二

文字数 1,058文字

 坂を下っていると、二人の男が人力車の前で防護柵に寄っ掛かって(しゃべ)っている。
「ふぅ、疲れた。人力車何てやってられっかよ」
「おい、(あんま)り大きな声で()うと誰も乗らねえぞ」
「おっと危ない」
宗太は(そうた)笑いを(こら)(なが)ら通り過ぎて、「自ら就いた職をも嫌う愚か者」と(ぼそ)っと*小さな声で云った。(しか)し、()れが聞こえて仕舞(しま)ったのだが、男たちは(ひど)く恥じいた様で、怱々(そうそう)*と車の方へ行き、宣伝を始めた。宗太はこりゃ意外だという顔をした。大概(たいがい)の者は(おこ)って胸座(むなぐら)(つか)んでくる。今回は二人掛かり(だから)余程(よっぽど)危ないのだが、宗太は、例え胸座を掴まれても、平凡な顔で一切言い返さないので、相手が先に諦めて仕舞うのである。今回(ばかり)は相手が変だった。
 (ようや)く坂を下り終わりそうな所まで来ると、前から一人の青年が歩いてきた。如何(いか)にも書生*風な(よそお)いだったが、宗太には青年に見憶(みおぼ)えがあった。すると、青年が此方(こちら)に気付いて
「先生」
と云った。宗太は其の「先生」と云う一言で思い出した。青年は浜野(はまの)と云った。別段(べつだん)*、宗太は教師をやったことは無い。(ただ)、大学が一緒である。浜野は宗太の三つ下で、大学一年である。宗太が四年の頃、其の毒舌を聞きつけ、態々(わざわざ)(たず)ねてきたのである。自分を評価してくれと唐突(とうとつ)に云ってきたもん故、宗太も初めは面喰(めんくら)った*。今迄(いままで)自分の毒舌を好む人何ぞ見たことがないからである。何度「(いや)だ」と云っても喰い下がらないから、仕方なく、「愛らしくない子犬」と云った。執拗(しつこ)く迫ってくる子犬は愛らしいものだが、浜野は違う、(ただ)執拗いだけである。と評したのである。其れ以来浜野は毒舌に感激したのか、先生と呼ぶようになった。宗太は再三断ったが、()れも(また)執拗い。今や宗太も慣れて其れで通している。
()()り先生だ。先生も散策位するんですね」
「君、人を馬鹿にしちゃぁ不好(いけない)
「だってその通りじゃありませんか」
「君は一寸(ちょっと)毒舌家と云うのを調べてみなさい」
「其れで何かあるんですか」
「散策をしない何て書いてありませんよ」
「へぇ、左様(そう)ですか……(ところ)で*、先生は何をしてるんです?」
「貴方の様な阿呆を評してるんです。貴方の様な」
浜野は(まった)く気にしない様子で(はなし)を続けた。
「じゃあ散策ですか。ふぅん」
「君こそ何してるんです?」
「暇なんで先生の家を訊ねようと思ったのですけど、如何(どう)やら()れは予想外なもんで」
「左様ですか。じゃあ明日(あす)にしなさい。今日は一日中歩き回ってますから」
「じゃ、左様します」
()う云って浜野は去って行った。宗太は、走って坂を駆け降りた。
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登場人物紹介

大島宗太

主人公で批評家。酷評しか言わない。


浜野庄次郎

宗太の大学での後輩。酷評を言う宗太を何故か慕っている。


佐竹宗栄

宗太の友人。大学入学後すぐに出家した。


大島誠一

宗太の兄。職につかず怠けている宗太を嫌う。


大島周造

宗太の父。宗太に留学を勧める。名主。


浜野玄太郎

浜野の父。


佐竹文造

宗栄の父。周造の親友。


大島舞

宗太の姉。誠一と同じく宗太を嫌う。


大島初

誠一の妻。宗太の嫂。宗太とよく気が合う。


大島永輔

周造の兄で宗太の伯父。

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