お御影様①

文字数 2,608文字

 影に追われる──。
 あなたは、そんな体験をしたことがありますか?

 影自体が単体で動くだなんて、普通に考えたら絶対にあり得ないことですよね。私だって、そんな話しは今まで一度も聞いたことがありませんでした。でも、そんな体験をしたことのある人は、意外にも少なくはないようなんです。

 私がそれを知るきっかけとなったのは、二十年来の友人であるAと久しぶりに会った時のことでした。お互いに仕事で忙しかったこともあって、Aと顔を合わせるのはこの日が2カ月ぶりのことでした。
 久しぶりに見たAの姿は随分と痩せこけ、それほど仕事が忙しいのかと心配になってしまう程でした。
 

「ねぇ、なんか凄く痩せたみたいだけど。ちゃんと食べてる?」

「あー……、やっぱ分かる? 実は最近、食欲がなくってさぁ」

「そんなに忙しいの?」

「まぁ、忙しいっちゃ忙しいけど、そこじゃないっていうか……」


 続く言葉を濁すようにして苦笑してみせたAは、ストロー片手にくるくると円を描くと、グラスに入った氷をカラカラと響かせた。そんなAの姿を見て、きっと何か悩みごとでもあるのだろうと、私は瞬時にそう理解しました。
 長年の付き合いがあるからこそ、普通なら見落としてしまいそうなその小さな仕草も、Aのことならなんとなく私には分かってしまうんです。人に頼ることが苦手なAは、なんてことない素振りを見せながらも、それに反してどこか手元の動きが活発になるところがあって、それはきっと、A自身も気付いていない癖なんだと思います。


「ねぇ、何か悩みがあるんでしょ? 私で良かったら聞くよ」
 

 そう告げると、回していたストローをピタリと止めたAは、観念したかのように大きな溜め息を吐きました。


「やっぱり、Mには隠し事はできないなぁ。……笑わないって約束してよ?」

「うん、約束する」

「私ね、影に付き(まと)われてるの」

「…………え? 影?」


 予想外の言葉に口をポカンと開いたまま固まってしまった私は、さぞや間抜けな顔をしていたことでしょう。それほどに、Aから告げたれた言葉の意味が理解できなかったのです。


「え、ちょっと待って。影って、あの影のことだよね?」

「……もう、笑わないって約束したのに」

「いや、笑ってはないから。でも意味が分からなくて……。影に付き纏われてるって、どうゆうこと?」


 いじけ始めたAに向けてそう答えると、それに促されるようにして、ポツリポツリと、Aは“影”についての詳細を語り始めました。

 その話しによれば、最初に違和感を感じ始めたのは二週間程前のことだったそうです。
 誰かにつけられているような気がする。そうは感じたものの、それらしき人物の姿も見当たらなかったので、最初はAもただの勘違いかと思っていたそうです。でも、それから暫くしても妙な気配が消えることはなく、ずっと誰かに後をつけられているような感覚が続いていたある日。妙な気配を感じて後ろを振り返ったAは、そこで初めて足元にある影に気付いたんだそうです。


「そりゃ気付かないよね。だって、まさか影に追われてるなんて思いもしなかったし、いちいち足元の影を気にしながら生活してる人もいないでしょ? でもね、間違いなくその“影”は意志を持って私を追いかけてくるの」


 真剣な眼差しでそう語ったAからは、決して面白半分の作り話を語っているとは思えませんでした。とはいえ、きっと疲れからくる見間違いなのだろうと、その時の私は話半分で聞いていたのです。
 だって、そんな話し信じられないじゃないですか。物体もなく、影だけがそこに存在しているだなんて。少なくとも私は、今までにそんなものを見たこともなければ、聞いたこともありませんでしたから。

 それから一週間程が経った頃だったと思います。真夜中に突然、AからSOSの電話が掛かってきたのは。
 電話口から聞こえてきたその異常な程の怯えぶりに、心配になった私はすぐさまタクシーでAの自宅へと向かいました。チャイムを鳴らしても扉が開く気配はなく、勝手知ったるAの家ということもあって、私は鍵の掛かっていなかった玄関扉を開くと、Aの名を呼びながら室内へと入ったのです。


「……っ、どうしよう……どうしよう……っ」


 暗い室内から聞こえてきたのは、啜り泣く音と共に小さく響いた、か細く震えるAの声でした。
 いつも気丈なAがこんなにも弱っているだなんて、それだけで只事ではないことが起こっているのだと分かり、その瞬間、私の身体に緊張が走ったのは言うまでもありません。


「……ねぇ、どうしたの? 電気も点けないで。とりあえず、電気点けるよ」


 言いながらスイッチに手を触れようとした瞬間。突然立ち上がったAによって阻まれた私は、その目的を果たすことなくその手を宙に彷徨わせました。


「ダメ!!! 点けないでっ!!!」

「ちょ……っ、どうしたの!?」

「お願いだから電気は点けないで!! 影が……っ、影が来ちゃうから!!!」


 あまりの迫力に気圧されつつも、私はAに言われるがままに暗い室内に腰を下ろすと、一体今Aの身に何が起きているのか、その現状を確かめるべくAから話しを聞かせてもらうことにしました。

 Aが言うには、それまで外でしか見かけることのなかった“影”が、三日前についに自宅にまで現れるようになったのだそうです。そして、今までただそこに存在しているだけだった“ソレ”は、まるでAの影に触れようとしているかのように、ゆっくりと動き始めたらしいのです。
 その話に半信半疑ながらも、怯えるAを一人にしておけるわけもなく、私はその日は朝までAの傍に寄り添うことにしました。


 ──翌日。私はその“影”についての情報を調べる為に、あらゆるキーワードを用いて、ネット上で検索をかけてみることにしました。
 というのも、Aはどうやらここ三日程外出することもできずに、ただジッと光の届かない部屋に閉じこもっているだけの生活を送っているらしく、そんな異常な暮らしぶりを聞いてしまっては、このまま放置しておくわけにはいけないと思ったのです。

 けれど、そう簡単に“影”についての情報が集まるわけもなく、半ば諦めかけていたその時。偶然にも私の目に留まったのは、あるオカルト掲示板だったのです。もしかしたら、ここでなら何か“影”についての情報が得られるのでは──。
 そんな淡い期待を胸に、私はオカルト掲示板に書き込みをしてみたのです。


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