酔いに飲み込まれる【フリ】

文字数 4,017文字

「では、彼女はなぜ居なくなってしまったのでしょうか。」

「それは…」
彼は重い口を動かし話し始めた。





「んねー」

「ん」

「この感想文期限昨日までだったんだけど〜。今日だと思ってた。」

「えぐ」

「まじだるいんだけど〜」
「せっかくのサボり日なのに!んっ!」

「昨日もだろ」

「確かに!!」

「馬鹿」

いかにも今気づいちゃった!みたいなフリをしてみる。歩の目線はずっと画面のままだ。
冷たい返事ですらあるだけで嬉しい。
彼から私はどう映ってるのだろうか。考えるだけ無駄だと知っているのは、もう数えられないほど考えたからだろう。

「ねね!見て!この映画!あゆめっちゃ好きそう〜」

「んーどれ?」

「これこれ」

近い。平然としてるフリをする。

「あぁそれね。」
「俺が好きなシリーズの新作。絶対見に行く。」
「てか、その棚。全部それのフィギュアなんだけどわかんないの」

お、乗ってくれた。

「あ、そっか〜!」

知らない訳なかろう。
全部のフィギュアの名前も、映画のセリフも。
歩を待ってる間にどれだけ見たと思ってるの。

言えない。


「俺、バイト」

「おっけ〜いってらっしゃ〜い」

そんなチャラチャラした格好でなんのバイトに行くんですか。ホストでももっとましな格好するぞ。

言えない。


「家、出るなら鍵開けとけよ。」

じゃあ鍵もって出ろよ。

言わない。


「はいはい」

取ってつけたような返事になってはいなかっただろうか。ちょっと突き放しすぎただろうか。

歩の表情は確認できなかった。

また退屈な一日が始まる。って言ってももうお昼の2時だけど。

今日は何をしようか。映画もドラマも気になるものは最新まで見切ってしまった。久々に勉強でもしてみるか。

私はダンボールや鞄などが乱雑に散らかる部屋を見渡す。
ここで?集中できるか?出来るわけない。

積み重ねられた週刊漫画雑誌の間に見慣れないものを見つけた。

「ひ、とーいっくだって」

普段は見せない彼の顔だ。歩が勉強してるところなんて見せてくれたことがない。歩のことがもっと気になる。好きになると言えば手っ取り早いのだろうが、そんなこと思っていたらいつの間にか口にも出てしまいそうで、思いすら閉じ込めた。


ギャップと呼んでしまっていいのだろうか。そんなふうに呼んだらギャップで彼のことを好きみたいじゃないか。

ギャップなんてどうでもいいと思いつつ、今まで好きになったあの映画のキャラクターたちを思い出す。私がいつも好きになるのは確かにギャップを持ったキャラクターばかりだったかもしれない。
なにかに負けた気がして横になる。

時計はもう4時半を回っていた。

そろそろ暗くなるな。

生乾きに思える洗濯物を気づいていないフリして取り込む。

歩は晩御飯には帰ってくるのだろうか。

シンクの上の棚を開けてみる。
カップ麺は残り1つしかない。

冷蔵庫を開けてみる。

「よし。」

私は調理台に散らかったゴミ達を手で押しのけた。

餡掛けチャーハンは歩のお気に入りだ。

もう飽きたとか言われないだろうか。
私は飽きた。


慣れた手つきでチャーハンを完成させる。
歩が買ったとは思えない花柄の可愛らしいお皿に盛り付け、ラップをして冷蔵庫に入れた。


私はソファーに胡座をかき、最後のカップ麺に口をつけた。

「あっつ。」

ああ。やってしまった。薄鼠色のラグに黄色いシミを作ってしまった。

とりあえず熱いので上着を脱ぎ、キッチンペーパーを取りに台所へ向かった。


「ガチャン」

ドアを開けようとした音だ。

鍵が開いてると思い込んだ歩が開けようとしたのだろう。

「はいはい、自宅警備員が参りますよー」

小さく呟きながら玄関のドアへと向かう。

「お前が寝て開けれなくなったらどうしろって言うのさ」

そこまで想像する力があるなら、空き巣に入られる可能性も考えて見ればどうなのだ。

「早かったね」

「うん」

今日の歩はなんだかご機嫌斜めのようだ。

まだ片付けていないカップラーメンとラグのシミが、歩の目に入っていないか気にしながら言う。

「あ、餡掛けチャーハン!また作ったよ。あゆの冷蔵庫いつもこれ作れる材料しか入ってないんだもーん」

「」

無視だ。

今までは冷たくても返事だけはしてくれたじゃないか。そこが歩のいいところだったじゃないか。

何とか気にしてないフリをしながら台所へ向かう歩の背中を追いかける。

「えっ」

唇と唇が触れた。

なんでだ。なんでこの流れでそうなるのだ。喜びであるべきの気持ちは動揺に負けている。

「珍しいね」

やっとのことでそれだけを口にした。

返答はなかった。

彼の体からツンとした香水の匂いがする。フローラルとまではいかないが、なんだかお花畑を連想させるような甘ったるい香り...

そこまで考えて、同じ表現で香水を紹介していた美容系の女性YouTuberがいたことを思い出して笑いそうになった。

彼から香る匂いは、それと同じものなのだろうか。




背中に不快感を感じて目が覚めた。
昨日掃除し逃したスープのシミがラグの毛に絡まって硬くなっていたのだ。

これもエモいってことで。

気付かないフリのカウントを更新していく。


「あゆ...?」

歩はどこだ。
もう家を出てしまったのか。
時計はまだ10時前だった。

台所には、最高二口しか食べていないであろう餡掛けチャーハンが置き去りにされていた。

家を出る前に食べてくれたのだろう。ご飯粒の残るスプーンとチャーハンの断面が愛おしかった。


カーテンの隙間からこぼれる光が眩しく暑い。

今日は外にでも出てみようか。最低3日は家を出ていない。
ちょうどカップ麺も無くなったし。

ポケットには鍵とイヤホンケース。

靴下は履かずにサンダルで。
冷たいプラスチックが心地よかった。

鍵は開けたまま、歩の家を後にした。

歩の家からコンビニまで、歩いて10分と少しかかる。
住宅街を抜けると直ぐに川が流れている。
左手には橋が見え、その向こうは小学校だ。
微かに子供たちの声が聞こえる。運動場で体育でもしているのか、それとも休み時間なのか。
橋は渡らず右に曲がる。丘の上にいるわけでもないのに、なぜこんなに見晴らしがいいのだろう。人も車もどこにも見当たらない。明るいのに、不思議な時間だ。

私はこの時間が大好きだ。こんなにも手軽に不気味な雰囲気を味わえるなんて。
非日常は人に特別感をもたらしてくれる。
こんな私にも。いや、こんな私だからこそ非日常に生きていられるのかも。


もうすぐコンビニに着く。
建物横の隙間になにか蠢くものを見つけた。
猫だ。
猫の前には、空っぽの猫缶や、小さな枝や葉の浮いた水入れが置いてある。
この子はこうやって飢えをしのいで生きてきたのだろう。上手いものだ。

コンビニからでてきた私の片手には大量のカップ麺と卵、もう片手には3種類の猫缶と丸いおやつ。猫にミネラルウォーターは良くないと聞いたことがあるが、この水でよかったのだろうか。

猫を飼ったことの無い私には、ご飯を選ぶだけで精一杯だった。
少し離れたところに開けた猫缶を置いてみる。

「これ口切らないのかなぁ...」

猫は陰からこちらを見ているだけで動く気配は無い。警戒しているのだろう。

思い切って猫の真ん前に置いてみた。意外と逃げないものだ。

「お名前は?」

猫は口を大きく開けて猫缶を頬張っている。

「喉詰まらせるよ〜」

猫ってすごいな、ずっと見ていられる。

「みゃあ。」

ご飯に満足したのか、こちらを見て一鳴き。

「ご飯まだ残ってるよ」

聞こえているのだろうか。反応を全く示さない。
こんな時間もたまにはいいな。残りの猫缶を開け隣に置き、その場を立ち去ろうとした。

背中を向けた瞬間、足元にゾワゾワとした感覚を覚えた。

「出てきたの?」

この人はご飯をくれる人だと認識されてしまったのだろうか。

「もう持ってないよ〜」

彼か彼女か分からないが、歩いても歩いても着いてくる猫に母性と恐怖を感じる。

マンションのものであろう小さな公園に差し掛かった時、猫は止まった。

ここがおうちなの?

少し離れてみる。

動かない。

特に予定もない私は、猫のおうちとやらにお邪魔してみることにした。




どれくらいの時間が経ったのだろう。
公園のベンチに寝転がったまま寝てしまっていたらしい。

猫は、まだ私の足元に丸くなっていた。


また目を閉じて、涼しい暗闇に沈んでいってしまおうか。

ん?

コンビニを後にした時、太陽はまだ私の真上だったはずだ。

おかしい。今は何時だ。

私は飛び起きる。

足元ですやすやと寝ていた猫は驚いて木の影に隠れてしまった。

「あ、ごめん...」

携帯を探す。
画面をつけると充電が残り7%なのに気づくと同時に、ありえないほどの通知の量が目に入る。

「あゆ...?」

歩になにかあったのだろうか。
家の鍵は開けてきた。
ご飯がなかったからか?餡掛けチャーハンはそのまま台所の調理台の上だ。
こぼしたラーメン片付けてないのバレたとか...。

心当たりを色々と探ってみるがどれもピンと来ない。
歩が私を必要としているのは確実だろう。
申し訳ないことをした。

私は直ぐに帰路に着く。

交番の前を通りかかった時だった。

「ではなぜ、彼女はいなくなってしまったのでしょうか。」

「それは...」
「僕が餡掛けチャーハンを残したから...!」

「は?」

「彼女のご飯を残したことなんて今まで1度もなくて…!」

「…しょうもない」

「し、しょうもなって…」
「だってそれ以外思い当たる節がないんです!!

「あのねぇ、付き合ってた訳じゃないんでしょ?
そんな人が1日帰ってこないだけで警察きませんよ普通。」
「逃げられたんですよ。」


「し、失踪届とか…」

「馬鹿言わんでください。」


馬鹿だ…
大きくため息をつく。


「あゆ!!なにしてんの!?」

「しお!?どうしてここに…」

歩は勢いよくこちらに駆けてくる。
抱きつきそうな勢いだが、目の前で止まる。

「いや、あ、あはは。ええと。」

「?」
「帰ろ?」

「帰る。」


犬みたいだな。


彼は

をするのが下手くそだ。




2人並んで朝焼けの中を歩く。
誰もいない。人も、車も、動物も。
私たちだけの世界だった。


歩はコンビニ袋の片側を、そっと持ってくれた。








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