一
文字数 1,000文字
宗太は、大抵は巳の四つ半*とか其処らの遅めに起きるのだが、生憎今朝ばかりは外が頗る煩くて、辰の五つ*程で起きた。
彼の寝室は、庭が目の前にある。故春になると部屋中に桜か梅の花弁が風に吹かれて舞い込んでくる。今は冬なので障子を閉めきっているが、好く雪で濡れる。雪が酷くなってくると、庭にある草が一面の白で埋まる。時折雪駄*を履いて、庭へ出る。出ると雪駄が沈んで跡が出来る。五歩位歩いて、止め足*をして縁側へ戻る。欺うすると雪庭に足跡が残って何だか風流になる。でも今日は、外の騒がしさに気を取られて、庭だ風流だ何て見る気にも成れなかった。起きて歯を磨いた。取り柄のの無い宗太だが、歯が白いことだけは自慢できる。磨き終わると、外套*を羽織って表へ出た。出ると如何やら、一つ前の家で何かあったようだ。人が大勢集まっている。宗太は稍々大きい体を、背伸びして人混みの上から覗いた。見れば、黒猫と其の飼い主らしき男の死骸だった。事故か自死かは知らないが、体が雪に半分、埋もれていた。すると前の中年位の男が低い声で、
「彼れまぁ。黒坊は不吉を持つと云うが、自分や主にも来るのかねぇ。人だけじゃねぇのかい」
と云った。成程確かに黒猫は不吉を齎すとは云う。然し、此の男は死んだ黒猫と主に、況してや猫に関しては性も判らぬと云うのに、「坊」と名を付けるのか。宗太は思った。実は彼は人に酷評を云うのが上手いのである。否、人によっては上手く見えないのかもしれぬ。其れでも宗太は悪評を云う。必竟は、宗太は所謂毒舌家である。
骸を見届けてから、宗太は其の場を離れた。駅に行くつもりである。毎朝散歩して、人を評して、帰って暇するのが常である。宗太の家から少し歩くと園がある。滑り台の無い園である。一人の爺さんが、床几台に座って葉巻を吸っていた。燥ぐ子等を蔑むように見ている。宗太は『若き日を惜しむ愚老』と評して園を去った。名実通りの毒舌である。無論、彼の批評は子供にも通ずる。先だって*、爺さんの序に子等も、『将来の金欠野郎の幼年時代』なんて評してしまった。道行く人は、皆彼に評されるのである。
園を通り過ぎて直ぐに坂がある。何と云う坂かは忘れたが、名の初めに「す」が付いていた気がする。其の坂は迚も急で、転ぶ人が多い。宗太も昔、此の坂で転んだことがある。曾雌て何と、『前世力士」と評したのである。坂が自分を投げ捨てたと思ったのだろう。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)