2、逃げる魔訶迦葉

文字数 7,445文字

逃げる摩訶迦葉

今日も杉ちゃんと蘭が、のんびりとショッピングモールを散歩していた。商品を買って、丁度レジで金を払いおわって、商品を袋に入れたりしている時、杉ちゃんが、蘭の着物の袖を軽く引っ張る。

「おい、あれ、摩訶迦葉じゃないか?」

杉ちゃんが、指さした先には一人の男性がいた。丁度喫茶コーナーで、お茶を飲んでいたが、何だかその人は頭を下げて、辛そうな顔をしているのである。

「おーい摩訶迦葉。そんな所で頭下げて何やっているんだ!」

杉三がそうからかうと、摩訶迦葉こと植松直紀は、杉ちゃんの方を見て、軽く頭を下げた。

「また何か不運なことがあったのかい?」

杉ちゃんが、植松の元へ近づいてきた。そういうと植松は、

「なんでも分かっちゃうんですね。杉ちゃんは。」

と、一つため息をついた。二人は、植松のを真ん中に挟むような格好で、席についた。ウエイトレスにはコーヒーを注文する。

「というと、あんまり嬉しそうじゃないな。また何かあったか?」

杉ちゃんがからかうと、

「はい、嬉しくなんかありません。俺はやっぱりダメな教師です。本当に困ったことがありましたが、いつまでたっても、解決方法が見つからないんですよ。」

と、植松はいうのだった。

「おい、杉ちゃん、一体この人とどういう関係なのさ。どこかで知り合いにでもなったの?」

と、蘭が杉三に聞くと、

「あ、はい、以前、杉三さんと知り合いになった、植松直紀といいます。」

学校の先生らしく植松はあいさつした。

「杉三さんなんて言わなくていい。杉ちゃんでいいんだよ。杉ちゃんで。」

いつものお決まりのご挨拶を、杉ちゃんがいったので、三人とも吹き出してしまう。

「そうですか。先ほど、教師と仰ってましたけど、どちらの学校なんですか?中学ですか?其れとも高校?」

蘭に聞かれて、

「はい、吉永高校です。」

正直に植松はこたえる。すると、蘭はとても心配そうな顔をして、

「ああ、あれですか。あそこはとても困った学校として有名ですよね。僕のお客さんにもあの学校の卒業生が来るんですよ。みんな、口をそろえて言います。あの学校は、古臭い教育方法のせいで、真面目にやればやるほど、むなしくなるって。」

「そ、そうなんですか!」

蘭の反応に、植松はおどろいた。同時にやっと自分の悩みをわかってくれる人物が現れたと思った。

「ありがとうございます。」

おもわずそういうと、杉三がいいってことよ、と植松の肩をたたいた。

「良かった。困った学校とわかってくださる方がいて。誰に話しても、吉永は良い学校だと言って、わかってくれないんですよ。僕の家族もね、あんな良いところに赴任できたんだから、良かったじゃないのと言って、誰も信じてはくれないのですよ。」

植松はやっと抱えている自分の問題を話すことができた。

「まあ、それは、僕のお客さんが口をそろえて言いますので、吉永高校という所は、良くない所だということを、誰もわかってくれないというより、分かろうとしないんでしょうね。大体僕の所に来る客は、もう退学になっていて、社会にも居場所がなくて、どうしようもない子たちです。だから僕が、何とかしなくちゃなって思うんです。」

蘭が笑ってそういうと、植松は本当にがっかりした顔でため息をついた。

「でも良かったです。わかってくれる人が居て。そういうことを知っていらっしゃるということは、カウンセリングの仕事でもされているのでしょうか?」

植松が聞くと蘭は笑って、

「いえいえ違います。刺青師です。本当に学校の先生が嫌う職業だと思いますけど、申し訳ありません。」

とこたえるのだった。

「でも蘭の客を作っているのはおまえさんたちだぜ。お前さんたちのせいで、蘭のような人に頼るしか、方法がなくなっちゃう訳だからな。」

蘭の話に杉三が口を挟んだ。その言葉に植松はドキッとする。

「ま、おまえさんたちが、順位と国公立がどうので騒ぎすぎているせいで、蘭のような人に頼るしかないわけ。誰も守ってくれる奴が居なくなっちゃうわけだからな。そういう訳なんよ。」

「す、すみません。俺、何だか悪いことをしてしまいましたね。」

植松は二人に何だか自分のことを見透かされているような気がして、おもわずそういってしまった。

「やっぱり、僕は教師として能がないですよね。」

「能があるかないか、は、これから決めることさ。いつも通りしょぼくれた顔してるけどよ。一体何があったの?」

杉三が、また植松にそう聞いた。

「はい。また問題を起こした生徒が一人いましてね。その子に、がんばってといっても、何も通じない。」

「どんな生徒なんですか?」

植松の話に蘭が聞く。

「ええ、とても良い子だったのですが、ある日突然学校へ来なくなってしまったんです。」

となると、やっぱり不登校か。

「まあ、クラスに二人か一人はいるんですけどね。うちの学校ではそういう子が出ると、どんどん退学させてしまうんですよね。それはいけないと俺は思いますけど。でも、うちの学校では切り捨ててしまう。」

「まあねえ、摩訶迦葉くん。少なくともおまえさんは、生徒思いでいい先生なのかもしれないが、吉永高校ではそれが悪事とされちまうようだな。」

と、杉ちゃんがいった。

「素直にほかのひとの所へ引き渡すのが、本人もおまえさんにも良いんじゃないのかなあ。」

「それをいっちゃだめだろう杉ちゃん。それじゃあダメじゃないか。諦めたらそこで試合終了という、偉い人の言葉もあったじゃない。」

蘭が杉ちゃんに言うと、

「それは、単にバスケットボールで、勝利するためだけのもんさね。諦めることも大事だよ。」

口笛を拭きながらそういう杉ちゃんに、蘭は本当に呆れてしまうのであった。

「で、その子の名前は何て言うんですか?その不登校生の名前は。」

蘭にきかれて植松はこたえた。

「はい、中村弥生という女子生徒です。それが彼女の名前です。」

まあ、ありふれた名前であるが、不登校生というのも、ありふれた存在になっている。

「じゃあさ、その中村弥生という子にさ、こういってやりな。おまえさんは、学校教育を受ける権利がある。その教育を受ける場所は、この学校ではない。どうしても苦しかったら、この学校から逃げて、新しい人生を掴みなさい。と。」

杉ちゃんはにこやかにいうが、それはちょっと難しい注文であった。生徒を逃がしてしまうということは、学校の収入源も一人失うということになるからである。

「それなら、こうしてやるんだな。おまえさんがやめちまうのは、簡単だが、そいつが逃げるのは至難の業だろう。だから、それを手伝ってやろうとおまえさんが持ちかけるんだ。」

「杉ちゃん、あんまりそういうことは、口に出していわないほうが良いのではありませんか?」

植松はそんなことをいうが、杉ちゃんはからからと笑うだけであった。

「いいや、蘭の忙しさから解放させてやるためにも、その中村弥生という生徒さんを逃がしてやることが、一番なんですよね。」

「まあ確かに、平日は刺青の施術で、毎日毎日いろんな人を相手にしていますからね。その中には確かに、学校側も、もうちょっと、その人をサポートしてやれば、いいのになっていう子も少なからずおります。」

蘭がそういうと、植松は少し考えて、

「そ、そうですか、、、。俺も気を付けなければなりませんね。何だか俺がしなければならないことがみえてきました。」

といった。

「そうそう。おまえさんはまず、もっと強くなることが必要だよね。」

杉三が、植松の肩をポーンとたたいた。

そのまま三人でコーヒーを飲んで、会はお開きになった。



翌日。植松は吉永高校へ出勤した。昨日の杉ちゃんの話が、頭に残っていて、何だか気が重かった。

このクラスの担任ではないけれど、このクラスは問題の多い子がいるということは、植松も知っていた。

教室の戸をガラッと開けるが、生徒たちは自分の方など見向きもしないで、べちゃべちゃと何かしゃべっている。授業を始めると言っても、振り向かない。振り向かせようとして大声を立てるのは

、学年主任ならするかもしれないが、自分にはそんなことはできる気力はまるでないので、とっとと教科書を開いて、まるで売れない落語家みたいに、独演会を始めるのであった。その間にも生徒たちは話したりスマートフォンでメールを打ったり、もう好き勝手なことをやっている。なんでこんな時にこういうことをするのか理由がわからない。一生懸命勉強を教えていきたいが、もうそんなモノは必要ないかのように、生徒たちは無視をし続ける。何だかテストで良い点を取るだけのツールではなく、それ以外のことも覚えて、これから生きていくためのヒントにしてほしいと思うんだけど、悲しいかな、そんな生徒は一人も居なかった。

彼女の席はもう撤去されてしまったけれど、少なくとも中村弥生は、僕の授業を聞いてくれた。誰も授業を聞いてくれない中、あの子だけはたった一人の天使と言っても過言ではなかった。其れなのになんで彼女は学校に来なくなってしまったのだろうか。理由はわからない。もう、担任教師たちは。、彼女はやる気を失って、もう退学の処分にしたと話している。そうなったらどうなるだろう。彼女も蘭さんの客の一人になってしまうのだろうか?

そういいながら、植松は独演会を続けた。チャイムがなるまでたったの50分しかないのに、授業がとても長く感じられるのはなぜだろう。

其ればかり考えながら、独演会はチャイムと同時に終了した。今日もなんで俺はこんなにうまく出来ないんだと思いながら、植松は職員室にもどっていった。

すると、職員室はただならぬ雰囲気になっている。女の先生たちが、ひそひそと何か話していて、校長が、誰かと電話をしているのだった。

「はい、わかりました。でも中村弥生は、もう退学処分にしていますから、うちの学校とは関係ありません。なのでわざわざ学校へかけて来なくても結構です。」

校長は、そういって、電話を切った。

「校長先生。どうされたんですか?」

植松は、校長に聞いてみた。

「はい、中村が、違法な薬物に手を出して、逮捕されたそうなんですよ。」

植松は、全身の力が抜けてしまったような気がした。

「中村、中村弥生ですか?」

「ええ。」

校長先生が、そう力なくいう所から判断すると、嘘ではないと思う。

あんなに真面目な生徒が、なぜ薬物を使用したのか。なぜ学校を裏切るような真似をしたのか。植松は中村に対する失望だけでなく、この学校にも失望したような気がした。

「植松先生、悪いのは中村です。こういう子は、甘えをコントロールできなくて、其れでやるんですから、もう毅然とした態度を取って、やった事の重大さとか、いけないことであるとわからせればいいと思います。」

植松の隣の席に座っていた、体育教師がそういうことをいう。

「もともとこの学校は、甘えたくてどうしようもなくて、其ればかり考えている生徒しかおりません。中村をかばうような真似をしたら、余計に生徒はやる気をなくしますよ。そうならないためにも、中村を突き放すべきなのではないでしょうか。世間では毒親とか、機能不全家族とか言って、子供より大人の方が悪いという風潮はありますが、それはかえって子どもを甘やかして、親の苦労を増やしているだけなんですよ。だから、私たちは厳しい姿勢のままで行きましょう。」

「そうでしょうか。」

植松は体育教師に言った。

「それは本当に生徒が悪いのでしょうか?」

「ええ、当たり前ですよ。そういう生徒ばかりかばっていたら、私たちの体力も持たなくなりますよ。そうじゃなくて、私たちは自らの力で考える生徒を育てなきゃ。」

体育教師はそういうが、植松はその言葉に従えなかった。

「そんな顔して何をしているんです。甘えの集大成が犯罪でしょう。それはいけないと教えるために厳しく接する。その何処が悪いというのですか。植松先生。」

「そうですけど。俺は、生徒が安心して通える学校ではなかったから、こういうことがおきたのではないかと思います。」

「其れこそ一番の甘やかしですよ。一番若い人に足りてないのは、力でしょ!順応する力ですよ。それをわざわざもぎ取るような教育をして、何がおもしろいんですか。もういい加減にしてもらいたいな。悪いことは大人として、はっきりしかる!現在はそれを重視していかないと。だから、相模原の事件みたいなのがおきるんでしょうに!」

「そうかな、、、。」

植松はどうしてもそこが納得できないのだった。

「なんでも違反した人は、すぐに切り捨てて、もううちには来るなと言ったら、彼女、本当に居場所を失くして、何処へ行ったらいいのでしょうか。」

「居場所何て、ないのが当たり前じゃありませんか。植松先生、ちょっと、生徒に対して甘すぎますよ。」

隣の席の体育教師は、そういうことを言った。

すると、どこからか、パトカーの走ってくる音がして、学校の前で止まった。校長が、中村の担任教師と一緒に、職員室の外へ出る。警察が、学校について調べに来たのだ。隣の校長室では、警察と、校長が、申し訳ありませんと謝罪をする声が交わされて、そのあと、中村弥生について、機械的に質問を交わしあう声が聞こえてきた。

「すみません、富士警察ですが、中村弥生について聞きたいことがありまして。」

職員室に、聞きなれない声が聞こえてきたので、教師たちは変な顔をする。一人の男性刑事が警察手帳をもって、職員室に入ってきた。

「校長先生と、担任の先生にはお話を伺ったのですが、裏付けとして、教えていただきたいことがあるんです。なので、ほかの先生にも協力を頂きたい。お願いできますでしょうか?」

刑事は教師たちの顔を見渡した。教師たちは、自分は関係ないという顔をして、通常通りに作業を続けている。

「はい。どんな事でしょうか。」

先ほどの体育教師が尋ねる。

「中村が、クラスで孤立していたとは、本当でしょうか?」

「孤立というか、同級生たちと馬が合わず、いつも一人でいたというのは本当です。でも、まさかと思いますが、孤立していたという事はないんじゃないでしょうか。」

「ええ、確かに真面目な生徒でしたので、いつも不真面目で勉強も碌にしない生徒とは、友好関係はなかったようです。」

刑事が質問すると、二人の教師が相次いで発言した。彼女を何とかしようという雰囲気ではなかった。ほかの教師たちも、俺や私は、まるで関係ないという顔をしたまま、ただ採点を続けたり、授業の準備をしているだけである。

植松は、蘭の言葉を思い出した。真面目にやればやるほど、むなしくなっていく。それは、若しかしたら、こういう事ではないか。自分ばかりではない。生徒もそうだろう。先生は、生徒を悪い人だと決めつけるし、真面目にやろうとしても、周りには、なかまが居ない。そういう孤独に陥って、結局こういう薬物とか犯罪集団に入ってしまう。

「では、聞きますが、中村弥生の供述に寄りますと、薬物でつながった仲間だけが、本当に自分を受け入れてくれたと言っております、薬物のなかまだけが、自分のことを馬鹿にすることはなく、受け入れてくれた。認めてくれたそうです。それで、中村は薬物をやめることなく、続けていたそうです。更生するとなると、また、冷たい世界にもどっていってしまう。だから、薬物でつながったなかまと一緒に居たかった。そう供述しております。」

ああ、そういう事だったか。予測していた事と同じだ。植松は、さらにがっくりと肩を落とした。せめてほかの先生は、そういう生徒に手を出してくれればいいのに。みんな悪い人と決めつけて、自分たちに力で無理やり従わせようというだけである。それだけの事である。

「知りません。そんなの中村が勝手に思っている事であって、私たちが、そうするように、したわけではありません。中村は、私たちの指導に何か不満があったのでしょうか。まあでも、退学したから、もう私たちとは関係ありませんよね。」

教師たちは、もう中村が、退学になったことに、喜びを持っているようだった。確かに学校の先生というのは、非常に苦労する仕事だが、其れをすべて悪い生徒のせいにしているのは、どういう事だろうか。せめて、学校に来てくれていて、真面目に授業を受けてくれる生徒を、もうちょっと目をかけてくれればこんな事にはならないのに。

でも、今の様子を見て、そうなることは無理そうだった。どの先生も、こんな荒れ放題の学校に居て、何もいいことがない、早くよその学校に行きたい。そういう思いがにじみ出ていることを、生徒たちは、すべてちゃんと知っている。

もう、こういうことは、もう無理な環境になってしまったんだな。と、植松は一つため息をついた。

どこかの学園ドラマの主人公が、今の教師たちの言葉をきいたら、確かに怒るだろう。でも、学校というのは、確かにそうなっている。そうならない高校もあるかもしれないが、そういうところは先生の態度がいいとか、生徒がやる気があって、勉強しようという姿勢があるという何か条件がある。

「ここに居ても、腐った海にいるようなものだな。」

植松はぽつんと呟いた。

「素直にほかの所に引き渡すのが、本人にもおまえさんにも良いんじゃないかな。」

杉ちゃんの言葉が思い浮かぶ。そういうことなのだ。今の時代は、真剣に生きていこうと思わなくても生きていける。だから真剣に生きようとすれば笑われる。だけど、真剣に生きたいと思っている人は、真剣に生きたくない人に、押しつぶされてしまう。そうなったら、折角の良いところまで捻じ曲げられて、先ほどの中村弥生見たいな、反社会的な所しか居場所がなくなってしまうのだ。

「そうだ。そうだ。そうしよう!」

植松はそう決断した。つまり、逃げるのだ。

「杉ちゃん、僕はやっぱり、摩訶迦葉と呼ばれた方がいいのかな。」
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