「何系」のダンス?

文字数 1,052文字

 ダンスを始めた。というと、「何系のダンス?」と訊かれる。話を聞いてくれることは有難いがつまらない質問だなと思ってしまう。ヒップホップとか、ラテンとか、そういったジャンルを答えて欲しそうだ。人はわからないものがあると、すぐに整理して枠にはめたがる。それは脳が理解する仕組みがそうだから仕方がない。脳が理解する仕組みは、口が狭くて底が広いワインボトルをイメージするとわかりやすい。理解するということは、ワインボトルの中にものを入れることだ。それはボトルの口より大きいものは入らないことを意味する。ボトルに入れるためには、大きいものを切り分けて、一つずつ入れるしか方法はない。だから、ダンスというものを何系?と切り分けて理解しようとする。音楽も「何系が好き?」と訊かれるのはそのためだ。
 先日、海外から先生を招いたダンスのワークショップに参加した。人の身体の60%は水でできているので、例えるなら身体は水風船のようなもの。水風船を手に持ち傾けると、水風船の中にある水の動きを感じる。そのように身体の中にある水を感じて動いていくとダンスになっていくというものだ。身体を傾けると重力を受けて身体の中の臓器や脳、筋肉までもが、まるで水風船のように動くのを感じる。振り付けを理解し真似て動くのではなく、感覚を優位にして自分の内側から起こってくる動きを表現するのは、本当に気持ちがいい。私はこういうダンスが好きだと改めて感じていた。しかし、同じ話を聞き、同じ場を共有していても、まったく違う人がいることに驚いた。ワークショップの終わりに感想を伝える時間があったのだが、そこで「水を感じて動けているかどうか解らない」、「正解の動きが解らない」という意見が数人から出たのだ。
感覚を脳で理解して、その動きをしようとしているのだ。感じたことは感じたままで置いておけないのか。理解しようと切り分けてしまったら、そこに心地良さはなくなってしまい、窮屈さだけが残る。
 私が始めたダンスは、何系でもない。ヒップホップでも、ラテンでも、どんな音楽を流してもいい。振り付けも型もない。身体を感じ踊りたいように踊る。自分との対話であり、瞑想に近い。感じたまま動くとダンスになる。感じることは理解しようとしないことだ。理解しようとした瞬間、そこにある自由でキラキラしたものが切り分けられ輝きを失う。そういう私も、ついつい考えすぎてつまらない質問をしてしまう。たまには感じたまま、素直に表現してみようとこの記事を書いているのだが、どうだろうか。
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