六

文字数 1,146文字

  (とら)の七つ*頃。宗太は何か悪い夢見でもしたのか顔が汗ばみ、荒い息をして跳ね起きた。部屋を出て縁側を歩き、居間で休もうとして襖を開けると、
「先生、早いですね」
浜野(はまの)が来ていた。
「待て、君。まさか私が起きる前から居たんじゃないだろうね」
「左様ですけど」
「……はぁ」
実は、彼は()ういう行いが駄目(だめ)とは感じない。宗太はそれを判りきってる。
「折角此処に居るの故君も一緒に料理位しなさい」
「判りましたよ。所詮(どうせ)此処で『厭』と云ってもやらせるでしょう」
浜野は愚痴(ぐち)を云い(なが)らも宗太と一緒に台所へ向かった。
 辰の五つ頃、宗太が書斎で錦華鳥(きんかちょう)に餌を与えていると、戸を(たた)く音がした。
「先生、来ましたよ」
「あゝ。判ってる」
宗太が戸を開けると、(あん)(じょう)宗栄(そうえい)が居た。
「やぁどうも」
「お邪魔するよ」
「ほら、浜野君。挨拶(あいさつ)しなさい」
「はぁい。どうも」
「やぁ。君が後輩君か。大島(おおしま)君から話は聞いてるよ」
「先生からですか。へぇ」
「立ち話も何だ。宗栄、朝食を用意しているから」
「そりゃ有り難い」
宗太達は食卓に着いた。焼いた麺麭(パン)を喰っていると宗栄が、
(おや)、未だ鳥を飼っていたのかい。相変わらずの鳥好きだね」
「あゝ。だって、鳥は可愛いじゃないか」
「僕は猫を飼っている」
「其れじゃ敵だな」
「ハハハハ。そりゃ面白い」
すると、浜野が口を開いた。
「お二人は如何いった御関係で」
「親友さ。幼子からのね」
宗栄が云った。其処で宗太は、初めて宗栄が髪を生やしている事に気が付いた。
()れ、君、其の髪は如何したんだい」
「あゝ、此れかい?奈良から帰る前に、丸坊主(まるぼうず)(まま)列車に乗るのが厭でね」
「成程」
「其れにしても、今かい気付くのは」
「左様さ。抑々(そもそも)君が坊主頭なのは、余り見たことがないからね」
「左様か左様か」
宗栄は麺麭を喰い乍ら(うなづ)いた。浜野はと云うと、もう既に二枚喰い終わっている。宗太は未だ一枚も喰い終わっていない。牛酪(バタ)果醬(ジャム)も付けず、其の儘喰っている。(しばら)くして、宗太が口を開いた。
「其れで、二人は今日如何するんだね」
「僕は泊まります」
「僕も泊まろうかな」
「判った」
宗太はやっと麺麭を喰い終わった。
 申の七つ半*頃になった。宗太が二人の最後に風呂から上がると、何やら居間から笑い声が聞こえてきた。宗太は急いで寝間着(ねまき)*を(まと)い乍ら縁側を駆けた。
「何だ、如何したんだ」
「君の───昔話を──していてね。」
腹を抱えた儘の宗栄が云った。言葉が途中で区切れているので、恐らく未だ笑っている。
「何だ。何様(どんな)話しなんだ?」
「そうですね─先生が酷評を云ったのが聞こえて相手に胸座を掴まれたことですかね。僕も一緒に居たので──そりゃ笑いますよ」
浜野が云った。彼も未だ笑いが収まっていないようだ。
「完く──でも其様(そんな)こともあったな」
(あき)れ乍らも、宗太は昔を懐かしんで、此の後も昔の事を談話した。
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登場人物紹介

大島宗太

主人公で批評家。酷評しか言わない。


浜野庄次郎

宗太の大学での後輩。酷評を言う宗太を何故か慕っている。


佐竹宗栄

宗太の友人。大学入学後すぐに出家した。


大島誠一

宗太の兄。職につかず怠けている宗太を嫌う。


大島周造

宗太の父。宗太に留学を勧める。名主。


浜野玄太郎

浜野の父。


佐竹文造

宗栄の父。周造の親友。


大島舞

宗太の姉。誠一と同じく宗太を嫌う。


大島初

誠一の妻。宗太の嫂。宗太とよく気が合う。


大島永輔

周造の兄で宗太の伯父。

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