第一故事~味覚のホームシック
文字数 1,996文字
暑かった。体が乾く、というのはこういうことか、と初めて感じた夏だった。
北京に来て二週間が過ぎた。最初の週は全てが珍しく、面白かった。そこら辺の食堂や屋台の料理も、本場の中華料理だ。日本では慣れないはずの味付けも、これが本物だと思い納得していた、はずだった。
季節は夏。ホテルの部屋にはエアコンが備わっていたが、効きが悪い。大学の教室は窓全開で扇風機。五階にあったので風の通りはよかったが、エレベーターは蒸し風呂だった。階段の方が良いと思ったが、階段には更に熱が籠っていた。とにかく、暑いのだ。
大学の食堂では温かいお茶なら飲み放題だった。むしろその方が体に良い。母親がよくそう言っていたし、女子学生などはそれを飲んでいるようだった。が、二十歳そこそこの男子学生がこの暑い中お湯をすするなんて、想像すらできない。大学の売店で売られている飲料水は総じて温 い。温くて甘ったるい飲み物、ありえない。氷を入れてコップで飲む? 氷はほぼ間違いなく、北京の水道水を煮沸せずに凍らせたものだ。この二週間、それを避けてきたからこそ、下痢をすることなく過ごせているのだ。
ホテルの売店には冷たい缶ジュースも売られていた。しかし、そう、それは高価なのだ。日本語が印字された三百五十ミリのスプライトを思いっきり飲みたい。でも、散財はしたくないし、できれば中国っぽい飲み物が欲しい。二百五十ミリ缶で売られるている安価なジュースだけが、その思いを叶えてくれた。黒い背景に白い飲み物が印刷された「天然椰子汁 」。今でも中国物産展などで見つけると買ってしまう、思い出の一品だ。
しかしそれだけではこの乾きは癒されない。保身のため、生ものを避けていることもあり、食べる料理ほぼすべてが脂っこいのである。それで更に喉も渇く。食欲が落ちてくる。朝は油条 (揚げパン)にはまっていたが、饅頭 (肉まん)の方がまだ胃に優しい。昼の分も多めに買っておくこととし、大学の食堂には近寄らなくなった。
同じ想いを抱く数人と、授業後に街へ出た。僕たちが参加していた語学研修プログラムは、ほとんどの場合、授業は午前のみ。市内のバスに乗り放題の月票 (顔写真付きの定期券のようなもの)を配布されていたので、実地研修が容易だった。
この暑い夏に食欲をそそるものを求めたい。皆の想いは一致していた。バスの中でも繁華街の王府井 を歩きながらも、同じ話題が続く。何を探すのか? 冷やし中華がこの地に存在しないことは知っていたが、それに類するものはあるだろう。しかし、この二週間訓練した中国語では、それを探し出せない。結局、値は張るが当時まだ北京に一店舗しかなかった吉野家に入る。牛肉飯 は日本の牛丼よりまずかったが、食が進む。そうだ、これは夏バテ、脂負けだけではない。味覚のホームシックなのだ。
慣れた味に刺激され。若者の胃袋は活性化した。今僕たちが求めているもの。王府井で日本語を交わす。街では中国語を使おう。と決意していた学生の姿はもうなかった。
そして分かった。欲しいのは、冷たい素麺! そう、素麺だ! 全員一致。素麺が食べられるところを求め、徘徊した。
日本人ビジネスマンが酒を飲むエリアになら、食べさせてくれる店があるかもしれない。そう思い立ったのは、あれから一時間以上経ち、夕日が眩しい時間だった。それまで歩き回りながらも、牛肉飯の威力が僕たちを支えていた。そして、日本でもまだ行きなれない通りに入る。日本語の看板がいくつかあった。ここなら表に菜単(メニュー)が出ていなくても、お店の人に日本語で尋ねることができるだろう。中国語で質問するなどという目標はすっかり消え去っていた。
三軒目だったろうか。入口の扉が開け放たれ、その中に日本人らしい中年女性が二人。こちらと目が合った。好机会 !
「僕たち短期留学生ですが、素麺を食べさせていただけますか?」
どこの貧乏学生かと見まごう台詞を述べる。素麺はないとのことだったが、中国語で冷たく「没有 」と言い放たれることに慣れていた僕たちには、天女の声に聞こえた。
そして天女が続ける。
「ごめんね、でも日本の料理なら、カレーライスできるよ。
あと少しでごはんも炊けるから、どうぞ」
失礼ながら年が大きく離れており、そういう対象ではないはずだが、このお二人に恋してしまいそうだった。
店内はエアコンが効いていた。カレーライスは、日本製のルーで馴染みの甘口だった。そして定番の具とともにピーマンが煮込まれていた。もはやピーマンの味しかしない、初の味覚。期待は崩れた。僕たちの望みは、満たされなかったのだ。薄味の燕京啤酒 (ビール)に入れた氷がカラカラと、僕たちを嗤 っていた。
帰国後、東京で最初に食べたのは、ラーメンだった。もう秋の気配がしていたのだ。あれから三十年近くが経つ。以来、夏の北京を訪れたことは、ない。
[了]
北京に来て二週間が過ぎた。最初の週は全てが珍しく、面白かった。そこら辺の食堂や屋台の料理も、本場の中華料理だ。日本では慣れないはずの味付けも、これが本物だと思い納得していた、はずだった。
季節は夏。ホテルの部屋にはエアコンが備わっていたが、効きが悪い。大学の教室は窓全開で扇風機。五階にあったので風の通りはよかったが、エレベーターは蒸し風呂だった。階段の方が良いと思ったが、階段には更に熱が籠っていた。とにかく、暑いのだ。
大学の食堂では温かいお茶なら飲み放題だった。むしろその方が体に良い。母親がよくそう言っていたし、女子学生などはそれを飲んでいるようだった。が、二十歳そこそこの男子学生がこの暑い中お湯をすするなんて、想像すらできない。大学の売店で売られている飲料水は総じて
ホテルの売店には冷たい缶ジュースも売られていた。しかし、そう、それは高価なのだ。日本語が印字された三百五十ミリのスプライトを思いっきり飲みたい。でも、散財はしたくないし、できれば中国っぽい飲み物が欲しい。二百五十ミリ缶で売られるている安価なジュースだけが、その思いを叶えてくれた。黒い背景に白い飲み物が印刷された「
しかしそれだけではこの乾きは癒されない。保身のため、生ものを避けていることもあり、食べる料理ほぼすべてが脂っこいのである。それで更に喉も渇く。食欲が落ちてくる。朝は
同じ想いを抱く数人と、授業後に街へ出た。僕たちが参加していた語学研修プログラムは、ほとんどの場合、授業は午前のみ。市内のバスに乗り放題の
この暑い夏に食欲をそそるものを求めたい。皆の想いは一致していた。バスの中でも繁華街の
慣れた味に刺激され。若者の胃袋は活性化した。今僕たちが求めているもの。王府井で日本語を交わす。街では中国語を使おう。と決意していた学生の姿はもうなかった。
そして分かった。欲しいのは、冷たい素麺! そう、素麺だ! 全員一致。素麺が食べられるところを求め、徘徊した。
日本人ビジネスマンが酒を飲むエリアになら、食べさせてくれる店があるかもしれない。そう思い立ったのは、あれから一時間以上経ち、夕日が眩しい時間だった。それまで歩き回りながらも、牛肉飯の威力が僕たちを支えていた。そして、日本でもまだ行きなれない通りに入る。日本語の看板がいくつかあった。ここなら表に菜単(メニュー)が出ていなくても、お店の人に日本語で尋ねることができるだろう。中国語で質問するなどという目標はすっかり消え去っていた。
三軒目だったろうか。入口の扉が開け放たれ、その中に日本人らしい中年女性が二人。こちらと目が合った。
「僕たち短期留学生ですが、素麺を食べさせていただけますか?」
どこの貧乏学生かと見まごう台詞を述べる。素麺はないとのことだったが、中国語で冷たく「
そして天女が続ける。
「ごめんね、でも日本の料理なら、カレーライスできるよ。
あと少しでごはんも炊けるから、どうぞ」
失礼ながら年が大きく離れており、そういう対象ではないはずだが、このお二人に恋してしまいそうだった。
店内はエアコンが効いていた。カレーライスは、日本製のルーで馴染みの甘口だった。そして定番の具とともにピーマンが煮込まれていた。もはやピーマンの味しかしない、初の味覚。期待は崩れた。僕たちの望みは、満たされなかったのだ。薄味の
帰国後、東京で最初に食べたのは、ラーメンだった。もう秋の気配がしていたのだ。あれから三十年近くが経つ。以来、夏の北京を訪れたことは、ない。
[了]