第9回課題文学賞応募「誰かと御飯が食べたくなる話」:BMWとラーメン

文字数 1,863文字

「おい、乗って。」
父に促されたのは、先日購入したばかりの高級車。BMWだ。
吐き出す息が白くなった晩秋、真夜中に差し掛かる時刻、突然に父はドライブを提案してきた。
恐らくは母に『車買ったなら、どこか連れてってあげてよ』と小言を言われていたから、なんだろう。

真夜中の高速道路をひた走る。
BMWの後部座席はクッションが程よく柔らかい。座り心地はまあまあ。ドアポケットにドリンクホルダーや収納がいくつも付いていて、旅行に行くときに快適だろうなあ、と思った。
運転している父とは会話はない。仲が悪いわけではないが話題が思いつかなかったし、互いに沈黙していても特に気にしないような関係性だった。
私は窓から暗い景色を楽しみ、視界に現れては消えて行く、マッチ棒のような街灯を面白おかしく眺めた。

24時間営業のサービスエリアに入る。トラックが数台停まっていて、運転席で運ちゃんが寝ているのを見て、お疲れさんです、と心の底で呟いておく。

「何食べたい?なんでもいいぞ。」
「ラーメン。」
実のところ、突然ドライブに引っ張り出された私のお腹は、ぐうぐうと強い響きを鳴らしていた。
「油だな。」
父はクスリと小馬鹿にしながら食券ボタンを押す。

それほど待たずに呼び出しブザーが鳴った。父と一緒にカウンターに向かい、お盆を持って戻ってくる。メンマ数枚と薄そうなチャーシュー、輪切りのネギが並ぶどんぶりから、湯気が立ち上っている。平々凡々で味も薄目な醤油ラーメンだ。
父はよく食べる人なのに同じラーメンを頼んでいた。よく見れば、ギョーザとライスも付いている。
「いただきます。」
箸を割って食べ始める。細麺。地方のサービスエリアのラーメンは基本細麺だし、自分も細麺しか食べない。空腹のせいもあってか異様にうまい。載っている具材自体は、母が作ったラーメンの方がまだ豪華なくらいだが、舌全体に味が染み渡るようだ。
「うまいな。」
父も同じ感想を言った。濃いめが好きで、万年糖尿病の父にしては珍しい。でもすぐにギョーザを食った。あ、相殺されたな。箸につままれたご飯がすぐさま後を追う。炭水化物もばっちりである。
ラーメンを啜る音と、水を嚥下する音、餃子の皮がパリッとひび割れる音が、サービスエリアのBGMと混ざる。昼間にスーパーで聞いたのと同じ曲。

ただの公務員家庭の我が家に、BMWが持ち込まれたのはつい先日のことだ。
父の父、私の祖父が何の気なしに亡くなって遺産が舞い込み、父は変わった。
砂利石だけだった駐車場に立派な屋根を建てて、誰にも言わずに高級車を買ってきたのだ。母は烈火のごとく怒り狂った。父は自分の金だ、とだけ主張して、部屋に籠ってしまう。
母は父の居ないところで、おかしくなっちゃったね、と言って泣いていた。両親の仲はみるみるうちに、ちょうどこれからやって来る冬みたいに冷えていった。

「いい車だろ。」
口の中にギョーザか麺を詰め込んだままのもちゃもちゃした口で、父は言った。
「座席は広いよね。」
ラーメンを啜りながら返答した。車に興味がないので、いいかどうかは知らない。
「乗りたかったら、いつでも乗せてやるぞ。」
「ありがとう。」
父の顔よりラーメンの方が大事だったので、どんな表情だったか分からない。
多少自慢っぽい声だったから、青ひげと一緒に口を横に長くのばして、にまっと笑ってたかもしれない。私は、何もわかってないね、と思っていた。


このドライブからしばらくして、父の不倫が発覚した。
泥沼の裁判を経て離婚が成立し、私は母のもとに引き取られた。母は裁判ですっかり憔悴し、父の恨み言をよく口にするようになった。
なーにが、いい車だろ、だ。女を乗せたかっただけやないかい。あんのクソ父親め。


それから数十年後、私は結婚した。
どこから聞きつけたのか。一応、本当に念のため、消さずにいた父のメールアドレスから、シンプルなメールが届いた。
『祝 結婚(絵文字)。あっという間に結婚したね。おめでとう!』
BMWと女で家庭をぶち壊した張本人が、この体たらくである。
あまりに無自覚で呑気で、笑わずにいられるだろうか。何度もメール文面を見て爆笑した。
「このバカタレ父。」
親の心子知らずというが、これは子の心親知らず状態、と言っていいと思う。私は携帯電話をベッドに放り投げた。

不器用で言葉足らずで、家族と女と、どちらも選べなかった、あわれな父。
困った父親のはずなのだが、いまでも高速道路ではよくラーメンが食べたくなる。
へったくそな愛情をかけてもらったような、まあ気のせいかもしれないけど、そんな思い出のひとつだ。
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