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文字数 3,289文字

「いやあ、京さん、まったくもってご苦労様だったねえ」
 あれから二時間経った。

 あたし達は地下駐車場まで戻ってくると、新しく到着していたバンに乗り込み、グッタリとした感じで、またもコンビニの弁当をかき込んでいた。
 野町さんはさっきから車の外で電話をかけまくっており、声は聞こえないがペコペコ頭を下げている。対して香織さんも電話をかけているが、こっちは車内で、延々とあま~い会話が続いており、味付けの濃い焼肉以上に胸焼けしそうで堪らない。
「お互いにご苦労さんでございます」
 あたしはそう言うとお茶を掲げ、ぐびりと飲んだ。
「まったく、ひでぇ一日だった」
「ほう? その割には晴れやかな顔をしているじゃないか?」
 あたしはまあねえ、と言って笑った。


 御霊桃子の爆発から四十分後、あたしはひっくり返ったバンの横で親に電話をしていた。
 今日は遅くなるから。え? 男の家? なんで? 
 振り返ると真木が野町さんに声高に演説をしていた。
 ……いや、正直申せばお母様、大学の先輩と肝試しに行くって話になりまして、現在、野郎二人がオカルトネタで揉めておりまして――
「あの……」
 不意に声をかけられ、あたしだけでなく、野町さんや真木も演説をやめて振り返った。

 未海ちゃんが、避難所に割り当てられた家の門に寄り掛かるように立っていた。
 げっそりとしてはいるが、肌に異常はないように見える。さっき香織さんに教えてもらったが、他の発見された感染者数名もあっという間、というか目を離した一瞬に、皮膚に拡がっていた膿疱は消えていたということだ。
 この解釈について真木は演説をぶっていたのである。
「お母さんが、その――」
「お母さんがどうしたの!? また、その……病気に!?
 野町さんと真木があたしの後ろに来る。
 未海ちゃんは怯えたような表情で首を振った。
「違うんです。あの、その……変な事を言ってるんです」

 未海ちゃんの母親、琴音さんは廊下の奥に寝かされていた。行ってみると、すでに起き上がって近くの医療班の人に話しかけている。
「あ、未海。何処に行ってたの?」
 琴音さんはニコニコしながらそう言うと、立ち上がるが少し足がよろける。未海ちゃんが慌てて駆け寄った。
「ママ、まだ寝てたほうが――」
「うん、でもね、ほら今日はコモドの餌やりの日でしょ。だから早く帰らないと」
 未海ちゃんは不安そうな表情であたしに振り返る。あたしは顔が強張るの感じた。
 まさか……。
「京さん、ちょっといいかな?」
 真木がするりとあたしの前に割り込んできた。
「どうもこんにちは。どうやら熱は下がったようですねえ」
 琴音さんは微笑む。
「ええ、お陰様で……。ところで、一体これは何の騒ぎなんですか? そちらに寝ているお婆さんとか他の人にも聞いたんですが、皆さん熱を出して倒れて、後はわけが判らなくなったらしくて……」
「どうやら、集団食中毒のようですねえ。原因は水道水ではないかと僕は睨んでいるのですが、まあ、目下究明中です」
「食中毒、ですか?」
「ええ。高熱と吐き気。そうでしょう? ところで――」
 真木は手帳を取り出す。
「ご住所の方をお聞かせ願えますか? 
 高熱による記憶の混乱が皆さんに見られまして、現住所とお名前から身元の方を確定させなけりゃあいかんのですよ」
 琴音さんは、はあ、とぼんやりした声を出すとしばらく考え、住所を喋った。
「えっ!? ママそれ――」
 未海ちゃんは驚き、抗議の声を上げようとした。
 あたしは素早く彼女の口を指でそっと抑え、目で黙っているようにと促した。
「ほうほう……随分とここから離れていますねえ。今日は何故ここに?」
 琴音さんは瞬きすると、あら? と首を傾げた。
「……ええっと――」
 真木はにっこりと笑った。
「ほら、記憶が混乱しているでしょう? ですから、ちょっとばかし病院の方で検査をさせていただかなくてはならないんです。
 ええっと、コモドというのは、お宅で飼育されているトカゲですか?」
 琴音の顔にゆっくりと笑みが浮かんだ。
「そう……そうです! ヒョウモントカゲモドキで、二歳なんです。四日ごとに餌をやるって決めてるんで、今日はその日で――」
「ああ、ヒョウモンですか、あれは可愛いですねえ! バスキングライトはどのメーカーで? ああ、あそこはすぐに切れちゃうからなあ、僕のお勧めは……おっと脱線しましたね! 
 ところで、二歳の個体なら一週間餌抜きでも問題はないと思いますよ。ですので、やはり今夜は病院に泊まるという方向性でよろしいですかね?」
 琴音さんはううん、そういうことなら、正直眩暈をもするし、と言っている。
 あたしはそっと未海ちゃんの手を引っ張って外に出た。
「……あの……一体何が……」
「未海ちゃん、家に入って来た、どろどろした奴の事を覚えてる?」
 未海ちゃんはぶるっと体を震わすと、頷いた。

 彼女は記憶を保持している。
 真木と同じ、イレギュラーだ。

 あたしはしばらく迷ったが、未海ちゃんの肩に手をかけて歩き出した。
「あの……どこへ行くんですか?」
「説明の前に見てほしいものがあるの」
 あたしは彼女の手を引き、あの電柱まで行くと角を曲がった。
「……あれっ!?

 アパートは無くなっていた。

 正確に言うなら、二階部分が全て消え去り、不格好な長屋のようになっている。
「あたしの、家が――け、京子さん。あ、あの、これって、その、一体、何が」
 あたしはしゃがむと、未海ちゃんの肩を両手で優しく掴んだ。
「未海ちゃん。あいつの所為でこうなったの。でも、もうなっちゃったものは戻せない。あたしも昔、未海ちゃんと同じ事になった。そしてあたしは自分のお母さんの事を忘れちゃったの」
 未海ちゃんは大きく目を見開いた。
「……それは、とても悲しいですね」
 あたしは頭を振った。
「忘れちゃったら、悲しいとも思えないの。ねえ、未海ちゃん、あたしが今から言う事をよく聞いて。
 理解はしなくていい。
 でも、そういうことになったって、できるだけ納得してみる。OK?」
 未海ちゃんは目を瞬き、ゆっくりと頷いた。
 あたしは説明を始めた。


「しかし、よく彼女、朝霧未海は納得したねえ。僕は騒ぎ立てるだけで、落ち着くのには時間がかかったものだがねえ」
「いや、先輩の場合は父親は別人で母親はデビュー後って感じになったんだろう。衝撃の度合いが違う」
「まあ、そうだが、彼女の場合、家が違う場所にあるという改変を受けたわけだろう。
 となれば近所の人や通う学校も違うわけだ。人間関係を最初からやり直すには酷な年齢だな」
「まあねえ……でも」
 あたしは未海ちゃんの顔を思い出す。
 説明が終わると、彼女はしばらく黙った後、それでも、と口を開いた。

『それでも、ママが大丈夫なら、ママが病気じゃないなら、あたしは……平気!』

 そう言って彼女は微笑んだのだ。
「まあ、彼女は大丈夫だと思うよ。秘策って奴を教えといた」
 真木は片眉を上げる。
「非常に嫌な予感がするんだが」
「売ってる? 喧嘩?」
「いやいや、まあ、僕も大丈夫だと考えてるんだがね」
「へえ、何で?」
「君、朝霧未海から貰った蛙、あれどうしたんだね?」
 あたしはコロッケの横のスパゲッティをまとめて口に放り込むと、咀嚼した。
「返したよ。別れ際にね。で、それが?」
「いや、まあ……。ところで、京さん、未海ちゃんに連絡先を教えたんだろう?」
「ああ。心配だったんでメアドとか色々交換したけど」
「じゃあ、後で聞いといてくれないか。何故に彼女は別れ際に僕に向かって、ありがとう、トカゲさんと言ったのか、とね」
 あたしは理由を聞いていたが、まあ、そのうち聞いてやるよと言って笑った。

 今日は碌なことが無いに違いない。
 そう確信していたし、まあ、その通りだったが……悪くはない一日だったように思う。
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