初めての武術太極拳競技会

文字数 1,014文字

「来月の競技会、勝てば全国大会に出られるよ」

 その時、私は太極拳を始めてまだ1年だった。競技会に出るのも本来無謀。まして全国大会の話など時期尚早だ。

 私が太極拳を始めたのは四十三のときだ。社会人になってからは運動らしいことをほとんどしてこなかった。壮年を過ぎて、何か燃焼できることを始めたかった。そこへたまたま、知人から太極拳の先生を紹介された。私は簡単に習得できると思い、先生に付いて習うことにした。

 ところが実際に太極拳をやってみると、すぐにそれが難しいものであると解った。感覚としてはフィギュアスケートに近い。太極拳も、様々な動作をいかにミス無くこなすかを競う競技である。太極拳には、片足で立つ動作や柔軟性が必要な動作など、難度の高い動作がある。また、それらを美しくみせる必要もある。私は数ヶ月かけて一連の動作の順番を覚えた。動作の完成度については、3年やってようやくスタートラインと言われていた。実際自主練習も含めて相当真面目に取り組んだが、それでもできているとはいいがたかった。

 1年ほどして、先生から京都の競技会への参加を促された。レベル的にはまだまだだが、腕試しのつもりで申し込んだ。恥をかかない程度に演武できれば満足だった。しかしそのときに先生から言われたのが冒頭の言葉である。なんでも、40代男性の競技者は、京都では極端に少ないらしい。もしかしたら、勝てるかもしれないよということだった。

 1ヵ月後、京都競技会の本番当日を迎えた。このような大舞台にはいままで全く縁がなかった。40代男性の競技枠の、参加者は3名だった。つまり、他の2名に勝てば、全国大会に行けるのだ。可能性がみえると、とてつもない緊張に襲われた。自分の出番までの数時間、他の選手の演武を目を皿のようにして観た。皆が達人のようだった。この数時間の間にいろんな達人の動きを自分の太極拳に取り入れた。これが結果的に大失敗だった。

 競技の結果は、3人中3位だった。競技後先生から注意を受けた。なぜ教えたとおりの演武をしなかったのかと。演武直前で他の人の動きを混ぜたのが、敗因だった。残念な結果だったが学びは多かった。太極拳に限らないが、「自分と、日々の鍛錬を信じて、ぶれない」、これが非常に大事だと思い知った。

 私は太極拳にかぎらず、いくつになっても学びと挑戦は続けていきたいと思う。四十を過ぎて自分を燃焼させられるものに出会えたことは、非常に幸運だ。
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