初歩の理解

文字数 2,044文字

 太極拳を始めて5年になる。5年といえば、この太極拳業界ではひよこにもあらず、タマゴである。太極拳は、とくに若者にはほとんど馴染みなく、お年寄りがするものというような先入観もある。今日は太極拳のタマゴである私が、初心者ならではの浅い発見や気付きを例に、皆さんにその面白さを伝えたいと思う。太極拳に何十年も捧げている達人では語れない、軽めの太極拳観を楽しんでいただければと思う。前置きが長くなったが、始めるとしよう。

 まず、世間一般では、太極拳は健康体操、あるいは気功で相手に触れず投げ飛ばすというような超能力めいたものだと解釈されている。健康体操という点においては、現在一番普及している簡化二十四式太極拳は、1956年に中国で『健康促進のため誰でも学べる新しい太極拳』として制定されたものなので、正しいと言える。気功に関しては、抽象的な力の作用は個人的にあるとは思うが超能力の類ではないと思う。

 私が今取り組んでいるのは、競技としての太極拳だ。フィギュアスケートや体操種目のように、技の正確さや美しさを採点し、競う太極拳がある。これは本来の太極拳ではないという人もいる。太極拳はもともと武術である。現代では日常で格闘するような場面はあまりないが、武術家とよばれる人々はいまだ多く存在する。そういう武術家にとっては、太極拳をスポーツとして捉えるのには抵抗があるようである。古来、武術は生死を伴う場面で力を発揮するものであったため、安全が約束されたスポーツをするのと覚悟が違う。故に武術家にとって競技としての太極拳は、たかがスポーツなのである。

 しかし私はまだまだ太極拳初心者なので、時代に合ったスポーツ太極拳を楽しめれば良いと考えている。競技として、太極拳とは何か?ここにまず一つ目の発見があった。

 太極拳とはいかにバランスを保てるかを競う競技だ。二人一組で行う推手という太極拳種目がある。接近しお互いの手首が触れるか触れないかの状態を維持しながら、押す、かわすを繰り返す。最初は決まった動作から始め、熟練してくると相手の動きに対してアドリブ的に対応する。

 ある講習会で初めてチームメイト以外の方と推手をした。最初はいつもどおり決まった動作をしていたが、次第に相手が私の想定していない方向へ押してくるようになった。その度に私は倒れそうになり、仕切りなおす破目になった。私は、彼が意地悪をしているのではないかと思った。しかし後によくよく考えて気付いた。なるほどこれが太極拳の闘いなのだと。これが一つ目の発見である。

 空手やボクシングでは、まずお互いに間合いをはかり、隙をついて相手を打撃する。空手なら相手に突きや蹴りが入れば一本、ボクシングでは打撃で相手を倒し10カウントをとれば勝ちである。しかし太極拳では互いの手と手を合わせた状態から押す退くを繰り返し、相手がバランスを崩したところで終了である。格闘の、攻守の応酬の部分のみを抜き出して行なうのが太極拳推手で、つまり、間合いを詰める小競り合いやバランスを崩して倒れた後は如何様にでもなるというのが太極拳の理屈である。バランスを保つことは太極拳において非常に重要で、この考え方は東洋哲学の陰陽思想に由来する。

 陰陽思想では、陰陽のバランスが保たれた状態を理想とする。陽の気が多いのが良いと誤解されやすいが、陰陽思想では陰の気が多く虚弱なのは未病、陽の気が多く元気すぎるのも正常でないとされる。中庸を理想とする陰陽のバランス理論は体調から政治、思想、自然現象などあらゆるものに適用され、それを武術に取り入れたのが太極拳である。なので姿勢のバランスを崩した時点で中庸から外れた状態、すなわち負けである。これもまた太極拳を学ぶ上で理解しえた発見だ。

 また、太極拳で理解が難しいのが緩めの概念だ。太極拳は全身を脱力し重力や相手の力を利用することで力を発揮する。関節を順番に緩め力のベクトルを変える。そうすることで相手の力を受け流して無力化したり、微弱な重力を最大にして相手にぶつけることもできる。太極拳の偉い先生と推手すると、どのように押しても文字通り暖簾に腕推しでかわされたり、およそ感じられないくらいの小さな力で体ごと左右に振り回されたりする。当初『気』には懐疑的であった私も、お年を召された小柄な女性に体重70kgの私がいとも簡単に吹っ飛ばされるという経験の後、筋力ではない別の力があると感じるようになった。それが気であり、具体的には重力や推進力、遠心力といったもので、それらのベクトルを制御することが気を操るということではないかと考えている。

 このように東洋の武術の理論は抽象的だ。一方で西洋の格闘技は科学的で、どうすれば的確にダメージを与えられるかが明快である。太極拳は東洋哲学をベースにしているため理解するのに長い年月が必要だが、その分発見や気付きの機会も多い。太極拳には人の数だけ解釈がある。新たな発見を求め今日も練習に励むのである。
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