第1話

文字数 1,178文字

 経験から得られた言葉には、妙に説得力がある。
 在宅診療の経験が豊富で高齢者医療に精通していると私が常々尊敬している医師がいる。彼の外来では、高齢の患者には尋ねることが3つある。いや、3つしかない。
 「ご飯が食べられるか?」「便は出ているか?」そして「夜、眠れるか?」である。
 この3点ができていればOKで、他の愁訴(しゅうそ)があっても「大丈夫!」なのだ。
 この間、彼にこのことを聞いてみた。彼(いわ)く、「その通り。大事なのは『飯』『糞』『睡眠』だ。これが問題なければ高齢者はまず、大丈夫だ。」
 その後、自分の外来でこの3点に注目して診察してみると、ん~、成る程…、と思う。

 私の心臓外科の師匠の一人は東京のM記念病院にいた。その師匠の F 先生は既に鬼門に入られたが、私が先生に出会った約30年前は日本の心臓外科の黎明期(れいめいき)を開拓したバリバリの外科医であり臨床家でもあった。
 その F 先生が夏季休暇の時、外来の代診をした。F 先生は外来診察で聴診する際に、患者さんの洋服の上から聴診器を当てていた。私はいくら名医の誉れが高くても、その診察態度はよろしくないと思っていた。
 そこで、
 「はい、聴診しますから服を(まく)って胸を出して下さい。」
と、背広を着た男性患者さんに言った。
 「えっ!? 洋服を脱ぐんですか?」
 「そうですけど。」
 「…。」
 その患者さんはえらく驚いた表情をした。(この医者はやはり若造だから洋服を脱がさなくては聴診ができないんだ。F 先生はさすが、洋服の上からでも雑音を聞き取れるのに…。)と、私に明らかに不信感を持っているのが読み取れた。
 そんな F 先生は、外来診察が終わると必ず、予約患者で受診しなかった患者の家に電話を入れていた。彼(いわ)く、
 「化粧をして着飾って電車を乗り継いで病院に来られる患者さんは所詮(しょせん)、心機能(=心臓の働く力)がいいのよね。本当に調子が悪い心不全の患者は病院に来られなくて、家で寝ているんだよ。あんたには分からないだろうなあ。」
 ん~、F 先生の外来での診察態度の背景が理解できた。彼の目線は、生死上をさ迷うような重症の心不全患者をメスで救うというレベルの高さだったのだ。
 F 先生は飄々(ひょうひょう)としているが、豊富な臨床経験から得られたズシリと心に響く言葉だった。

 さて写真は芋焼酎のロックと追い水である。庄内町のとある店で撮影した。

 日本酒はコクがあり美味し過ぎてつい飲み過ぎる。芋焼酎もキレのある透明な甘味があってまた美味しい。(あっ、要は酒なら何でもいいのでは?という意見もあるが…)(苦笑)
 人が経験から得た言葉には、それは極言(きょくげん)では?と思うこともあるが、皆、一つの真理を含んでいる。どれも自分が経験したことがないことだけに、それぞれの言葉の背景を想像しながら、カウンターで一人、グラスを傾けている。
 んだんだ。
(2022年4月)
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