山姥②

文字数 2,405文字


「──で、次はいつあの山に行くが?」


 いつもの帰り道。まるで昨日の出来事など何もなかったかのように話し続けていたK君は、俺のその言葉を聞いた途端に顔を強張らせた。
 どうやら記憶が曖昧なのはK君だけではなかったようで、誰に聞いても山姥に遭遇した後のことはよく分からなかった。そんな話に納得ができる訳もなく、俺は一度、この目で山姥の存在を確かめてみるべきだと思っていた。


「あんなとこ、二度と行かんちゃ」

「え……もう行かんの? 見てみたかったわ、山姥」


 予想外の返事に軽く肩を落とすと、そんな俺を見たK君達は焦ったような声音を上げた。


「絶対、あの山に入ったらだちかん! 行ったら山姥に食われるぞっ!」

「そや! 鬼や……っ、鬼が食うたんだ!」


 あまりの勢いにビクリと驚きながらも、何かに怯えるような素振りを見せる二人を凝視する。


「食うたって……一体、誰のこと言うとるが? 皆んな無事でないけ」

「……え? ……あ、あれ……っ? 誰も……食われとらんっけ……?

「いや、確かにだっかが……」


 困ったように狼狽えるK君達の姿を見て、俺は小さく溜め息を吐いた。


「けど、皆んなここにおるでないけ」

「そや、ちゃな……皆んな無事で良かったわ……。けど、もう二度とあの山には行かん。たけちゃんも、あの山には近付かん方がいい。絶対や」

「そや、絶対に行かん方がいい。……恐ろしい事が起きるさかい」

「う、うん……分かったちゃ」
 

 あまりの必死さに気圧されつつもコクリと小さく頷くと、そんな俺を見た二人は心底安堵したような表情を見せた。

 二人が見たという山姥の姿は、一体どんなものだったのか──。その興味が消えた訳ではなかったものの、だからといって、一人であの山に入るつもりはない。なにより、K君達がこんなにも必死で止めている姿を見ると、それを振り切ってでも見に行こうとはどうしても思えなかった。
 あの怯えぶりからすると、よほど怖い目にでも遭ったのだろう。もしかしたら、記憶が曖昧なのもそのせいなのかもしれない。そうと分かっていて、一人で山に入る程の勇気も俺にはなかった。


「なあなあ、今から家に来ん? 久しぶりに対戦せんまいけ」


 すっかりといつもの調子に戻ったK君は、そう告げるとニッコリと微笑んだ。


「ああ……あのゲームけ。うん、やろうかな。相変わらず下手やけど」

「いいちゃ、いいちゃ。いつもみたくチームで分かれて対戦せんまいけ。負けた方ちゃ罰ゲームな」

「いいけど。三人しかおらんけど、どうやってチーム組むが?」

「いつもみたく二・二でいいやろ」

「いや、けど三人しかおらんし……」

「あれ……? いつも四人で一緒に……いや、三人やったか……?」

「「…………」」


 確かにK君の言う通り、いつも四人で遊んでいたような気もする。けれど、一体どこの誰だったのか全く思い浮かばないことを考えると、きっとそれは気のせいなのだろう。


「何言うとるがや、いつも三人やったやろ」


 まるで自分自身を納得させるようにしてそう告げると、ヘラリと薄く笑ったK君は頬を掻いた。


「あー……、やっちゃね。なんか勘違いしとったわ」

「僕も一瞬、四人おったかて思うたちゃ。K君に騙されるとこやったわ」


 そう言いながら小さく微笑んだA君は、一瞬何かを考えるような素振りを見せて小さく首を捻った。
 そんなA君の姿を見て、何か胸を騒つかせるような不快感が生まれた俺は、思わず顔を歪めると左胸を抑えた。けれど、それが一体何なのか。その正体は俺には分からなかった。

 その小さな塊のようなモヤは、あれから二十年以上経った今も俺の中に残っている。
 結局、あれから一度もあの山に入ることもなく、あの時K君達が見たという山姥の正体も、未だに俺はよく分かっていない。けれど、それならそれでいいとも思っている。
 それを確かめようとすれば、きっと間違いなく良くないことが起きるのだろう。そんな気がしてならないのだ。


「ご飯の時間ちゃ。ゲームは終わりにして、早うこっちに来っしゃい」


 そう言われて食卓に腰を下ろすと、俺は目の前にいる嫁に向けて口を開いた。


「ゲームなんてせんぞ。何言うてんだ?」

「……あら? そうやったっけ。けど、あそこにゲームあるでない」


 そう言ってテレビ台を指差した嫁は、もう一度俺の方へと視線を移すと首を傾げた。


「じゃあ、あれ誰のゲーム機?」


 ゲームなど子供の頃以来した覚えなどなかったが、確かにあのゲーム機には見覚えがある。ということは、やはり俺のゲーム機なのだろう。もしかしたら、甥っ子が来た時の為にと用意したものなのかもしれない。
 そう考えてみると、子供の横で苦戦しながらゲームをしていた記憶もちゃんとある。


(…………。あの子供、本当に甥っ子やったっけ……?)


 ボンヤリとした記憶を手繰(たぐ)り寄せながらも、俺は目の前にいる嫁に向かって口を開いた。


「やっぱ俺のやわ。甥っ子が来た時に遊べるように買うたの、忘れとったわ」

「なんや、やっぱたけちゃんのか。忘れるなんてボケちゃったが?」


 クスクスと笑い声を漏らす嫁を見つめながら、俺は騒つき始めた胸元を抑えて小さく顔を歪めた。
 二十年以上前のあの時から、ずっと鳴りを潜めていたあの小さなモヤのようなもの。それは大きな不快感と共に再び姿を現すと、俺の胸の中で確かな存在感を増してゆく。
 けれど、やはりその正体が何なのかは俺には分からなかった。


「茜こそボケたんでない? これ、誰の分のご飯や?」


 俺は静かに涙を流すと、テーブルに置かれた一組の食事を指差した。
 そこにあるのは、誰もいない場所に置かれた子供用の食器類。それを見ているだけで、何故か胸が締め付けられる程の悲しみが襲ってくる。


「あ、本当や。私ったら、ボケたみたい。うちには子供なんておらんのにね……」
 

 そう言ってクスリと声を漏らした嫁は、穏やかな笑顔を浮かべながらも静かに涙を流し続けた。





─完─
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