第3話 千年王国編

文字数 5,136文字

午前6時を過ぎて、きらびやかな朝日が地上を照らしている。早朝から2人は、バック・パックに出掛ける準備を始めた。飛行機乗りたちの朝は誰よりも早いのだ。
「眠りはどうだった?」
「グッジョブ。君は?」
「最高の気分さ。さあ、航空発祥の地・所沢に出発するとしよう」
2人はホテルの外の滑走路へと歩いていき、飛行機に乗り込んだ。男たちの夢に向けた冒険の幕が上がる時が来た。ジェット・エンジンが着火して、プロペラが回転を始める。そして、少しずつ海を滑るサーファーのように飛行機が進行し、翼が空に向かって伸びて行く。すると、飛行機は、テイク・オフした。
航空発祥記念館を擁する所沢の地は、2020年の東京オリンピックに合わせる形で再開発が進み、所沢駅や駅と連結しているグラン・エミオなどの新しい商業施設がこぞってオープンした。さらに、所沢の最東端にある東所沢の近くには、美術館・博物館・図書館の融合施設と、ビジネス・オフィスやホテルなどのビジネス・パーソン、そして観光客向けの施設が立ち並ぶ「クール・ジャパン・フォレスト構想」が、株式会社KADOKAWAと所沢市の全面的な協力体制が敷かれて、急速な都市としての発展を遂げた。大江戸線が東所沢駅に来るなど、交通網も劇的に改善したため、所沢全体が海外からのインバウンドたちが頻繁に訪れる、世界屈指の人気観光スポットになっている。東京オリンピックから8年が経ち、街の雰囲気は、過去と現在でガラリと一変した。街には、ストローの刺さっていないコーヒーを飲むさまざまな国籍の人々が歩き、英語やフランス語の会話が途切れなく聞こえてくる。
そして、所沢にとって人の集まるハブのようになっているプロペ通りには、端から端まで、一面に動く歩道が設置されて、ストレスを感じずに、雑貨屋やお茶屋で買い物ができるようになった。
「所沢の空は、気持ちがいいね」と、ゼイドが言った。
「もうすぐ、着くぜ」と、気持ちの良い笑顔で、ハロルドはウィンクを見せた。
航空公園には、2年前に、航空発祥の地を再興させようという運動をきっかけにして、滑走路が完成し、今年、世界一のパイロットを決定するレッドブル・エアレース・ワールドシリーズ2028が開催されることが決定した。そこには、2017年大会で、チャンピオンになった、日本人の渡辺寿英さんがスペシャル・ゲストとして、イベントに登壇することになっている。
ゼイドとハロルドは、元米軍基地の場所にできた、管制塔と連絡を取りながら、降りる位置の最終確認を行った。1500mほどの滑走路を、飛行機は音を立てて着陸した。世界大会のコースと着陸用の滑走路は距離があるので、10分ほど公園内を散歩して、その間中ずっと、森から抜けて異国の地にいる感慨を、ゼイドは噛み締めていた。
航空公園の中には、ソフトクリームのモニュメントのようなものが立つアイスクリーム売り場や、地元の所沢牛のハンバーガーなどが、いつも売っているようなので、三里牧場のハンバーガーとロース肉の串焼きを買って食べた。
ゼイドは話し言葉の日本語はわかったが、漢字はほとんど読めないので、
「この幟には、なんと書いてあるのでしょうか?」と、一つだけ気にいなっていたことを訊ねた。
「三里牧場です。こんど時間があるときに来てください」と、店員の筋肉質な男性2人に笑顔で返答を貰って納得していた。
明後日に控えた世界大会に向けて、自衛隊のブルー・インパルスによる航空ショーが行われているので、ゼイドとハロルドは観客の中に入って、飛行機が飛ぶ姿を目に焼き付けた。ブルー・インパルスは、白・黄色・青と三色の煙を吐きながら9台で隊列を組んで飛行している。子供から大人まで、本当にいい笑顔をしていて、2人は今回のレッドブル・エアレース・ワールドシリーズが気持ちのいい大会になる予感がしていた。ブルー・インパルスの先頭を走る一台が大きな弧を描いて飛び始めた。バーティカル・クライムロールという一流のパイロットだけができる大技だった。ひとりの9歳ぐらいの男の子が飛行機を指差して、「宇宙兄弟のやつだ!」と大声で叫んだ。その瞬間、みんなの顔が、一気にフライトの成功を祈る緊張の面持ちから弾けるような笑顔へと、華やいだ。ハロルドは、英語版の「スペース・ブラザーズ」をサブスクリプション・サービスで見ていたので、「Oh,Yeah!!」と拳を突き上げて喜んでいた(ゼイドは生粋の森育ちだったので、ハロルドのテンションの高さに「すみません、すみません」と謝り続けていた)。
「今日は、本当に日本に来てよかったよ。バーティカル・クライム・ロールなんていう究極の大技も見ることができたしね」
「本当に楽しいな。でも、楽しいだけじゃ所沢まで来た意味がないぜ」
「ああ、宝探しが俺らを待ってるからね」
深夜1時、草木も寝静まった頃に、近所のドンキ・ホーテで購入したスコップを、1人1本ずつ持って、航空公園の中を散策し始めた。ゼイドがコンパスと地図を、ハロルドが懐中電灯を持ち、光で目の前を照らしながら、ダウンジングを使って、自販機の裏やドッグ・ランの近くを捜索した。すると、2時間以上が経過して、そろそろ暑さでお互いにバテ始めた頃に、ダウンジングが強力に反応するスポットが一箇所見つかった。灯りを照らしてみると、軍服に身を包んだ凛々しい青年の銅像だった。そこは、悲しくも日本史上初の航空犠牲者となった「木村・徳田両中尉銅像記念塔」という名称の記念碑だった。第二次世界大戦が勃発する前の、大正2年3月28日の午前11時59分に、所沢飛行場に到着する寸前、事故で亡くなった2人だった。ゼイドは、なぜシルヴァがこのような因果な場所に宝を埋めたのか、ということを自分に問うていた。そして、ゼイドとハロルドは額に薄っすら汗を流しながら、スコップを振り上げ土を掬い始めた。
《今の世界の航空産業は、このような尊い命の上にホンダ・ジェットなどのプライベート・ジェットの勢力的な発展があることを決して我々は忘れてはならないはずだ。》
ゼイドはそのように想起した上で、その言葉の端々を心に刻み込んだ。
穴を掘っている間は、亡くなったシルヴァと木村・徳田両中尉が仲良くあの世で酒を飲んで、お互いに夢だった飛行機での世界旅について語り合っている風景がイメージできた。     
1m、2m、3m、と掘り進めても手応えが全く感じられなかった。5mまで掘り進めたところで、ようやくなにかがガチャリと音を立てて、鉄の塊が見えて来た。すると、鉄の塊の上には、鉄製の南京錠があり、その近くに小さな箱が入っていた。その箱の中には、銀色のステンレス製の錆びた鍵が入っていた。
「なんだろうな?」
「扉が付いているみたいだけど」
「開けてみるか?」
「そうだね。開けてみよう」
2人は協力して、南京錠を鍵で開けた。扉の中は、非常に広い生活可能な空間があった。2人は中に入って、扉の横にある階段を降りて行った。ブゥーン、という音がして、操縦室のような場所にあるモニターがついた。
現在の宇宙と地球の様子の映像だった。
モニターの左上には時刻が出ている。
現在、時刻、午前3時25分。
本来ならば、宇宙ステーションがあるはずの場所から炎に包まれた巨大な隕石が500個近く地球に向かって降り注いでくる。ゼイドは、頭が真っ白になっていく中で、彼の人生の師シルヴァの言葉を思い出した。
《その宝が君の人生に役立つときがきっと来るはずだから。》
《ゼイドよ、あれを頼む。必ず見つけ出してくれ。》
《その2つを覚えておくことが君の人生に役に立つ時がきっと来るはずだから。》
ゼイドは過去の思い出に心を致し、《懐かしい故郷にはもう帰ることができないのだ。》 と、悲しみに耽った。そう思うと、自然とゼイドの瞳から涙が流れていった。《あの懐かしい森、そしてあの懐かしい恵の泉。あの森で動物たちと戯れる日々はもう戻ってこないし、あの泉の水で乾いた喉を潤すことも、もう自分の人生ではないだろう。でも、シルヴァ伯爵やジッドやゲーテなどの懐かしい仲間たちとの記憶は、消えることはないのかもしれない。そして、この命綱のシェルターに導いてくれた木村・徳田両中尉の銅像。あの2人には、心温まるどこか懐かしい気持ちを感じた。皆の人生は幸せだったのだろうか?》
ゼイドは遠くのほうで鳴り響く隕石の落下音に心を砕かれながら、《みんなが僕を救ってくれた。なのに、なんでこうなってしまったんだ。》と、運命に紐づけられた決して変えられぬ個人の宿命に思いを馳せた。
「泣かないで、俺はここにいるよ。どこにもいかないよ」と、ゼイドの隣で声がした。「えっ?」と、一言ため息のような言葉を漏らした後、顔をこわばらせてハロルドの瞳を、ゼイドはじっと唇をかみしめながら、涙が鼻の頭をツーッと流れていく中で見つめ続けた。
「大丈夫だ。みんなきっとどこかで見守ってくれているから。涙を拭いて」ハロルドは、 土のついたハンカチーフをゼイドに渡した。
「そんなこと言ったって。もう、みんなは。」
「この地下にも道があるみたいだから、悲しむよりも先に進んで行こう」
ハロルドが強引にゼイドの腕を引っ張って、鋼鉄製のエレベーターに乗り込み、地下500メートル下までエレベーターで降りて行った。ものすごい勢いで、エレベーターは地下奥深くまで、急降下して行った。どこからかゴスペルのような歌が聞こえる。残り10秒で目標階へ行こうとしたとき遠くの方で隕石が墜落する音が聞こえた気がした。エレベーターが地下70階に来て、デパートのような音がすると開いた扉の先には美しいエレベーター・ガールが待っていた。
「地下70階、コスメ・ブティックでございます」
「えっ、化粧品売り場?」
ゼイドの目の前には、広大なデパートが広がっていた。前から高級なスーツをめかし込んだハンサムな好青年が歩み寄ってくる。
「よく来たな。ゼイド。わしの言うことは本当だったじゃろ?」
「あなたは、まさかシルヴァさん、でしょうか?これは一体何ですか?」
「わしからのサプライズじゃ。君は第2の人生の扉を自分で開いたんじゃよ」
「えっ、ということは、ここは、まさか死後の世界ですか?」
「新しい元号の時代には、そんな言葉はもう存在しない。人間は何度でも生まれ変わって、新しい人生を歩めるんだ」
「さあ、21世紀へようこそ」という横断幕がヒラヒラと空中を飛んでいる。ここはまるでカーニバルの楽園みたいだ。
革命のファンファーレがすべての人類を歓迎している音が鳴り響いている。
《ここが僕の新しい故郷になるんだ。》ゼイドの人生の歯車が回転し始める地響きのような轟音が外で鳴っている。
それから3週間に渡って、地球は暗雲に包まれた。象やキリンなどの大半の動物はノアの箱舟の形をした宇宙船に乗って、火星のコロニーに運ばれた。地球上に隕石が降ったXデーを機に、地球は氷河期に突入し、地球全体が氷で覆われた。人類は、地下に楽園を創り出し、聖書の千年王国の預言は、ゼイドたちが暮らすことになったこの新しい地底空間を指したものだったのかも知れない。しかし、救世主としてキリストは復活しなかった。キリストが復活しない代わりにシルヴァ伯爵が青年の姿で、最新テクノロジーのクライオニクスを使用して蘇った。そして、地下の広大な半径800m以上ある巨大な空間で、レッドブル・エアレース・ワールドシリーズは、所沢市が地下にも街を作っていたので、その準備が功を奏して開催することができた。ワールドシリーズ当日は、地下に住む世界中の人々がモニター越しに観覧し、大いに盛り上がった。優勝したのは、2年前に、北朝鮮と韓国が合意文書を作成して、新しくできた朝鮮統一国家のチェ・チャンミン選手だった。ワールドシリーズ当日は、所沢市長が英語でアインシュタインの言葉を引用してスピーチした。《意志あるところに道は開ける。この言葉を私は今回の地球滅亡という危機から脱出したことで実感しました。そして、皆さんの人生に栄光あれ、と心から願っています。》
人類は、隕石が地球に落ちても大半の人々が生き残り、新しい技術の助けもあって、100万人ほどの人々が蘇り、新たな青春の人生を獲得した。21世紀が到来してから2年後で30年を迎え、平成の次の元号になって、約10年が経過した。人類には、まだ希望が残っているのかもしれないと、ゼイドとハロルドとシルヴァ伯爵は、充実した第2の人生を送りながら感じている。
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