弁で話をしていた。
 「せやろ?(そうでしょ?)」
 「んだんだ」
 関西弁と庄内弁のやり取りは漫才のようで、聞いていて面白かった。
 ところが一旦、山形に入ると山形県民はこてこての方言を話す。当然と言えば当然なのだが、標準語とのギャップが大きいのだ。庄内弁はその最たるものだと思う。「もっけだの」「まぐまぐでゅ~」「あぐどいで」「てろてろでゅ~」など枚挙(まいきょ)(いとま)がない。
 先日、当院の「健康友の会」(←当院の患者の会)の定例総会があった。その時、会員の一人が山形新聞の記事のコピーを見せてくれた。
 そこには「県外と異なる なじみの読みに光」と題打った記事が掲載されていた。普通、私たちは、①は「マルイチ」と読むが、山形県民は「イチマル」と読むのが基本である。それ故、県外で周囲からからかわれて悔しい経験をしたり、周りに馴染むために秘かな苦労をした山形県民が少なくない。それが、三省堂国語辞典に「①は山形県ではイチマルと読む」という説明が載った。「イチマル」という山形の読み方が市民権を得た、とのことだった。
 成る程、確かにワープロで「まるいち」を変換すると ① と出てくるが、「いちまる」を変換すると 一丸 と変換される。山形県民が、共通語と思って使っていた山形県民だけにしか通じない言葉に、これ程こだわりを持っていることにただただ恐れ入った次第である。
 んだんだ。

 さて、写真は2023年2月6日、奥羽本線の茂吉記念館前駅の写真である。

 山形新幹線の写真を撮るために駅撮(えきど)り(駅のホームから列車を撮影する撮り方)に立ち寄った。列車の時間に合間があったので、駅の近くの斎藤茂吉記念館を訪れた。

 そこで、斎藤茂吉が山形県出身の精神科医であることを初めて詳しく知った。
 後日、地元庄内町の居酒屋でこのことを話したら「んだ。彼は内陸出身だの。」と常連の反応はいたく素っ気なかった。
 山形県はさらに日本海側の庄内弁と内陸部の内陸方言のふたつに分けられ、歴史や文化がおよそ異なるのだ。地域が細かくなる程、郷土愛はさらに強くなる。と、改めて痛感した。

 んだんだ。
(2023年5月)
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