山姥①

文字数 2,527文字


 俺の住む村には、山姥(やまんば)がいる。

 とはいえ、実際に目にしたことがあるわけではないので、“いるらしい”と言った方が正しいのかもしれない。“それ”がいつからこの村に棲み着いているのか、それを知る者は誰一人として存在しない。
 けれど、遥か昔から間違いなくこの村には山姥がいるのだそうだ──。


 それまで俺はただ漠然と、立ち入りが禁止されている場所があることだけは知っていた。幼い頃から、決して入ってはならないと聞かされていたその山。俺はそんな山にさほど興味なんてものはなかったし、その理由に関しても全く興味がなかった。
 周りの子供達が元気に走り回って遊んでいる中、本の虫だった俺は、家の中で一人でいることの方が多かったせいもあるのかもしれない。

  そんな俺が初めてその山に興味を持ったのは、まだ小学五年生の頃だった。
 趣味も性格もてんでバラバラだというのに、いつも気付けば自然と一緒にいることの多かった四人組。そんないつもと変わらない顔ぶれとの下校中、ピタリと足を止めたK君は前方に見える山を指差した。


「なぁなぁ、あの山に山姥がおるってじいちゃんから聞いたんだけど。知っとった?」


 唐突にK君がそう切り出したのは、通い慣れた畦道(あぜみち)を半分程進んだ時だった。


「ヤマンバって、何?」

「よう知らんけど……たぶん、鬼みたいなやつ。山に迷い込んだ人間を食べてまうんだって」

「えっ……。あの山に、鬼がおるが?」

「うん」

「そんなの嘘やちゃ。鬼なんて実在せんし」

「けど、じいちゃんがおるって言うとったし」

「じゃあ、今から見に行ってみんまいけ」


 そう皆が口々に盛り上がっている横で、俺は前方に見える山を静かに見つめていた。
 幼い頃から、決して入ってはならないと大人達に言われているあの山。“何か恐ろしいことが起こる”とだけ聞かされていたその理由は、どうやらその山姥が関係しているらしい。そう考えると、これまで一切関心のなかったあの山にも、少しだけ興味が湧いてくる。
 

「たけちゃんも、一緒に行くやろ?」


 そんな俺の様子に気付いたのか、K君はそう告げるとニッコリと微笑んだ。


「行きたいけど、留守番せんにゃいけんがや。今日ちゃ親がおらんさかい、妹の面倒見んにゃいけんで」

「じゃあさ、妹も連れて来りゃいいんでない?」

「まだ五歳やさかい、山登りはできんやろうし無理やわ」

「そっか……一緒に行けんの残念やわ。じゃあ、また今度一緒に行かんまいけ。今日は三人で行ってくるさかい」


 一緒に行けないことを心底残念に思いながらも、俺はK君達を見送ると一人自宅へと帰ることとなった。
 山姥なんて“鬼”が本当に実在するのかは定かではないものの、昔から忽然と消息を断ってしまう人間というのは存在するらしい。獣にでも襲われたのか、あるいは事故なのか。それは時に、神隠しとも言われたそうだ。
 山姥という“鬼”の存在も、実際には間引きによる姥捨(うばすて)の生き残りなのではないかという説もある。


(山姥なんて、本当に存在するがやろうか……)


 そんな事を思いながらも、俺は自宅の窓から見える山を眺めて小さく息を吐いた。



◆◆◆



 ──翌日。いつものように学校へとやって来た俺は、K君の姿を見つけるとその背中越しに声を掛けた。


「K君、おはよう。今日“ムツミ屋”におらなんだけど、どうしたが?」


 いつも待ち合わせている駄菓子屋の前に姿を現さなかった理由を問うと、ゆっくりと振り返ったK君は気不味そうな顔を見せた。


「かんに。忘れとった」


 そう言って小さく微笑んだK君は、なんだかいつもより元気がない様子だった。


「具合でも悪いが?」

「いや、ちょっこし疲れとるだけ」

「そっか、昨日ちゃ山に入ったさかいね。……で、山姥には会えたが?」


 昨日から気になっていた事を口にすると、途端に顔色を悪くしたK君は小さく声を震わせた。


「会うたよ。じいちゃんの言う通り、本当に山姥がおった。けど……何も覚えとらんがや」

「え? 何も覚えとらんって、山姥には会うたんやろ?」

「うん、会うたのは覚えとる。えらい恐ろしゅうて……山に入ったのを後悔した。もう死ぬんだって、覚悟もした。……けど、気付いたら家におった。山を降りた記憶ものうて、どうやって帰ったのかも全く覚えとらんがや」


 山姥に遭遇してからの記憶が一切ないと言ったK君は、酷く怯えた様子で目の前の俺を見つめた。


「ただ、えらい恐ろしいことが起きたのは間違いないんや。けど、それが何やったのかはよう覚えとらん」

「そんな奇妙なことがあるもんなんや。それにしても、本当に山姥がおるなんて凄いなぁ。俺も一回見てみたいわ」
 
「見ん方がいい。あの山に入ったら、恐ろしい事が起きるさかい」


 まるで大人達と同じ様な台詞を口にしたK君は、先生が来たことに気付くと静かに自分の席へと着いた。それに(なら)うようにして自分の席へと着いた俺は、少しばかり晴れない気持ちのまま先生が話している姿をぼんやりと見つめた。
 確かに山姥は存在すると口にしながらも、その記憶があまり鮮明ではない様子のK君。そのあまりの不透明さに、俺はどうにも納得がしきれなかった。


(K君が見たのは、本当に山姥やったがけ……?)
 

 そんな疑問を抱きながら配られたプリントを受け取ると、俺は残りの一枚を手に持って後ろを振り返った。


「……あれ?」


 誰も居ない空席を見つめながらポツリと小さな声を溢した俺は、プリント片手に目的を失った右手を宙に彷徨わせた。
 

(……これ、誰の席やったっけ?)


 一瞬、昨日まで誰かがこの席を使っていたような気もしたけれど、よくよく考えてみれば列の最後尾は自分だった。そう思い直した俺は、余ったプリントを片手に声を上げた。


「先生、一枚多いちゃ」

「あれ? 五人やった気がしたけど……四人やったか。かんにかんに、勘違いしとったわ」


 そう言って余ったプリントを受け取った先生は、俺のすぐ後ろに視線を移すとポツリと呟いた。


「何で席が余っとるんだ……?」


 暫しの間不思議そうな顔を浮かべた先生は、その後何事もなく授業を終えると、余った机を持って教室を出て行った。
 そんな光景を見て少しの違和感を感じながらも、けれど、俺を含めた誰もが大して気に留めることもなかった。

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