かっこ悪いことを堂々と

文字数 968文字

 私はかなりの「ええかっこしい」だ。「人に一目置かれたい」という欲求が心の奥底にあるのかもしれない。
 私が小学生のとき、一番嫌いだったのが勉強だ。嫌いというより、勉強をする意味がわからなかった。宿題のプリントやドリルをやったことがなかったし、国語の本読みカードは自分でハンコを押して提出していた。毎日のように「宿題を忘れました」と担任に伝えていたが、今思うと、毎日忘れるということは、うっかり忘れるレベルではない。単にやる気がないだけだ。勉強をするより、外でドッジボールをしたり、鬼ごっこをしたり、秘密基地で遊んだりすることに没頭していたので、テストの点数はいつも一桁だった。あまりにも酷かったからか、母親が泣きながら算数のドリルを持ってきて、勉強させようとしたけれど、私はやる気がないのでうまくいかなかった。
 中学生になり、最初の定期テストで一桁の点数の解答用紙を受け取ったとき、自分はものすごく「かっこ悪い」ことに気づいた。思春期の芽生えだろうか、女子にモテたい気持ちがあったのだ。
 それから私は猛勉強をした。まず分数の割り算など小学校で習う算数がわからないので、そこからやり直す必要があった。そこで公文式に入り、中学生なのに足し算のプリントから始めた。周りの小学生に自分がやっているプリントを見られたくなくて、いつも教室にいくのが苦痛だった。大変苦労したが、中学二年生のころには、定期テストで100点を取ることができるようになり、トップクラスの成績になれた。
 私にとって「ええかっこしい」は動機になりやすい。親の涙よりええかっこしいが勝ってしまうようだ。やる気になれば、何時間でも没頭できるので、それなりにできるようになれる。しかし、良い成績を取ったり、社会人になって評価されたりしだすと、達成感や優越感は得られるが、それを継続しなくてはいけない気がして、いつの間にかがんばることが目的になってしまう。それにええかっこしたいからがんばるということは、自分が本当にやりたいことではないことが多い。ええかっこしいをやめて、かっこ悪いことを堂々と言おうと、この記事を書いて妻に感想を聞いてみたら、「『かっこ悪いことを堂々と言う』っていうのも、ある意味、ええかっこしいだよね」と言われた。「ええかっこしい」は、まだまだやめられそうにない。
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